■ 本厄の物語 サンプル ■






 抜けるような青空が目に染みる。
 大宇宙の偶然とまどかの愉悦で土砂降りになるなんて事態もあるのではないか。そんな私の心配は杞憂だったけれど、あんまり日差しが強すぎるのもそれはそれで怖いわけで。
「良かったですね暁美さん! 来た甲斐がありましたよ!」
 彼は本当に嬉しそうに、目の前に広がる光景に目を輝かせている。もし尻尾がついていれば、隣に立つ私にパタパタと当たりそうなくらいに。
 それでも、彼の気持ちもよく分かる。
 凪いだ海原は夏の日差しにきらきらと輝いている。砂浜を行き交う人々の数は少なすぎず多すぎず、適度な喧騒が堤防の上に立っている私たちの耳にも届いてくる。芋洗いのような人ごみは御免被りたいけれど、穴場扱いとはいえ人がいなさ過ぎてもそれはそれで居心地が悪過ぎるし。
「それにしても、あなたが車持っててくれて助かったわ。でなければちょっと来辛い場所だったし」
「休日にちょっと乗るくらいでしたけどね。でもようやく念願叶った感じですよ」
「念願?」
「今までずっと、隣に乗せてるの野郎ばかりでしたから……今日は本当に嬉しかったですよ!」
「ああ、そういう……」
 彼の言葉に思わず頬が熱くなってしまい、視線を逸らしてしまう。
 そうよね。この後の海やらお泊りやらばかりで頭が一杯になってしまっていたけれど、そもそも初めてのドライブデートだったのよね。
 昨日の酒が残りすぎだったのかしら。せめて帰りはもっとその事を噛み締めながら帰りたいものよね。
「あ、暁美さん。ここに立っているのもアレですし。下に行きませんか?」
「そ、そうよね。それじゃ荷物を……」
 後部座席に置いてある水着を取り出そうとした時、視界の端にそれが映った。
 沖合いの、砂浜からは二キロほど先の場所だろうか。小さな島のようなものがそこに存在している。
 なぎさからこの場所の情報を聞いた時には、話に上らなかった気がする。まあ、遠泳するわけでもないのは彼女も分かっていたし、わざわざ言う必要があるとは思っていなかったのだろう。
「暁美さん、どうかしましたか?」
 その声で我に返ると、折りたたみ式のパラソルが入ったナップザックを抱えた彼が、不思議そうな顔で私を見つめている。
「ああいえ、何でもないわ。なんか沖の方に島あるなって思っただけよ」
「あ、本当ですね。行ってみたくなりました?」
「馬鹿言わないでちょうだい。私は水際で遊んでいるのがお似合いなんだから」
「あはは。僕も泳ぎに自信は全然ないですし、残念ながら教える事は出来そうにないですね」
「お互い安全第一でいきましょうね」
「了解です」
 真面目腐ってそんな事を言うと、耐え切れなくなったのか彼が吹き出す。
 全くそのとおりだ。別に私たちは泳ぎに来たのではなく、遊びに来たのだ。そして私にとっての最初の試練が、この後すぐ控えているのだから。



「大丈夫……よね。そんなに変な所はない、筈だけど」
 おっかなびっくり。正にそんな気持ちで私は更衣室から出た。選んだ水着は赤地のビキニである。カットがそれほど大胆じゃなかったのと、私の体型でワンピースを着ると逆に目を背ける結果になってしまったので仕方なかったのだ。パッドの二、三枚では底上げにもならないこの胸の恨めしさよ。
 とはいえさすがにそのまま彼の所に出て行くには勇気が足りず、パレオを巻き付けてしまったあたりはもう自分が自分らしくて頭が痛い。
 先に着替え終わるから、荷物広げておきますね。彼がそう言っていた場所へ向かうと、果たして海パン姿の彼が悪戦苦闘しつつもパラソルを立て終わったところだった。
「お待たせ」
 声を掛けると振り返った彼が私の姿を見て、固まっている。
 ちょっと。その反応はどうなのよ。
 いつもの私ならそう眉を吊り上げてしまいそうだったけれど、出来なかった。
 私自身が、彼の姿を見て固まってしまったのだから。
 考えてみれば、うっかりとか手違いとかまどかの悪戯で、私のあられのない姿は何度か彼に見られている。でも私が彼の脱いだ所を見るのは、初めてなのだ。
 私より頭半分ほど背が高い彼は、スーツ姿の時は痩せすぎず太り過ぎずという少し頼りなさげなイメージだった。でもこうして改めて見てみると、腕も腰周りも胸元も男らしい肉付きをしているのだという事がよく分かる。さすがに腹筋が割れるところまでは鍛えてないみたいだけれど、二十七歳の健康的な男子なのだと、その姿が雄弁に語っていた。
「あ、暁美さん……」
 どれくらい、互いに無言で見合ってしまっていたのか。先に口を開いた彼の顔は、頬だけじゃなくて首筋まで真っ赤に染まっている。
「その……似合ってます」
「ほ、本当?」
「嘘なんか言うわけないじゃないですか! すごく、綺麗です」
 たどたどしく、それでも私の顔を見てちゃんと言ってくれた彼の言葉がすごく、嬉しかった。
 所詮三十路に足を突っ込んだ、しかも節制とは程遠い体なのだ。お世辞や気遣いがてんこ盛りなのは分かってる。それでもその言葉がすごく嬉しかった。
 だから私も、思った事をそのまま、彼の目を見て口にする。
「あなたも……その、ええ。似合ってる。似合ってるって言うか、その。いい体、してる」
「い、いや。そんな事ないですから。運動不足祟ってて、恥ずかしい限りです、から」
 千切れそうなほど手と首を横に振って言う彼の姿に、少しだけ、頭の奥が落ち着きを取り戻してくる。
 冷静に考えると、私は今ものすごく恥ずかしい事をしているのではないかしら。
「す、座りましょ? 設営やってもらっちゃって、疲れてるでしょうし。海に入るのは少し休んでからにしましょう」
「は、はい……! 飲み物も色々揃えておきましたから……!」
 そう言って彼がクーラーボックスを開ける。
「僕は運転手だからあれですけど、暁美さんビールにします?」
「いくらなんでも海に入る前からいきなりそれはどうかと思うわ。ウーロン茶でいいわよ」
「分かりました」
 彼から手渡されたウーロン茶のペットボトルに口を付けた私は何気なくあたりを見回して。
 そして盛大に吹き出した。
 明るいブラウンの髪を後ろに纏めて、はちきれんばかりの胸のふくらみ二つを無理やり小さめのビキニに押し込んだ態の三十路女と、彼女より頭一つ背が高いショートカットのやはり三十路に足突っ込んだ女がこちらに向かってきているではないか。二人とも美女である事に否定はないけれど、正直この海岸では浮きまくっている。ブラジルあたりのラテンでサンバな国の海岸なら、さぞかし引く手数多だろうに。
 ああそうか。日本で駄目ならば他の国で活路を見出す方法もあったのかしら。私含めて全員見滝原に縛り付けられている身では叶わぬ夢でしょうけど。
「だ、大丈夫ですか暁美さん!?」
 慌ててタオルを差し出してくれる彼の心遣いが嬉しい。そしてこう言わなきゃいけない事が切ない。
「ああうん、大丈夫だから。ウーロン茶あと二本出しておいて……」
「え?」
 彼の言葉に被せるように、でかい方が朗らかに声を掛けてくる。
「よーっす。見つけたよほむらー!」
「見つけないで立ち去ってくれても良かったのよ? さやか」
「あら、思ったより地味目の水着を選んだのね、暁美さん」
「あなたはもう最初から泳ぐ事放棄しているような水着ね、巴さん。波にさらわれてしまえば良いのに」
「それは水着に掛かっている言葉なのよね……?」
 温かい言葉で応えてあげたと言うのに、二人とも随分残念そうな表情だ。心外極まりない。
「ああ、美樹さんに巴さんもいらしてたんですか!」
 彼の方はと言えば、普段と変わらない様子で二人に向かい合える辺り、部下に対しての己の教育手腕の確かさに自画自賛を送りたくなる。でも今ばっかりはもう少し迷惑そうな顔してくれても良かったのだけど!
「ほほう、これはこれは。いい体つきしてますね彼氏君も!」
「見ないで。減るわ。汚れるわ」
「……最近のほむらの容赦の無さが心に刺さるわ」
「と言うか。どういう了見でここにきたのよ」
「そら、あたしらだって骨休めに海に来たっていいでしょうがよ?」
「訂正するわ。何故ここにきたのよ?」
「散らばった所に行かれると、万が一の事態に対処し辛いから、出来るなら同じ場所に行って欲しいのです! って私たちの頼れる後輩からのお言葉よ」
 白々しい表情で肩をすくめて、さやかと巴さんが交互にそんな事を言う。
 あのチーズデビルめ。グリーフシードふんだくって人の背中押しておいて何盛大に足元に穴掘りやがっているのよ。
「まあまあ。ほむらもそんな目くじら立てなさんなって」
「これで立てずにどこに立てるって言うのか、模範解答を教えて欲しいものだわ」
「安心してちょうだい。私も暁美さんと彼氏さんの邪魔を楽しむために海に来たわけじゃないのよ。幸せを求めるために来たのよ!」
 ほほう。
「そうそう。あの辛気臭い街に閉じこもっていても出会いにはもう期待出来ないからねー! 今年こそ、この海でこそ! あたしたちは幸せを手に入れるのよ!」
 目に見えそうなほど気合を溢れさせて、さやかが叫ぶ。
 気持ちは分かった。分かったけれど。正直さやかのその表情から思い浮かぶのは血に飢えた狩人以外の何者でもないのだけれど。
 どう考えても、間違って近寄ってきた男たちがそのまま回れ右するだけのような気もするのだが。
「そんなわけで暁美さん。悪いんだけど荷物だけ置かせておいてもらえない?」
「身軽に動けていた方があらゆる状況に対応できるからねー」
 手を合わせて頼み込んでくるさやかに、私は小さく溜息をついた。
「好きにしなさい。でもあんまり音沙汰ないようだと持って帰ってしまうわよ?」
「容赦なさ過ぎ!?」
 さやかが苦笑いを浮べつつ、ぽんぽんと私の背中を叩いてくる。
 頑張れよ、という事なのかしら。
「じゃあマミさん、お邪魔虫は姿を消すとしましょうかね」
「そうね。彼氏君てば早く暁美さんと二人きりになりたくて気もそぞろだし」
「あ、いえ。そういうわけでは……」
「はいはい。それじゃまた後でねー!」
 そう言いたい事だけを言って、二人は踵を返して人の多い方へと歩いていく。
「いつもお元気そうで、何よりですよね」
 ややあって口を開いた彼に向かって、私は苦笑する。
「「騒々しい」でいいのよ。あの二人は。全く、とんだ邪魔が入ってしまったものだわ」
「でも、暁美さんも楽しそうでしたよ?」
「私が? 悪い冗談よ」
「暁美さんがお二人の事よく分かっているように、僕も少しは暁美さんの表情読めるつもりですから」
 そう言って笑う彼の表情は少年のように屈託がない。
 本当。こんな事を言ってしまうのが失礼なのは重々承知の上で思うしかない。
 どうして彼のような男の子がフリーで、私の気持ちに応えてくれたのかしら。
 それはとてもとても幸せな事で、何があっても手放したくないと思ってしまう。まどかへの誓いとも、さやかたちへの厚い信頼と友情とも違う、かけがえのない大切な思いなのだ。
 私は微笑んで、ウーロン茶のペットボトルを軽く掲げる。
「乾杯しましょ? ここに無事に来られた事に」
「は、はい!」
 彼もすぐにボトルを取り出して、私の手に持つそれと軽く重ねる。
「それじゃ、無事に来られて天気も最高な事に!」
「ええ、乾杯!」
 彼の思う「無事」と私の思う「無事」は違う事だろう。それでも構わない。今こうしてここに二人でいる事が、深い大切な意味ある事実なのだから。







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