「お、翼さんから電話だぞ兄ちゃん!」
「勝手に出ようとしてるんじゃねえ!」
 あろうことか、火憐ちゃんは僕の携帯電話を手にとって待ち受け画面を眺めていた。
 もちろん兄として叱責すると同時に奪い取ろうと手を伸ばしたが、火憐ちゃんはそんな動きを見透かしているかのように、最低限のスウェーバックで躱し続ける。
「なんだよ。兄ちゃんが勉強に忙しいっていうから代わりに応対してやろうと思ったのに」
「余計なことはしなくていい!」
 いや、考えてみると火憐ちゃんというかファイヤーシスターズの一挙手一投足が余計なことだけで構築されている気もするが、今回のこれはいつもの比ではない。
 高校生にもなって自分の電話を――しかも携帯電話を妹に出て貰うとかあり得ないにも程がある。それだけなら百歩といわず一万歩ほど譲って許容できなくもないが、羽川からの電話である。もしこの電話に勝手に出て「兄ちゃん忙しいから電話に出られないって」とか言ってみろ。つい数日前に学習塾跡で行われた影縫さんとの闘争なんて目じゃないほどの、兄の本気というものを見せてやる。
 しかし幸いながら、火憐ちゃんもそんな僕の本気を察したのか、思いの外素直に携帯電話を渡してくれた。冷静に考えてみればさすがの火憐ちゃんもに勝手に携帯に出たりはしなかっただろうけど、それはこの際気にしないでおこう。
「なんだよ、可愛い妹は放置で翼さんと電話でイチャイチャする気か!」
「悔しかったら羽川ぐらいの色気をつけてみろ!」
 手渡しながら余計なことを言ってきたので、そう言い返して電話に出る。いかな負けず嫌いの阿良々木火憐といえども、羽川の色気には何があろうと敵うまい。
 案の定火憐ちゃんは何だか不服そうにむくれてみせたが、それ以上の反論もないようなので電話に出る。
「はい、もしもし」
「もしもし、阿良々木君? 勉強の邪魔じゃなかったかな?」
 受話器の向こうから羽川の声が聞こえた。いや、羽川からの電話なんだから当然なんだけども。
「大丈夫。ちょうど休憩していたとこだから」
 嘘はついていない。自主的な休憩ではなく強制的な休憩だったりはしたけど、火憐が来るまでは一心不乱に勉強していたのである。今の僕には後ろめたいことなど何一つ存在しない。
 そして火憐ちゃんはというと、あいかわらずぶーたれてはいるものの部屋から出たりはせず、僕のベッドの上でごろごろしはじめた。まあそれぐらいは包容力のある兄として許容してやってもいいかもしれない。羽川と会話することにより、幸せゲージが上昇しているので火燐ちゃんを放置して電話の方へと意識を向ける。
「家庭教師の件なんだけど、明日も休みってことでいいかな」
「ああ、かまわないけど」
 そう。戦場ヶ原がデレというかドロってしまった今、僕の家庭教師は羽川だけであり――勉強を教わる相手として羽川翼以上の人材など居るわけもないんだけど、いくら羽川といってもその体は一つしかないので、羽川の方に何か別の用事が入った場合はキャンセルするしかないのだ。とは言ってもそんなことはあんまりないんだけど。とにかくそんな場合はこんな風に、わざわざ電話してきてくれる。
「前から言ってる通り、こっちはあくまで羽川の好意に甘えている状態なんだし、そっちの予定を優先して貰ってかまわないんだから」
「ううん、そうじゃなくて」
 羽川との会話。受験勉強の息抜きとしてはこの上なくふさわしい、そんな行為に没頭していたとき。
「に、兄ちゃん。駄目だよ!」
 そんな声が響き渡った。
 今度のは比喩ではない。僕のベッドの方から――より正確に言うならベッドの上に寝転がっていた火憐ちゃんの口から聞こえていた。
「……阿良々木くん?」
「いやいやいや、ちょっと待てって。違うって!」
 電話の向こうでいぶかしげな表情をしていることがありありとわかる羽川の声になんとかそう返す間にも、火燐ちゃんは止まらない。
「兄ちゃん、そんな! ら、らめぇぇぇぇっ!」
「『らめぇ』じゃねえっ!」
 なおも訳のわからないことを叫び続ける火憐ちゃんにそう叫ぶが、火憐ちゃんは止まらないし電話向こうから聞こえる羽川の声の温度が段々下がっていっている。
「何もしてないって!」
「まあ、私が言える立場でもないから火憐ちゃんが阿良々木君のベッドの上で何をしていようと追求したりはしないけど」
「いや、何でわかるの?」
 思わず問い返したその言葉は誰がどう見ても藪蛇というか逆効果だったけど、聞かざるを得なかった。肩車の時といい今回のことといい、ひょっとして羽川は電話向こうを目視できたりするんじゃないだろうか。相手が羽川だけに一〇〇パーセントあり得ないと言い切れないところが恐ろしい。
「とにかく、今日明日とお休みって事で」
「うん、わかった」
 羽川と電話しつつ火憐ちゃんの暴挙を止めるというミッションはインポッシブルすぎるので、羽川に促されるまま電話を切る。
 切って少ししてから思わずため息をついた僕を見た火憐ちゃんは悪びれることなく――むしろ満足げに、にししと言う感じで笑うとその口を開いた。
「どうだ。兄ちゃんの言う通り色気で攻めてやったぞ」
「いや、色気って言うかさあ……」
  言いたいことは山ほどあるはずなんだけど言葉にならず、しょうがないのでもう一度ため息をついて僕は観念した。
「わかったよ。今日だけだからな」
「きゃっほう! さすが兄ちゃん、話がわかるぜ!」
 これ以上粘っても状況は改善しないどころか悪化する一方だろう。何だか負けたみたいで腹も立つけど、ここで折れてやるのが言い兄というものかもしれない。
「じゃあ早速月火ちゃんに報告してくるぜ!」
 そして火憐ちゃんはベッドからヘッドスプリングを使って跳ね起きると、ファイヤーシスターズの片割れである月火ちゃんのところに駆けだしていった。
 火憐ちゃんが火憐ちゃんらしく、その全身から『嬉しい』という気持ちを発散しつつ走り去るのを見ていると、負けたはずの僕も少し嬉しくなってくる。
 これも『少しだけ』仲良くなったおかげってやつかもしれない。
 
 
 【続く】  
 
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