■ 愛物語 サンプル ■







 自分を殺そうとした相手と和解出来る者は、世の中にそう多くは無いじゃろう。正確に言うと殺してすらもらえなかった訳じゃがまあそれは些細な事じゃ。
 かつて吸血鬼であった儂は、現在その力のほとんどを奪われて、阿良々木暦という名前の人間の少年に従属するという辱めを受けておる。本来の名は失われ、「忍野忍」なる名前までつけられ徹底的に縛りあげられてしまった。
 本来なら決して許さず口もきかず、徹底的な関係の断絶を図っても何の問題もないほどの所業をされたわけじゃが、それでも儂は歩み寄る事を決めた。
 決めた理由は、正直なところ自分でもよく分からぬ。
 儂を殺せば元に戻ると唆してやったのを、あっさりと首を横に振ったのが決め手かもしれぬが、それが全てではなかったと思う。
 そう。少年は儂を縛っておる代償に、人間もどきとでもいうべき吸血鬼の力を少し宿した半端ものになっておる。儂は暦の血を吸わねば生きていけぬし、暦は儂を生かし続けるという罰を背負い血を差し出し続けておる。共生関係とはとても言えぬ。儂の存在は真実あ奴の胸先三寸なのである。じゃというのに、あ奴は頑として儂を見捨てる事を選ぼうとはせなんだ。
 そんな態度を見せられれば、儂としても歩み寄りを考えざるを得なかった。しかし重ねて言うが、己が命惜しさだけが理由というわけでは、断じてありえぬ。
 そしてその理由を突き詰めて考えると、儂としては非常に面白くない結論に達せざるを得ない。
 そもそも、先に暦の血を吸ったのは儂の方である。
 吸血鬼と言うモノは、元来血を吸った相手を支配できる力を持っておる。それは相手の意思に関わらずこちらの言う事を聞かせる、などと言う生易しい物ではもちろんない。そんなものはしょせん服従止まりであり、気のきいた催眠術の一つも使えば、そこらの怪異でもできる程度の手品に過ぎぬ。
 細胞の一欠片まで思うがままに儂の意思を行き渡らせ、瞬き一つも己が思うままにはさせてはやらぬ。それこそが支配であり、かつての儂のような怪異の中の怪異に与えられた力の象徴であった。
 それだけの力をしかし儂は録に振ろうた記憶がない。そもそも支配してやろうと思う相手に出会った事がほとんどなかったのじゃから仕方がない。
 儂にとって人類は食料であった。人間がこれから胃袋に収める豚や魚をわざわざ自分のほしいままにしてやろうと思う事などないように、人類に対してそんな特別な感情を抱く事自体が、言ってしまえば屈辱的ではあるまいか。
 ――とはいえ、まったく無かったわけではないんじゃが。
 かつて血迷ったように作りだしてしまった一人目の従者はあっさりと儂に背を向け自ら太陽にその身を差し出しおった。そして、二人目の従者たる阿良々木暦に至っては、よりにもよって我が想いを踏みにじり、死ぬよりもなお辛く苦しい辱めを儂にもたらしおったというわけじゃった。
 そう。想いは踏みにじられた。儂は暦に特別な思いを抱いておる。
 共に永遠の夜を歩めという想いはすげなく振り払われ、逆に儂は暦の死すべきその時まで、共に在り続けなければならぬ。今すぐにもその首を叩き落としてやりたくなる憎しみと、そして同じだけ積もり重なった別の感情が、儂に歩み寄りを決意させた。
 決意はさせたのじゃが。
 それでも、許せなくなる事だっていくらだってある。


 我があるじ様たる阿良々木暦には、人間の恋人がいる。戦場ヶ原ひたぎという名のその少女は、深すぎる愛情の方向が時折物騒な方向に向くきらいはあるがまあ、あるじ様をよく愛しておる小娘じゃろう。お似合いである、とは断じて口にしてやらんが。
 むろん従僕としてはあるじ様の恋愛関係にあれやこれやと口を出す、などという無粋な真似をするつもりはない。感覚が繋がっているので、あるじ様と小娘が盛っておる時にいささか気持ちのやり場に閉口する位じゃが、まあその辺りは飲みこんでおくより他が無い。
 しかし、その事はあるじ様も小娘も分かっている筈じゃった。伝わっておる事も。儂が我慢している事も。
 小娘の方に配慮せよ、などというつもりは無かったが、それでもあるじ様に少しくらいの遠慮を求めるのは儂としても当然の権利である。
 ――権利ではあるが、さすがにそんな事口が裂けても言えるものかよ。
 それくらいは、いくら鈍いあるじ様だって分かってくれる物じゃと思っていた。
「……やっぱり、もう少し気を使った方が良いのか?」
「うむ?」
 じゃから、小娘の家から戻ってきたあるじ様が、神妙な顔でそんな事を口にした時、最初は意味が分からなかった。
「こうさ。最近僕がガハラさんの家から帰ってくると、不機嫌な顔してるだろ。お前」
「な……にを、。何を言っておるんじゃ、あるじ様よ」
「ほら。今もさ。お前が僕の事を許さないってのは分かってる事だけど、それでもそんな目で見られるとやっぱり、さ」
 あるじ様が言っている言葉の意味を理解して。
 儂は、全身の血が沸騰したかのような思いに駆られてしもうた。
「ぬけぬけと、よくも言うたもんじゃな……」
「忍?」
 間抜け面を晒しているあるじ様に向かって手招きすると、ひょこひょこ儂に向かって近づいてくる。
 そのまま、無防備に晒されている首筋に向かって儂は勢いよく齧りついた。
「ッてぇェェェっ!?」
 無遠慮に食らいついてやったせいか、目を白黒させているのが伝わってくる。しかし振り落そうともせず、儂の吸うがままに任せているのが、なおの事腹が立つ。
 口の中に広がる、あるじ様の熱い命の息吹。陶然と脳髄を痺れさせる甘い血潮を、遠慮会釈なく儂は吸い上げていく。
「って、待て、待て忍! お前吸い過ぎ……!」
 知った事か。
 ぶら下がるように吸いついていた筈の儂の体が、いつの間にか両足が血につき、そしてわずかに頭を屈めて首筋に頭を埋めるほどになっていく。普段の儂はあるじ様に力を奪われ情けない幼女の姿を晒しているのじゃから、血を吸い力を取り戻せば、自然かつての姿に近づいていくのが道理である。
 あるじ様の体を開放してやると、怒りと困惑の混ざった視線で儂を見上げてくる。いつも見上げてばかりじゃから、こういう関係も久しぶりで新鮮であるのう。
「くっく。全盛の半分くらいじゃとは言え、やはり悪くないのう」
「のう、じゃないだろ! お前そんなに力取り戻して何おっぱじめる気だよ!」
「さてのう。とりあえずはどうしようもない阿呆な事をのたまったお前様に、少しばかりお灸を据えてやろうかとな」
 腕組みして睨みつけてやると、あるじ様は一歩後ずさりする。
「いやいやちょっとまて。阿呆な事って、何がだよ!? 僕はお前に気を使って……」
 ――弁護の余地なし、じゃな。
「お前様のような人の気持ちを分からぬ男はじゃな、少し頭を冷やして儂の気持ちを味わってみるがよい!」
 そう告げた儂は、一つの姿を頭に思い浮かべ、あるじ様に向かって突き付ける。
「え、お前、何をい……」
 言いかけたあるじ様の言葉が途絶え、その場にしゃがみ込む。うめき声と共に二転三転、床を転がっているその体が、少しずつ、少しずつ縮んでいく。
 それも数秒ほどの出来事であったろう。
 起き上がってきたあるじ様は、ぶかぶかの服に身を包んで所在なさげに儂を見上げておる。
 元々小柄なあるじ様の背が、さらに頭一つほど小さくなっている。男として骨格や肉付きが出来る前の、危うい雛のような背格好。儂の欲目を差し引いても、それは見る物を惹き付けてやまぬ魅力を放っている。
 何が起きたのかよく分かっていない顔で、きょとんとこちらを見つめてくる。その姿に一も二もなく抱きつきたくなるのをぐっと堪えて、儂は立ちあがり、胸を逸らして重々しく口を開く。
「お前さ……ごほん、う、うぬがそのような姿になっているのは、儂が命じたからじゃ。しばらくは、頭を冷やして反省するがよい」
 長い間幼女の姿に押し込められていると、こうして高い視点からあるじ様を見下ろすというのは酷く新鮮なものである。見た目どおりに関係がひっくり返っているのを、果たしてあるじ様は理解出来ているのだろうか。
 はたして小首を傾げたあるじ様は、座りこんで儂を見上げたまま、不思議そうな声で言った。
「お姉ちゃん、一体誰?」
「…………え?」







 言ってしまえばそんな些細な出来心であったのじゃ。
 聞き分けのない反抗期の子供に、親が「小さい頃はもっと素直だったのに」と思うのは割と普通の事であろう。あるじ様もそんな時期があったのかもしれない。そんな事が頭を掠めてしまい、思わず、思わず試してみたくなったのは不可抗力であると声を大にして訴えたい。
 もちろん思った所で出来るかどうかは別問題。というかそもそも普段の儂はあるじ様の影であり、どうこうできる筈もなかった。しかし腹立ち紛れに普段より多くあるじ様の血を吸っていた儂は、少しばかり強めに力を取り戻していたらしい。
 とは言え儂が命じたのはあくまで器の変化であり、せいぜい幼子の気分を味わってみよというつもりでしかなかったのじゃが。
 とりあえず、まずは色々確認しておかねばなるまい。
「……うぬの名前は?」
「阿良々木暦だよ」
「うぬの家族は?」
「お父さんとお母さん! あと妹がいるよ! 火憐ちゃんと月火ちゃん」
「で、儂は?」
「…………えと、誰?」
 ベッドの上で二人正座で向かい合い、間抜けな問答を繰り返している。
 突きつけられた現実に儂は頭をたれてうな垂れてしまう。自分の名前は分かっておるらしい。家族との関連性も問題ないようじゃ。しかし、儂の事はすっぱり頭の中から抜け落ちてしまっているようじゃった。
 いや、それは本当に儂のことだけなのじゃろうか。
 あまりすすんで確認したくはない事なのじゃが、はっきりさせておかねばならぬ事かも知れぬ。
「ところで、うぬよ。自分の、その。彼女のことは覚えておるか?」
 気に入らぬが、あるじ様にとってあの戦場ヶ原ひたぎと言う小娘の事は切っても切り離せぬ関係となっておる。姿の変貌が、一体どこまで記憶の混乱を招いているのか、線引きの一つになるのではなかろうか。
 しかし儂の問いにあるじ様は首を傾げて。
「……彼女? 僕に?」
「えっ」
「えっ」
「いや、その、じゃな。うぬの彼女である、あの戦場ヶ原ひたぎと言う小娘の事をじゃな」
「なに言ってるの、お姉ちゃん。僕に彼女なんているわけないじゃないか。そんな物が出来たら、人間強度が下がっちゃうよ?」
 ひどく真顔で、あるじ様はそんな事を言ってのけた。
「あー……うむ、分かった。よく分かった」
 あの路地裏で初めて儂と出会った時、「食わせろ」と言う無茶な願いを、この男は受け入れてみせた。普通の人間ならば尻尾を巻いて逃げ帰るだろうそんなお願いに応えてみせたあるじ様は一体どんな精神の持ち主なのかと思ってはいたが、なるほどこの時分からそんな捻じ曲がり方をしていたのならば頷けると言うものじゃな。
 しかし。しかしじゃ。
 儂は心の底からこみ上げて来る笑いを堪える事が出来なんだ。
 この国の人間ならば中学生に入るか入らないかくらいの大きさじゃろうか。この姿の通り、今のあるじ様にはあの小娘の記憶がない。おそらくは、あの委員長の記憶も、そして儂と出会って以降の人間関係の記憶も喪失しておるのじゃろう。
 思わぬ副産物じゃった。
 いずれは元に戻さねばならぬとは言えども、しばらくは。そう、この一夜の間くらいは儂と共に夢を見せておけると言う事じゃろう。
 憎くて、憎くてたまらぬあるじ様への、この感情をひっくり返して共にはしゃげる夢を。
「儂は、忍じゃ」
「しのぶ?」
「うむ。忍野忍。それが儂の名じゃ。うぬの主であり、そして一時の夜を共に駆ける吸血鬼である。決して忘れずに覚えておくがよい」
「お姉ちゃん、吸血鬼なの!?」
 儂の言葉にあるじ様は跳ね上がり、怯えるような目で儂を見つめて言った。
「ぼ、僕の事、食べちゃうの……?」
 ああ。
 その部分の記憶も、抜け落ちておるのか。
「もう手遅れじゃぞ?」
「えっ」
「儂は、もううぬを食べてしもうたからな。うぬも立派な吸血鬼じゃ」
「えーっ!?」
 せいぜいひどく悪い笑みを浮かべて、儂はあるじ様へとにじるよる。
「儂はうぬの血を吸い、従僕へと変えてしもうたからな。じゃから儂の言う事に、うぬは絶対服従じゃ。何でも言う事を聞かねばならぬ」
「そ、そうなの……?」
「右手を上げよ」
 重々しく告げると、あるじ様はぜんまい仕掛けのように背筋を伸ばして、勢いよく右手を跳ね上げる。
「左手を上げよ」
 万歳の姿勢に変わる。
「立ち上がり、三回回ってワンと鳴け」
「そ、そんなこと……あれ?」
 躊躇う姿も一瞬で、あるじ様はベッドの上でぐるぐる回って可愛らしく犬の鳴き真似をしてみせる。
 これは、たまらぬ。
 人の子を従僕にする同族の感情は今の今まで理解できなんだが、なるほど、これは癖になりそうじゃ。
「儂の手を取り、窓の外までエスコートせよ」
 言われるがまま、可愛らしい従者は儂の手を引き、部屋の窓を開ける。冬の足音が聞こえてきそうな清々しい夜風が髪をなぶり舞い上げ、十六夜の光が儂の体を包みこむ。
「では参ろうか、我が従僕よ」
「ど、どこへいくの? 忍お姉ちゃん」
「決まっておろうが。夜は儂の時。そして目に見えるものは儂の世界そのものじゃ」
 あるじ様の体を引き寄せ、子脇に抱き締める。
 儂はそのまま身を乗り出し、外へと舞い降りたのじゃった。







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