■ 月奏 サンプル1■






 俺の彼女は吸血鬼。そんな事を真顔で言ったら、頭がおかしい人間扱いされてしまうだろうか。しかし事実は小説よりなんとやらと言う奴で、彼女は嘘偽りなく人間ではなかったりするのだ。
 とはいえ、一般的に思い浮かぶ「吸血鬼」像から程遠いのも事実なのだけれど。平然と太陽の下を出歩いたりするし、白木の杭は刺さるどころか砕け散る。十字架を見せてもにっこり笑って、「綺麗な装飾だよね」などとのたまいかねない。唯一ニンニクだけは苦手なご様子で、いつぞやラーメンの具に使った時にはひどく恨まれたものだっけ。
 そして何より、彼女は人の血を吸わない。
 そう。俺の大切な想い人、アルクェイド・ブリュンスタッドはこの世で唯一人残った、血を吸わない吸血鬼のお姫様なのだった。
 月の光を編み上げたような、豪奢な金色の髪は惜しい事に肩口で切りそろえられている。天然の王冠に彩られたその顔は、まさしく姫と呼ばれるのにふさわしい気品に満ち溢れている。とはいえ中身が色んな意味で追いついていないのが残念で、そして例えようもなく魅力的なんだけど。
 俺の隣で寝息を立てている、彼女の肢体は今は何も身に付けていない。ほのかに赤く色づいたその肌から伝わる温もりは、つい先ほどまでお互い激しく求め合った名残が気恥ずかしくなるほどに伝わってくる。
 傍目にみても高級なマンションの最上階を全て借り上げる。そんな割と常識外れた真似を平然とやれる彼女である事に、毎度のことながら感謝してもしたりない。一応俺の家もそれに負けず劣らず、と言う感じではあるのだけれど。流石にあの気難しい妹様がいる家でそんな真似をしていたら、冗談抜きで命が危ない気がする。
 とはいえ、だ。
「なんかこう……傍目に見たら駄目カップルだよなぁ……」
 なんとなく口をついたその呟きがあまり笑えない事に気付いて、俺は深くため息をついた。
 時間があれば彼女の家に転がり込んで、だらだらとテレビを見たりゲームをしたり、他愛もない事で笑いあって、そして獣のようにセックスして。
 そんな自堕落な付きあいが出来ている事が奇跡だ。それも分かってはいる。俺とアルクェイドは、あまりにも異常な状況で出会って、結ばれて、そして離れ離れになりかけたのだから。
 今一緒にいられる。その事にどれだけ感謝してもし足りない。だけど現状に満足すればさらに先を求めてしまうのは悲しいかな人間の習性なのである。
 腹を括って、「結婚を前提として付きあっております」と秋葉の前にアルクェイドを連れて行くべきだろうか。いやもう当然お互い知ってはいる仲だけれど、なんかこう、けじめとして。

「馬鹿な事言ってないで、兄さんはまずはちゃんと大学卒業してください! 留年なんてもってのほか! 遠野家の長男として、最低限恥ずかしくない成績を見せるのが義務でしょう!」

 ――完全に再現された音声付でそんな妹の台詞が想像できて、俺は慌てて頭を振った。
 駄目だ。全く以って秋葉の言動が正しすぎる。反論の余地がまるでない。せいぜい空いている時間にアルクェイドの家に通う位が、あいつの示せる最低限の妥協点なのだろう。
「何やら悩んでおるようだが」
「ん?」
 耳元に囁かれた声に、俺は顔をそちらに向ける。
 寝ていたはずのアルクェイドが、目を空けてじっと俺を見つめている。
「あ、悪い。起こしちまったか」
 苦笑いしながら、俺はベッドの脇のサイドボードに向かって手を伸ばす。起き上がるには、眼鏡をしないと。夜のアルクェイドと違って、世界にはあの忌まわしい線が多すぎる。
 そんな俺の手が、ゆっくりと彼女の手に引きとめられる。
「構わぬ。今度はそなたも共に眠るのだからな」
「え?」
 俺を見つめる、アルクェイドの瞳の色が変わっている。紅玉のような赤ではなく、その髪と同じ、鮮やかな金色に。
 そして、普段とは明らかに違うその口調。
「おま……!」
 言い終える間もなく、俺の意識はあっさりと濁り、溶けていったのだった。





 ズキズキと目の裏辺りが痛む。そんな不快な感覚で、意識がゆっくりと引き戻されていく。
 胡乱な視界の霧がゆっくりと晴れていく。差し込んでくるのは無遠慮な太陽の光ではなく、蒼く淡い月の光だった。
 名前も知らない花が咲き誇り、蒼く、白く風に花びらを散らせ舞い上がる。夜が輝き昼が色あせ遠ざかる。このような場所を俺は一箇所しか知らない。かつてアルクェイドが繋ぎ留められ、そして今、彼女が影としてその身を残す場所。
 地上に在りて月にもっとも近しい、千年城の中庭だった。
 そして俺をここに引きこんだ張本人が、向かい合い、不敵な微笑を浮かべている。
 その顔も、その体もアルクェイドそのものだ。しかし蒼と白の豪奢なドレスに身を包み、そして大地まで届きそうなほど長く伸びた髪をたなびかせるその姿は、本来のアルクェイド――真祖の姫君、そのものの姿なのだろう。
「よくぞ参った、人間」
「無理やり連れてきておいてよく言うよ……」
 姫様の尊大な物言いに、こちらとしては苦笑するしかない。ふと視線を自分の体に落とせば、ちゃんと服を着ている事に内心安堵した。流石にあのまま素っ裸でここに引き込まれるのは勘弁してもらいたいし。
「……って? あれ? おかしくないか?」
「ふむ? 何をそのような面妖な顔をしておる」
「いや。基本的にさ、ここって俺にとっては夢のようなものだろ? お前もアルクェイドに変わりはないけど、表に出てくる事ってないわけじゃないか。あんな風に起きている時に無理やり引きこまれるってのは今までなかったからさ」
 初めて俺がここに来た時は、レンの力を介して、いわばアルクェイドの記憶に潜り込むような形だった気がする。記憶の中の自分が、まるで別の人格を持っているように自由にこの城の中を動いているというのはただの人間にとっては想像し辛い状況だけど、何せ相手は吸血鬼のお姫様なのである。常識に縛られたりなんかしないんだろう。
 とはいえ、影と言うか記憶というか曖昧な彼女には彼女なりの論理や節度で、自分がアルクェイドの体を乗っ取って動き回る、なんて真似はしていなかった。いずれあいつが血を吸って堕ちてしまった時にはそうなるらしいけれど、そんな未来は俺が生きている限りは来させたくない。
 とにかくだ。今ここに俺がいる、その過程が言ってしまえばらしくない気がした。
「宗旨替えでもしたのか?」
 少し厳しい声になっていたかもしれない。俺のその言葉に、彼女はすっと目を細めて、
「まさか。私がこうして今お前と向きあっているのは、幼き姫が眠っているからこそ。他愛ない悪戯に過ぎんよ」
「でも、俺は起きていただろ?」
「起きていると思い込む。人の子がそのような夢を見ていただけではないかな?」
「……え、マジで?」
 あれ、夢だったの?
 夢だとしたら、どこから夢だったんだ一体。アルクェイドの感触とか温もりとかすごくリアルだったんだけど。いや、もうばっちり肌で覚えている位には堪能している体だけどさ。
「そのような百面相も見ている分には楽しいが」
 からからと、姫君が笑う。何も知らない狩人だった頃のアルクェイドである筈の彼女が、最近はよく笑うようになった。あるいは、変化が心の奥底まで染み渡ってきているのだろうか。
「ついて参れ。本題は奥で待っておる」
 優雅にドレスの裾を翻し、彼女は巨大な城の正門に向かって歩き出す。俺は慌てて彼女の背中を追いかけ、駆け出した。








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