月下舞踏





-1-




 三日月の光が柔らかく、夜の道を歩く青年を照らし出していた。
 黒いジャケットを羽織り、眼鏡を掛けた優しげな雰囲気の青年。遠野志貴と言うのが彼の名だ。
 いつもと変わらない夜の行動。屋敷を抜けだし、公園を目指す。一年前から変わらない。志貴にとって、彼女と待ち合わせるのはあの公園でなくてはならなかったから。
 ただ一つだけ違ったのは、今日が彼にとって特別な日であると言うことだ。
 志貴の足取りは普段より軽い。もはや小走りといっても良いかもしれないが、足を緩めようという様子はこれっぽっちも見られなかった。
 去年の今日、志貴は彼女に出会った。
 時間も違うし場所も違う。しかし遠野志貴という人間が、アルクェイド・ブリュンスタッドという月の姫と同じ時間を歩み出したのは、たしかにこの日だったのだ。
 志貴にとっては通いなれている道。数え切れないくらい通ったいつもの道だというのに、何故か公園まで無性に遠く感じられる。歩いても歩いても着かないのではないか。一瞬そんな錯覚にも囚われた彼だったが、勿論そんなわけはない。単なる気分の問題であったのだろう。
 想像以上に浮かれている自分に気付いて、志貴は苦笑した。
 自分は、やはりアルクェイドが好きなのだ。好きな娘の事を考えて、心踊らない男などいるわけが無い。
 あの我が侭で、それでいて驚くほど素直で、好奇心旺盛な――そう、猫のような、吸血鬼の癖に太陽が良く似合う彼女の事が、遠野志貴はどうしようもなく好きだった。
 だからこそ、今日彼は彼女に会って大事な事を伝えたかった。
 少し深く考えこんでいたのか、ふと志貴が気付くと、うっそうと繁る林が目に飛びこんできた。公園の入り口にある、ちょっと広めの林だ。
 もう少しで、アルクェイドに会える。
 そう思って駆け出した志貴の視界が、突然、急速に狭まっていった。
 押し寄せる抗い難い全身の虚脱感。長年彼がお世話になりつづけたこの感覚――
「ま…ず…こんな時に……」
 志貴は必死に手足に力を込めようとするが、直感的に分かった。
 この貧血は、久方ぶりの大物であった。必死に抗うが、空しく四肢の力が抜けていく。最早立っている事も適わない。せめて車道に倒れこまないように、どこかの民家の塀によりかかるのが精一杯の抵抗だった。
 志貴にとって救いだったのは、季節がまだ本格的に冷え込む前だった事だろう。さし当たって凍死する前には誰かに見つけてもらえる可能性が高い。
 せめてその誰かがアルクェイドであってほしい。
 そんな事を考えながら、彼は意識を手放した。




 約束の時間の一時間ほど前から、アルクェイド・ブリュンスタッドはベンチに座って志貴を待っていた。
 自分を優しく包み込む母なる月光の下、最愛の男とこれから何をするかを想像する時間。それが彼女にとって何ものにも変え難い時間。勿論志貴と過ごす時間も同じくらい大事ではあるのだが、想像する事の楽しみを覚えた彼女にとって、志貴とあんな事をしたい、こんな場所へ行きたいと考えている時間は本当に幸せな一時であった。
 ――話があるんだ。明日、大事な話が。
 昨日、別れ際にそう言っていた志貴。その言葉がずっと気になっていたアルクェイドは、実はそれからあまり寝ていなかった。
 わざわざ今日という日を選んでくれたと言う事は、志貴もあの出会いの日を特別なものと思ってくれている。そう考えたアルクェイドは、自然頬が緩んでくるのを止める事が出来なかった。かつての彼女を知る、教会や魔術師協会の関係者がその姿を見れば腰を抜かすのではないか。そう思えるほどのユルみっぷりである。勿論彼女にとって、回りがどう思おうとも関係ないわけだが。
「えへへ〜、今日は志貴、どんな話をしてくれるんだろう?」
 ニヤケた顔でそう呟くアルクェイドの耳に、聞きなれた足音が聞こえてくる。
 公園の時計を見る。九時五十五分。約束の時間の五分前だ。
「お〜い、こっちだよー! 志……き……?」
 手を上げて、満面の笑顔で彼の名を呼ぶアルクェイド。その声が途中で途切れてしまう。
 薄手のジャケットを羽織って、その下は黒いシャツにズホンと言うラフな格好は普段と全く変わらない。しかしその身に纏う雰囲気が全く変わってしまっていた。いつもの柔らかい、包み込んでくれるような優しい空気がなりを潜め、代わりに刺すような冷たい空気が自分に向かって吹きつけてくるのが感じられる。
 そして一番の違い。
 今日の志貴は、眼鏡を掛けていなかった。
「久しいな、化け物」
 その男は、志貴の声でアルクェイドをそう呼んだ。
「……あなた、志貴じゃないわね。正体をあらわしなさい」
 目を細め、きつく目の前の男をにらみつけるアルクェイド。並の人間なら恐怖で居竦まれてしまうようなその視線の圧力にも全く動じることなく、志貴の姿をした男は薄く笑う。
 普段の志貴ならば、絶対にしない笑い方。
「いや、俺こそが志貴さ。穢れた魔である遠野ではない、誇り高き退魔の末裔。七夜志貴だ」
 七夜志貴――そう名乗る男の瞳が蒼く染まった。
 アルクェイドは無意識に身構える。この目の志貴には二度会っていた。
 ネロ・カオスを滅ぼした時。そして、自分が十七個に解体された時。
「…あの時の志貴ね。殺しに慣れた、本物の殺人鬼」
「心外だな。俺は人など殺さない」
 七夜はジャケットを脱ぎ捨て、ポケットから二握りほどの黒い棒状の物を取り出した。パチリと音を立て、中から同じ長さほどの、鈍く光る刃が飛び出す。
 アルクェイドにも見覚えがある武器だ。志貴が「七つ夜」と呼んでいた、自分を殺した飛び出しナイフ。
「七夜は『魔』しか狩らん。最後の生き残りとして、俺はその勤めを果たすだけだ」
 辺りの空気が張り詰める。七夜から吹きつける殺気が周囲を圧し、夜の公園を殺し合いの空間へと変えていった。その空気の微妙な居心地の悪さに、アルクェイドは眉をしかめる。
 まるで力ある死徒の持つ固有結界のようだった。実際に動きにも影響が現れてしまうかもしれない。しかし闘争に雪崩れこむ前に、アルクェイドとしては一つ確認しておかなければならない事があった。
「志貴は…志貴はまだ「生きて」いるんでしょうね?」
「眠っているだけだ。だが、もう目覚めさせない。
 今度こそお前を殺し、遠野を滅ぼし、奴のいるべき理由をなくす」
「そう、良かった。なら必ずあなたを倒して志貴を返してもらうわ。退魔とは言え、人間風情が真祖にケンカを売った事、後悔させてあげる」
 アルクェイドの言葉に、再び七夜は薄く笑う。
「それでこそ、だ。さぁ、殺し合おう。アルクェイド・ブリュンスタッド!」
 その言葉と同時に、七夜は姿を消した。
「嘘?!」
 アルクェイドは思わず目を疑う。気配を探っても、周りに濃密に立ちこめる殺気のせいで上手くいかない。周りに身を隠すようなものなどない。純粋に、動きを見失ったのだ。
 それはアルクェイドの身に備わった、常識はずれの直観力なのか。自分の背後から、周囲の殺気とは異質な殺意が吹きつけるのを感じ取り、とっさに前に飛びのく。ほぼ同時に、銀光が彼女の足元を薙ぐ。そのまま流れるように繰り出される、七夜の足払い。
 到底かわせるものではない。アルクェイドも無様に地に倒れ伏す……そう思われた。
 だが。足を払われた瞬間、彼女は後ろ向きに左腕を付き自らの体を支え、そのまま後方宙返りで七夜を飛び越える。
 人間なら確実に左肩を脱臼するような動きにも、彼女は苦痛の色すら浮かばせない。
 そのままふわりと着地するアルクェイド。自らの足元に眼をやり、眉をひそめる。靴下が切られ、うっすらではあったが血が滲んでいた。
「へぇ……私の認識を一瞬越えるような動きに、単なるナイフで真祖に血を流させる意思力……大した物ね」
「フン、無拍子の動きをかわされるとは思わなかった」
 そうつまらなそうに答える七夜の隙は皆無。アルクェイドは正直、目の前の人間を侮っていた事を自覚する。
 ――これは、想像以上に厄介かも。
 アルクェイドが今まで見た人間の中でもっとも素早い動きを示したのは、埋葬機関の代行者であるシエル。
 しかしこと瞬発力に限れば、間違いなく七夜志貴はその上を行っている。
 さすがに耐久力は及ばないだろうし、武器も強力な概念武装という訳ではない。だがしかし、代わりに備わった『直死の魔眼』はそれを補って余りある。
 今宵の月齢は折悪しく三日月。アルクェイドの死の線全てを消し去るには至らない。こうなると彼女にとっては少しの攻撃すら致命傷になりかねないのだが――『殺意の結界』とでも言うべき周りの空気が、視覚以外の感覚によって彼の動きを捉える事を阻む。
 そしてなにより厄介なのが……
「殺すわけにはいかないから、ね」
 アルクェイドは呟いた。
 あくまで体は彼女の愛する志貴のものだし、志貴自身も七夜の中で眠っている状態だ。取り得る方法は、体になるべく傷をつけずに七夜の意識を刈り取り、その後で自分の夢魔を使って志貴を呼び戻す。 随分と大きなハンデだが、やるしかない。
 そう決心し、アルクェイドは思考を戦闘用に切り替えた。




−2−





 ――まさか、あれで態勢を立て直すとはな。
 七夜は目の前の女の想像以上の化け物っぷりに、いっそ口笛すら吹きたくなる衝動に駆られた。
 完全にこちらの動きを見失った筈なのに、攻撃の際の一瞬の「本物の殺気」に反応してかわしてのける反応とスピード。華奢な見た目とは正反対の、強靭かつ柔軟な身体。
 そもそも大地も、森も街灯も建物も。彼の目に移る全てが無数の「死」に囚われているというのに。目の前のアルクェイドには数本「死の線」が走っている程度。
 「点」などもはやどれだけ目を凝らしても見る事が出来ない。
 あの夜、父を殺したあの赤い鬼人をも上回る、圧倒的な重圧。
 ともすれば萎縮しそうになる心を、彼は自嘲し、そして奮い立たせた。
「惰弱な。魔は狩る。それでこその七夜」
 そう呟くと、七夜は手にした七つ夜を素早く握りなおす。順手から逆手に。
 そしてアルクェイドに向かって一気に駆け出す。
 無拍子――行動の際の予備動作を消し去り、相手に動くタイミングを掴ませない、彼に出来る最高の体術。そして四足で走る獣のごとき、地を這うような低姿勢で、最初の一歩で最速に乗せる。これが七夜の奥義とも言える戦闘移動法。たとえどれだけ強力な「魔」でも、容易にその動きを捉えられるものではない。
 その上、徒手の人間は体の構造的に、腰から下の存在に対しては攻撃し辛い。アルクェイドの主な武器は、その手から繰り出される爪撃。それを封じつつ間合いを詰め、ゼロ距離での戦いに持ちこむ事――それが七夜が見出した勝機。
 もう一つの彼女の武器である空想具現化(マーブルファンタズム)。あれを使われては万に一つも勝ち目がない。それを出すだけの隙を与えない戦いをしなければならない。
「くっ!」
 一瞬反応が遅れつつも、それでも七夜の動きに反応し間合いを離そうとするアルクェイド。そうはさせじと七夜も駆ける。
 右か左か後ろか。見てから追ったのでは、彼女の神速の動きには到底追いつけない。アルクェイドの予備動作を盗み、先を読んで右に跳ぶ。
「――! このっ!」
 牽制で繰り出されるアルクェイドの膝蹴り。不利な態勢からとはとても思えない、雷光のようなそれの下に体を潜りこませる七夜。そのまま肩を使って、彼女の体を掬い上げる様に伸び上がる。
 同時に軸足を払い、完全に地に組み敷こうとする。受身など取らせるわけにはいかない。
 しかし、その足払いは空を切る。
 一瞬速く、アルクェイドが自ら大地に倒れこんだのだ。受身すら取らず背中から。
「何だと?!」
 逆に崩れる七夜の態勢。そこに柔道の巴投げのように繰り出された、アルクェイドの蹴り上げが突き刺さる。
「――!?」  腹が突き破られたのではないかと思うような衝撃。そのまま五メートルほど吹っ飛ばされた七夜は、ゴロゴロと大地を転がり、街灯にぶつかる事でようやくその動きを止めた。
 肺の空気は全て搾り取られ、まともな呼吸すらままならない。かろうじて鳩尾から外して食らった筈の攻撃であるにも関わらず、全身をつき抜けた痛みに体中が悲鳴を上げている。
 その痛みが、彼を現実に引き戻した。
「志貴を返しなさい。七夜志貴」
 そこに冷たく響く声。冷厳なる月の姫が、七夜に向かってゆっくりと歩を進めてきている。
 真祖とは。ブリュンスタッドの名を持つ吸血姫とは、これほどのモノなのか。
 相手を確実に組み敷くための完璧なタックルだった。それを無謀とも思える方法でかわした挙句に、きっちり反撃まで入れて来るとは。
 七夜は笑い出したくなった。
 全く、世界とはなんと厄介な代物を生み出してくれたのだろうか。
 こんな化け物に惚れられ、そしてまた惚れ抜いているもう一人の自分。何かの冗談かと思いたくなる。最強の退魔が、最強の『魔』と愛を育むなど。
「認められる、ものか!」
 一挙動で飛び起き、そのまま全身のバネを使い、背後の街灯に向かって跳ぶ七夜。全力で街灯の柱を蹴り飛ばし、彼は空を駆ける。
 目標は、アルクェイドの背後。肩口から左わき腹に掛けて走る「線」を狙う。
 驚いたのはアルクェイドだった。
 自分の一撃は、七夜志貴の戦闘能力を奪い去った自信があった。だがしかし、彼はこれほどの動きが出来るというのか。
 七夜の狙いは――背後。
「甘いわ!」
 振り向きざま、瞬時に伸ばした爪で七つ夜を受けとめるアルクェイド。そのまま力任せに腕を振りぬくと、彼の体はまるでピンポン球のように吹っ飛ばされ、宙を舞う。
 王手。後は追撃をかけ、今度こそ確実に意識を刈り取ればいい。そう思ったアルクェイドの足が一瞬すくむ。
 吹っ飛ばされた七夜から放たれる殺意が、ここに来て強まっている。
 自分を見据える七夜の眼には、今だ恐怖も諦めもない。真祖である自分をも一瞬たじろがせる意志の力。
 こんな眼をした人間には、アルクェイドは今まで一人しかあった事がなかった。
 あの時、ロアとの最後の決戦の前、シエルに向かって自らの決意を話した志貴の眼。
 それと同じ眼である。
 ――違う! 目の前の男は敵。あいつを倒さなければ、志貴は帰ってこない!
 一瞬の逡巡。しかしその瞬間、確実にアルクェイドの動きは止まってしまっていた



 ――今の俺にアレが出来るのか?
 刹那、自分に問い掛ける七夜。
 彼は無論自らの身体能力に自信は持っている。しかし過信はしていない。出来ないと思えば素直に退き、別の機会を窺う分別は持ち合わせている。
 だが、今だけは引く選択肢はありえない。この瞬間しかチャンスは無いのだ。
 だから、やるしかない。
 左足一本で無理やり着地し、吹っ飛ばされた勢いを殺す。無理な制動に、強烈な痛みが七夜の踝の辺りをつき抜けたが、それは折込済み。意志の力で痛覚を抑えこむ。
 アルクェイドの位置は――正面!
「極彩と散れ、アルクェイド!」
 裂帛の気合と共に、アルクェイドの心臓のあたりを走る「線」目掛けて七つ夜を投擲する七夜。
 予備動作の無いその一撃は一閃の雷光。直死の魔眼と組み合わさったそれは、正に必殺。
 だが、アルクェイド相手にそれだけでは、足りない。
 投げた七つ夜を追い、七夜自らも空に舞う。
 これこそが本命。指の爪で、アルクェイドの首の「線」を狙う。背面跳びの要領で一気に間合いを詰め、敵の首を遠心力で一気に捻り切る。
 ナイフを躱しても、防いでも、この攻撃は躱せない。
 七夜に伝わる究極の殺技。これこそが――極死・七夜。



 アルクェイドはその光景に絶句する。
 目の前の男は死徒では無い。教会の秘術で身体能力を増強した代行者でもなければ、その身に魔術を掛けた魔術師でもない。退魔の家に生まれたと言うだけの、まごう事なき人間の筈だ。
 それが、投げたナイフと同じ速さで空を駆けている。こんな常識外れの事が出来る存在は、二十七祖にもそうそういるものではなかった。
 天を跳ぶ七夜の姿は、まるで一瞬の舞踏のよう。ため息が出るほど美しいものだが、その裏に秘めているのは剣呑きわまる刃。
 自分の逡巡が致命的な隙を生んでしまった。その事に彼女はらしくもない後悔をする。もはやナイフと七夜自身、その両方をかわす事は出来ない。空想具現化で割りこむタイミングも無い。どちらかの攻撃は食らうか、防ぐしかない。
 周りの空気も、自分に迫るナイフも七夜も、全てが強烈な殺気をアルクェイドに対して放っている。その中でただ一つの「本物の殺気」を見極めなければならない。
 でなければ、負ける。真祖たる自分が、人間相手に。
 アルクェイドは心を静め、気配を探る。
 ナイフの放つ殺気は、周囲の気と同質。そして七夜自身の殺気もやはり同質。
 いや、少しだけ。ほんの少しだけ。彼女に向かって強い意識が放たれているものがある。
 見つけた。後は彼女自身がほんの少しの覚悟を決めるだけ。



 空を舞う七夜。ほんの一瞬星空に向けられていた視界が、アルクェイドのいる大地へと反転する。その視線の先には、目標たるアルクェイドが――存在していなかった。
「何だと!?」
 叫ぶ間もあればこそ。何か柔らかいもので体が抱きとめられる感覚。
「私の勝ちよ、七夜志貴」
 そう、耳元で囁かれた次の瞬間、大地に叩きつけられる七夜の体。
「がッ……は……」
 下が土だった事。胸の辺りにアルクェイドの腕が差し込まれていた事。そのお陰で、肋骨が折れて肺を傷つける、などといった致命的な怪我は負わずに済んでいるが、三メートルほどの高さから、アルクェイドの体重がプラスされたボディプレスである。さすがの七夜も、声すらまともに出す事ができない。
 その間に完全にアルクェイドに押さえ込まれてしまった。チェックメイトである。
「凄い技ね。二十七祖だってアレを見切れる者はそういない筈よ」
 七夜を抑えつけながら、感心したようにアルクェイドは言った。
「…まさかあのタイミングで、見切られるとはな」
「短刀はフェイクだったんでしょ? だからわざと食らったのよ。それでもかなり痛かったけどね」
 口惜しそうに言葉を搾り出す七夜に、あっけらかんと答えるアルクェイド。その腹には柄まで七つ夜が潜り込んでおり、純白のハイネックのセーターのその部分は赤く染まっていた。
「今だったらシエルの黒鍵だってまともに刺さらない自信あるんだけどな。まさか夜の真祖に単なる武器でこれだけの傷を負わせるなんてね。あの「殺意の結界」といい、込められたあなたの意思力が凄かったと言うべきなのかしら」
「……なるほどな。大した『魔』だ、次元が違う」
 そう言って、クックと自嘲気味に笑い出す七夜。やがてその笑いは心の底からのものに変わる。ひとしきり笑った後、七夜はポツリと呟いた。
「お前と話がしたい。離してくれないか?」
「…このままでも話は出来るわよ?」
「大事な話だ。負けた以上俺はもう戦う気は無いし、遠野志貴も返してやる」
 冷たくそっけない口調だったが、嘘は含まれていない。そう感じたアルクェイドは押さえ込みを解いた。先ほどの戦闘の面影のまるで無い、のろのろとした動きで起き上がった七夜は、そのまま胡座を組んでアルクェイドに向き直った。アルクェイドもその向かい側に腰を下ろす。
「俺の時間はそろそろ終わる。その前にあいつと俺の関係について、お前に聞いておいてもらいたかった」
「関係って……志貴の殺人衝動の顕在化、それがあなたなんじゃないの?」
「違う」
 七夜は首を振った。
「あくまでオリジナルは俺だ。一族が滅ぼされた時、遠野槙久――ああ、秋葉の父親だ――が、強力な暗示と催眠によって、俺の中の御しやすい部分を元にして作り上げた人格。それが遠野志貴の元だ」
 その言葉にアルクェイドの表情が陰る。
「じゃ…じゃあ、志貴は…」
「フン、誤解するな。あくまで槙久が作り上げたのは元でしかない。十年の間にあいつは遠野志貴として生きて、その人格を育んでいった。もはやこの体は遠野志貴のものなんだ。俺は邪魔者でしかない」
 七夜はまた、自嘲気味に笑った。その言葉でアルクェイドは悟った。
 魔を狩る事だけしか教えられない内に、心の奥底に封印された七夜志貴。死徒や魔王を狩るためだけに作り出され、それ以外の事は教えられなかったかつての自分。
 人と魔、男と女の違いはあっても鏡で写し出したかのような存在が、自分の目の前にいる。
「消える事、無いんじゃないの?」
 少し寂しげな表情を浮かべたアルクェイドは、ぽつりと呟いた。
「そりゃ、ずっとあなたでいられたら私だって、妹だって皆困ると思うけどさ。でもたまに出てくるくらいなら良い……と思うんだけど」
 その言葉に、意地の悪い笑みを浮かべる七夜。
「フン、願い下げだ。誇り高い退魔の末裔の癖に、夜毎愛しげに「魔」の姫を抱くような奴の体、これ以上使っていられるか」
「――?! な…な…なんでそれを?!」
 いきなり放りこまれた爆弾発言に、一気に顔を赤くするアルクェイド。
「あいつは俺の存在に気付いていないが、俺はあいつの記憶は共有している。でなければ、お前の名前を知っているわけがあるまい? アルクェイド・ブリュンスタッド」
「そ…そりゃそうだけど! それって覗き見してるようなものじゃない! 撤回撤回! 前言撤回! あなたやっぱり消えて良いわよ!」
 取り乱し童女のように叫ぶアルクェイド。その姿を面白げに見ていた七夜の表情が、ふと真剣な物に戻る。 「最後に一つ聞きたい。種族も違う。寿命も違う。お前は永遠を生きるが、あいつの寿命はあきれるほど短い。恐らくそう遠くない未来、お前とあいつは永遠に別れる事になるだろう。お前ほど強力な『魔』との間では、子を成す事も叶うまい」
「……ええ。真祖と人間の『混血』はとても難しい事でしょうね」
「……この世に「遠野志貴」のいた証は、必ず全て消え去ってしまうのだぞ。それでも、お前はあいつを愛せるのか?」
 そう、それは確実に立ちはだかる未来の壁。
 でもアルクェイドの中で、その答えはすでに決まっていた。だから彼女は満面の笑みを浮かべる。
「ええ。もちろん。志貴に殺してもらって私は世界を知った。この一年、私は志貴にとても沢山の、素敵な事を教わった。だから私は志貴に返せるだけ返してあげるの。その命がある限り、アルクェイド・ブリュンスタッドは遠野志貴を愛し抜くわ」
「……真祖の吸血衝動は、異性に対する愛情に比例すると聞いた。お前が志貴を愛すれば、それだけお前の限界も近づく。いよいよ、となったらお前はどうする気だ?」
「その時は、真祖という種が地球から消える。私は志貴が好き。だけど「志貴だった死徒」は見たくない。志貴も魔王になった私なんか見たくないでしょうね。だからその時、私は滅びる。志貴に殺してもらって、笑いながら逝くの」
 己の思い人への愛をその笑顔に込めて、アルクェイドは七夜に向かってそう言いきって見せた。 「……その言葉、違えるなよ」
 それを聞き届けた七夜は満足そうな笑顔を浮かべて、眼鏡をかけようとした。
 恐らくそれが七夜の消える合図なのであろう。そう思ったアルクェイドは、手を伸ばして彼の腕を止めた。
「……? どうした?」
「私も最後に一つ聞きたいわ。何故私と戦ったの? 昼ならいざ知らず、夜、なんの準備も無しに私に勝てると思うほど、あなたは愚かではないでしょう?」
 七夜は意外そうな顔をした後、クックと笑って、言った。
「……そんなもの決まっているだろう? 七夜志貴は「魔」を見逃すわけにはいかん。ただ、それだけだ」
 そう言って、七夜は眼鏡を掛けた。




−3−





 志貴が目を覚ましたのは、深い森の中だった。太陽の光すら届かない、暗く深い森の中。
 公園にも遠野の敷地にもこれほどの森はない。貧血で倒れた筈なのに、何故こんな所にいるのか。しかも、初めて来た筈の場所なのに、不思議な懐かしさを覚える風景だった。
 首をひねりつつ、きょろきょろ辺りを見まわす志貴。
「その様子だとこの場所の事も忘れているようだな」
 不意に背後から声を掛けられる。立ちあがって、振り向いた志貴の目に映ったのは自分の姿だった。顔も、着ているものも一緒。
 違うのはただ一つ。目の前の青年は眼鏡を掛けていないと言う事だけ。
「君は……? そしてここは一体……?」
「お前の――そして俺の心の奥底に眠る七夜の森を再現したものだ。お前が見ている夢だとでも思っておけばいい」
「夢……」

 茫洋と呟く志貴。  言われてみれば、確かに目に見えるものにも、肌に感じるものにも確たる感触がない。ただ目の前にいる男のみが現実感を持って佇んでいた。
「そして俺は七夜志貴。本来のお前であり、今のお前にとっては……まぁ、悪夢みたいなもんだ」
 そう言って皮肉げに笑う青年。志貴は記憶を探った。
 ――そう言えば秋葉が言っていた。俺の本来の苗字は七夜で、俺はその唯一の生き残り。槙久の気まぐれで遠野志貴として育てられたのだ、と。
「俺が遠野志貴として生きていなかった場合の俺、それが君なのか?」
「まぁ、実際お前の中で俺もちゃんと生きてはいたんだがな。何度か助けてやったろ?」
 その言葉に、はたと思い出した志貴。ネロと戦った時。そして去年の今日、町で初めてアルクェイドを見かけた時。いずれも、心の内からの衝動に身を任せ――そして結果はああなった。
「あれは君の声だったのか…何故あんな真似を?」
「お前までそれを聞くとはな。退魔たる俺が魔を見過ごせるわけがなかろう? ただ、それだけの事。……まぁ、そんな事はどうでもいい。あまり時間もないしな」
「……時間?」
「夢は必ず覚めるものだろ?」
 意地の悪い笑みを消し、七夜は志貴に問い掛けた。
「お前は必ずアルクェイドより早く死ぬ。残されたアルクェイドは、お前を失った悲しみを抱えたまま、長い時を生きなければならない。その事が分かっていてなお、それでもお前はアルクェイドを愛するのか?」
 その言葉に志貴は内心苦笑した。自分と同じ顔をした男にそんな事を聞かれるとは。しかし問いに対する答えなど、ずっと前からもう決まっているのだ。
「……あいつは、アルクェイドは今まで何も知らないで生きてきたんだ。だから俺はあいつに、世の中は本当は楽しいって事を教えてやりたいんだ。これから先の哀しい事を、辛い事を乗り越えられるだけの楽しい思い出。それをあいつに与えてやるんだ。その役目は他の誰にも渡さない。渡してたまるか。あいつを殺して、あいつをコワした責任は俺が取る、そう決めたんだから」
 そう言い切った志貴の顔には何の迷いもない。それを見た七夜は、心中で盛大にため息をついた。
 ――誇り高い退魔の末裔が、よりにもよって魔の姫にこうまで惚れるとは。挙句むこうもこいつにベタ惚れときたもんだ。
 全く、どちらもどうしようもない。どうしようもないほど落ちこぼれで、そして微笑ましい――
「……フン、そろいも揃って。その道の険しさ、進んでみて後悔するがいい。俺は付き合いきれんがな」
 その言葉に愕然とする志貴。 「付き合いきれないって……君は、消えるつもりなのか七夜志貴。何も消……」
 そう言い掛けた志貴に、どこから出たのか、と思うくらいの速さで七つ夜が突きつけられた。
「その先は言うな。この体にとってもはや俺は害にしかならん。そのような無様を続けることは、俺自身が我慢できんからな。お前はそのまま、自らの選んだ道を歩きつづけろ。引き返す事は許さん」
 そう言って、七夜はくるりと手の中の七つ夜を半回転させる。
 困惑しつつもそれを受け取る志貴。その途端、すさまじい勢いで彼の中にイメージが流れこんでいった。
 それは志貴の忘れていた幼い頃の記憶。
 七夜の里。里の子供達と遊び、笑いあった日々。そして厳しくも不器用な愛情を見せてくれた父。彼に叩きこまれた、七夜としての生き方と、厳しい訓練。
「こ……れは……?」 「餞別だ。体がいくら技術を覚えていても、お前自身が戦い方を忘れていてはどうにもならん。その力で、お前の大事な奴を守ってやるがいい」
 そう言って、七夜は踵を返した。そのまま振り返る事もなく、深い森の中へ歩みを進めていく。もはや引き止める事は出来ない。そう悟った志貴は、だから素直な思いを言葉にした。
「ありがとう、七夜志貴」
 その姿が完全に森に飲まれる前に、その背中に向かって投げかけられた志貴の言葉。それにも歩みを止める事無く、七夜は姿を消した。




 再び志貴が目を覚ました時、視界に飛び込んできたのは優しい笑顔を浮かべたアルクェイドの顔だった。
 少し目を動かしてみると、飛び込んできたのは見慣れた公園の風景だった。後頭部の、ひどく柔らかく気持ちの良い感触に彼は目を細めた。どうも膝枕をされてるようだ。
 気恥ずかしさから志貴は起きあがろうとしたが、その瞬間全身を突き抜けた傷みで彼は固まってしまった。
「あ,ダメだよ志貴。少しおとなしくしてて」
「……ああ、あのボディプレスは効いたよ」
 苦笑する志貴に、アルクェイドはビックリする。あの戦いは七夜との戦いだった筈なのに。
「え、志貴、なんでそれを……?」
「あいつからもらったんだ。持っていた記憶を。全部じゃないと思うけど。でもさっきの戦いは知ってるよ。まぁそれはともかく――ただいま、アルクェイド」
「お帰り――お帰りなさい、志貴」
 三日月の薄い月光の下、志貴に向かって微笑みかけるアルクェイド。その美しさに、志貴はため息をついた。太陽の下でも輝く美貌は、月の下では正に珠玉の美であった。月の寵愛を受け、月の光にこそ映えるべく生み出された、この世ならざる魔性の美貌。
 しばしその美しさに魅入っていた志貴は、大事なことを思い出しアルクェイドに問いかける。
「アルクェイド、今何時か分かるか?」
「ん〜、日付が変わるまであと十五分ってトコかしら」
 良かった。間に合った。志貴は安堵する。問題としてはこれから行おうとする事に対して、明らかに今の態勢では格好つかないと言う事だったが、まぁこれは仕方ないだろう。
「アルクェイド、ちょっと聞いて欲しい」
「ん〜、何? あ、昨日言っていた「大事な話」って奴? 何々?」
 頷いた志貴は、アルクェイドの目を見据えて、言った。
「俺が高校卒業したら結婚しよう、アルクェイド。俺は若すぎるかもしれない。秋葉とか大反対するだろう。生活だってどうなるかわからない。でも決めてたんだ。今日、必ずプロポーズするって。指輪も何も渡せないのが残念だけど」
「……し、志貴……!」
 志貴の言葉にそう呟くと、しばらく固まっていたアルクェイド。やがて彼女の頬を、一滴、二滴と銀の雫が伝い、志貴の顔を濡らした。
 アルクェイドは、膝枕していた志貴をゆっくりと、本当にゆっくりと引き起こし、そのまま後ろから抱きしめた。
「あ……アルクェイド?」
「ごめ……志貴。嬉しすぎて自分でも何をしているのか。痛かったら本当にごめんなさい。でも……でも私は吸血鬼なのに。人とは違う化け物なのに。プロポーズしてもらえるなんて…思ってもなかった……ありがとう、志貴」
 その言葉は、反則だった。志貴の心の中に、狂おしいほど愛しい感情が湧きあがる。
 この白い泣き虫なお姫様を抱きしめてやりたい。その涙を拭ってやりたい。痛いだなんてとんでもない。体の痛みなんかどうでもよかった。
 こんな不意打ちのようなプロポーズに、最高の答えを返してもらったのだ。
 だから彼だって気持ちを態度で伝えたかった。
「アルクェイド」
「しきー、もう、もう絶対に離さない!」
「アルクェイド、ちょっと腕、解いてくれないか?」
「ふぇ? や、やだ! もう絶対離してあげない。志貴の事、もう離したくない!」
「それは嬉しいんだけど……困ったな。この態勢だとお前の顔も見れないし、おまえを抱きしめてやれない」
 志貴がそう言うと、はっとアルクェイドの体が揺れ、ゆっくりと腕が解かれた。
 もう体の痛みなど気にならない。彼はゆっくりと、そのまま膝立ちでアルクェイドに向き直った。
 涙で顔をぐちゃぐちゃにして、志貴を見つめるアルクェイド。
 そんな顔なのに、このお姫様は本当に綺麗だった。
 先ほどの戦いの名残で、腹の部分が赤く染まった彼女のセーター。そこに志貴はそっと右手を伸ばす。
「大丈夫か、アルクェイド。七夜が随分無茶したみたいだけど……」
「ん、もう大丈夫よ。ふさがってるから」
 アルクェイドはそう言って、刃をしまった七つ夜を志貴に返す。志貴はそれを左手で受け取り、傷痕に伸ばした右手をそのまま背中に回し、そっとアルクェイドを抱き寄せた。
 夜のアルクェイドは最強の退魔師すら問題としない圧倒的な存在。でも今、志貴の腕の中に収まっている彼女は、同じ存在とは思えないほど柔らかく、そして温かかった。
 愛しさがこみ上げ、志貴はアルクェイドの髪をくしゃくしゃと撫でた。彼女はそれをいやがる素振りも見せず、目を細めて、志貴のなすがままに任せていた。
「ねぇ、志貴」
 不意に上目遣いで自分を見つめるアルクェイド。既に涙は止まっているその顔に、悪戯っぽい笑みが浮かんでいた。
「男の人が結婚する時って、相手の女の人の父親にお許しをもらうんでしょ?」
「ん〜、まぁ、そういった事は多いと思う、けど」
「七夜はさ、きっと今日志貴がプロポーズするって事、知ってたんだよね?」
 志貴はちょっとビックリした顔をして、アルクェイドを見つめた。
「えへへー、「お父さん」に認めてもらえたんだね、私」
「……なるほど、そう言う事だったのか」
 苦笑する志貴。
 話したのはあれが最初で最後だったもう一人の自分。しかし非常に彼らしい、相手の見極め方と祝福の仕方、と言えるかもしれない。
「妹にも認めてもらえるかな? 私、志貴の妹だからって理由じゃなくて、妹の事も気に入ってるから、やっぱり妹にも認めてもらいたい……」
 少し不安そうな顔をするアルクェイドを、殊更強く、志貴は抱きしめた。 「大丈夫、絶対説得するよ」
 ――みんなを守る、それが七夜との約束だから。だから必ず秋葉にも分かってもらうんだ。
 そう、心の中で呟いて、志貴はアルクェイドの顔を引き寄せた。




End





  ・後書き。


 「月姫」と言う素晴らしい作品に出会い、そして数多の優れた二次創作作品を目にするうちに、どうしても自分の中の書きたい欲望を抑え切れずこうして書いてしまいました。人生における初の二次創作作品です(汗
 HP作成に当たって、多少の修正はしましたが、概ね初めて書いた時と変わらぬ状態です。やはり良し悪しにつけ、生まれて初めて書いたSSというのは思い出深いものですから。
 戦闘パートは正直手探り状態で、どう書いたら迫力が出るのか、全く分からずにああいったものになりました。戦闘描写に苦しんでいるのは現在も変わっていなかったりしますが(^^; 少しでも躍動感が出ているとよいのですが。
 反面、アルクェイドと七夜の会話は、書いていて一番楽しかったです(笑 勿論、七夜の語る志貴との関係は俺の中での勝手なでっち上げです。一応、うちの二次創作作品ではそう扱っていく予定です。
 それにしても…物分りの言い七夜(苦笑 なんか想像以上に良い人になってしまって、これはかなり計算外でした(笑
 ではでは、ここまで読んで頂けて、どうもありがとうございました。
 次の作品で、また。