■ その魂に憐れみを サンプル ■









■  正義の味方とは一体何なのか。
 子供の頃には何一つ悩む事なく答える事が出来たのに、今の衛宮士郎にとってそれはひどく胸を締め付けられる重い問いかけとなっていた。
 「悪者を倒して困っている人を助ける」――そんな単純な構図が、現実にはひどく複雑なパズルとなって目の前に広がっている。嵌ると思っていたピースが実は逆向きであったり、存在していない事が当たり前となり、ついぞ完成系が見えてこないまま不毛な挑戦を続けている。
 それでも、足を止めることは許されない。士郎が士郎であるために、背中に圧し掛かった荷物を投げ捨てるワケにはいかないのだ。
 お人よしさが滲み出ていたタクシー運転手に別れを告げてから、既に二時間が過ぎていた。すでに日は完全に沈み、明かりがなければ自分の指も見えない程に闇が周囲を埋め尽くしている。しかし士郎は足を止めることなく、深い森の中を確固たる意思を持って進んでいる。
 同い年の宝石魔術師が教えてくれた、視力を強化する魔術の賜物だった。彼女の元を去ってから既に三年程過ぎた。今頃は時計塔で確固たる地位を築いていることだろう。
 去り際の表情は今も忘れる事が出来ない。溜息の出るほど美しい顔を怒りに歪ませた後、堪え切れず零した涙の意味は深く士郎の胸に刻み込まれている。それでも士郎は彼女の元に残るわけにはいかなかった。
 だからと言って今の自分の行動が「正義の味方」に繋がっているのだろうか。その問いかけは常に彼の中に繰り返されている。
 宗教と人種が複雑に入り混じったこの国の中で、士郎が手を貸しているのは一際勢力も力も弱いグループであった。押しつぶされそうな彼らの足元が少しでも確かな物になれば。その願いと共に振り続けている刃が、果たして正義と呼べる物なのか。仲間を一人助けるために、敵が一人倒れていく。その度に士郎は自分の心のどこかに澱が溜まっていくのを自覚させられる。
 一際高い獣の鳴き声が森の中に響き渡り、士郎は足を止めた。野犬の群か。あるいは狼か。数にもよるが、あまり向かい合いたくはない相手だ。
 ここが今日の潮時だろうか。士郎は回りを見回して、わずかばかり開けている所を見つけ出した。
「投影、開始」
 体の隅々まで染み付いた呪文を詠唱する。手の中に生み出されるのは刀身の幅の広い、一対の片刃の曲刀。銘を干将莫耶という、かつて冬木の戦いであの赤い弓兵が愛用していた武器だ。慣れ親しんだように自分がこの武器を生み出す事が出来る理由を、士郎はあてどない旅を続けているうちに理解せざるを得なかった。
 小さく溜息をついて、二度、三度刃を走らせる。薄紙を裂くようにたやすく、幼子の腕ほどもある枝が手ごろな幅に切り落とされ、彼の足元に転がる。そのうちの一本を拾い上げ、士郎は再び呪文を唱える。
「構造解析。材形変化」
 手の中の生木から一瞬で水分を飛ばして、薪へと「変化」させる。それを繰り返し積み上げると、士郎はナップザックの中から着火剤を取り出し、瞬く間に焚き火を作り上げた。
 魔術使いである事がもたらした幸福はついぞ思いつかなかったが、サバイバル生活の助けには十分以上に役立っていた。
「こんなこと遠坂に話したら、横っ面張り倒されそうだな」
 苦笑しながら断熱性の高いシートを敷き、士郎は焚き火の前に腰を下ろし、太い樹木の幹に背中を預ける。季節が夏に差しかかる手前である事に感謝したい気分であった。一晩過ごすには十分な暖が取れそうであるし、野犬避けには火が一番なのは昔から変わらない。火を焚いても寄ってくる連中は、つまりは野犬より厄介な何かと言うことだ。
 士郎は懐から二枚の紙を取り出し、火を明りに目を走らせる。一枚は先ほどのタクシー運転手にも見せた写真。そしてもう一枚は、地図と細かい行動計画が掛かれた物だった。
 ロメルは士郎が身を寄せているグループにとって恐るべき敵対者であった。捕らえられた仲間が残忍に処刑された動画が上げられた事も一度や二度ではない。そんな男が自由を謳歌しているのは、彼の属している組織が政府と繋がっているからに他ならない。
 ロメルが本格的に敵対組織を殲滅するために、武器の入手に向かった。そんな情報がもたらされた時に、士郎は迷いなく阻止作戦を志願した。それがどういう意味なのかを、正しく理解した上で。
 冬木で一人の恐るべき敵対者を手に掛けてから十年近く。既に洗い流せない程に士郎の手も血に塗れている。「正義の味方」を志向し続けながら、何よりもそこから遠い場所に向かって歩き続けているのではないか。その恐れに心を蝕まれながら。
 手にしていた写真とレポートを、士郎は焚き火の中へと投げ入れる。あっという間に黒ずみ灰と化す様を見届けて、士郎は拳を握り締める。
 足取りが消えたと言う情報を得たのが一週間前だった。届くはずの武器と自分たちのボスが戻ってこない事に敵対組織がパニック状態に陥っている今、攻勢に出るチャンスは遠からず訪れる事だろう。
 しかしそれもロメルの生死を確認してからだ。彼が通り道に選んだ街から続く、この山に曰くがある事を士郎が知ったのはつい昨日。詳しい情報を精査しきるだけの時間は足りなかった。
 武器を満載した車ごと、一本道で姿を消すという事は尋常な事態ではありえない。山が抱えるその秘密は、あるいは士郎の属する領分なのか。
 その時だった。
 小枝と落ち葉を踏みしめる音が士郎の耳に届く。素早く腰を浮かせた彼は、曲刀を握り締め身構える。四足の獣の足音ではない。二足の生き物が固い物で大地を踏みしめて歩く音とリズムだった。
 幸いな事に足音は一人だけのものだ。もちろんそれが陽動で、本命が背後からと言う状況もありえる。寄りかかっていた大樹の幹を背にしたまま、士郎は足音の方向に向けて刃を突き付ける。
 夜闇にうっすらと浮かび上がる人の影がだんだんと形を濃くしていく。
「何をしている」
 誰何の声が響き渡る。士郎は答えない。ただ僅かに腰を屈め膝を曲げ、どちらにも飛び退ける体勢のまま人影を睨み付ける。
「そこで何をしているのかと聞いている」
 再び低い声が森の中に響き渡る。焚き火の光の届く範囲まで、人影が歩みを進めてくる。
 粗末な猟師服に身を包んだ初老の男だった。その手には猟銃が握られ、銃口が士郎の胸に狙いを定めている。
 士郎は心の中で小さく舌打ちをした。しっかりと的の大きい場所を狙っている辺り、ズブの素人ではなさそうだった。
「……旅行中でね。今日の宿をここに定めただけだったんだが」
 それでも曲刀の構えは解かず、士郎は淡々と答える。
「ここはサマーアイル様の土地だ。勝手な真似は許されない」
「サマーアイル……?」
 思わず士郎は声に出して呟く。
 ロメルの行動を調査している中で、最低限調べたこの地域の情報には一度も出てこなかった名前だった。
 そもそも、イギリスからもアメリカからも遠く離れたこの場所でなぜ英語名が出てくるのか。
「この森に誰か住んでいる人がいるのか?」
「旅人よ。不埒な行動の裁きはサマーアイル様が下される。その手の得物を捨てて、ついてきてもらおう」
 取りつく島も無いとはこの事だろうか。銃口をぴくりとも動かさず、男は無表情で士郎にそう告げる。
 士郎の背中を、一筋冷たい汗が伝わり落ちた。思った以上に隙がない。むしろ何か機械のような正確さすら感じる。一度身を翻して森の中に飛び込んでしまえばとも思ったが、土地勘は間違いなく男の方が持っている。二度目は交渉の余地がなくなるだろう。そうなれば殺し合いになりかねない。
 そもそも、「サマーアイル」とは何者なのか。姿をくらましているロメルとなんらかの関係があるのか。
 小さく溜息をついて、士郎は構えていた曲刀を投げ捨て、両手を頭の上に掲げた。
「了解した。知らぬ事とは言え、歴とした人の土地であったのならば無礼を働いたのは俺の方だ。謝罪をさせてもらいたい
 顎で男が指し示してくる。士郎は黙ってそれに従う。背後から水の蒸発する音が聞こえて、一気に視界が闇に染まる。男が焚き火を消し止めたのだろうか。あるいは今なら。一瞬士郎の頭を掠めたその思考は、チリチリと背中を灼いてくる殺気にすぐに押し込められる。程なくして強力な光が背中越しに士郎の視界の先に投げかけられた。彼自身も使用したことのある、軍用のトーチライトだ。
「……準備がいい」
「まっすぐ歩け。行く先は指示する」
 男の言葉に、今は従う他なさそうだった。








 アメリアの持ってきたスーツは、あつらえた様に士郎の体に合ったものだった。ファッションに興味のない士郎でもそれが古めのデザインだという事は分かったが、使われている生地が上等な物なのは疑いない。
 考えてみれば、こういう物を着る機会には恵まれなかった。姿鏡に映る自分の姿はどう贔屓目に見ても着せられている感が強い。
「こちらへお越しください」
 再びメイドの案内に素直に従いながら、士郎は館の様子に視線を走らせる。調度品も内装も丁寧に手入れが行き届いているが、よくよく見れば電気が通じている様子は無かった。燭台の蝋燭の明りの行き届かない、闇の所々が館の中に産まれており、どことなく不気味さを醸し出している。
「……自家発電を出し渋るほど金が無さそうには見えないんだが」
「何か?」
 小声で呟いた士郎に、素早くアメリアが振り返る。その反応に面食らった士郎だったが、慌てて首を振り取り繕う。
「いや、何でもない」
「何かありましたら、遠慮なくお申し付けを。夕食はこちらになります」
 アメリアが足を止め、扉をゆっくりと開ける。無表情だがあるいは聞こえていただろうか。心の中で苦笑いを浮かべながら、士郎は部屋の中へと入る。
 中央に備え付けられた、二十人ほどが並んで食事を取れそうな巨大なテーブル。その上座にサマーアイルが腰を下ろし、その両脇に若い二人の男がそれぞれ腰を下ろしている。そしてその隣にもう一人、女性が着席している。
 その瞬間、思わず叫びそうになったのを士郎は必死で堪えた。
 年の頃は二十代半ばほど。淡いすみれ色のドレスを身に纏った、長い銀髪の美しい女性だった。金色にも見える色素の薄い瞳で一度士郎を見やるが、すぐに視線をテーブルに戻す。その表情には少しも変化が見て取れなかった。
 彼女の名前を、士郎は知っている。顔を見たのは六、七年ぶりだったが、記憶の中の少女の面影をよく残している。
 カレン・オルテンシア。
 言峰綺礼の後任として、冬木の協会に赴任してきた修道女。
 何故、彼女がここにいるのか。口から飛び出そうになったその疑問を飲み込みながら、士郎は促されるままに椅子に腰を下ろす。
 士郎を案内してきたのとは別のメイドが、五人の前のグラスに食前酒を注いでいく。無駄の無い、まるで機械のような動きは主であるサマーアイル氏の教育の賜物という事なのだろうか。
「おお、来られましたなシロウ殿」
「ニホン人だって? すげえな、地球の裏側からよくもまあ」
「なあ、アレやって見せてくれよ。セプクだっけ? サムライの得意技」
 主の言葉に続けて、二人の息子たちが囃したて、下卑た笑い声を上げる。
「俺は残念ながらサムライとは程遠い臆病者でね、申し訳ないがご期待には応えられない」
 主人とあれだけ話していた後で、言葉の分からない振りは白々しい。士郎は仏頂面でそう言うと、息子たちはつまらなそうに鼻を鳴らして、グラスに手を伸ばす。
「遠い島国からの御客人に。乾杯!」
 主の声に、士郎たちの声も合わさる。
 酒の味には疎い士郎だったが、それでもこの酒が相当に手と時間の掛けられた良い物である事は分かる。
「改めて名乗らせていただこう。私はスコット・サマーアイル。この森を中心とした土地を先祖代々守っていると言えば聞こえは良いが、まあ、時代に取り残された老人だ」
「トニーだ。オヤジのおかげでヌクヌクとドラ息子をやらせて貰ってる」
「ブルース。兄貴に同じく。こんな所じゃ娯楽に乏しくてなぁ。面白い話期待してるぜ?」
 スコットに続けて自己紹介してきた息子たちは、いずれも年の頃が三十代と言った所だった。
 父親とよく似た、どこか陰気で頬のこけた顔つきの兄弟であった。目が濁って焦点がどこか定まらない感じがことのほか親子である事を強調してくる。
「ナターシャよ。宜しく、日本の方」
 そして、女が口を開く。姿形よりも声は人の心に強く残り、そして変化しにくい。ナターシャと名乗る女の声は、記憶の中のカレンそのままであった。
 今すぐにも問い詰めたい。その思いが士郎の胸に沸き立つが、それをするには状況に対してあまりにも無防備に過ぎる。生き残る術は慎重であれということを、この数年で士郎は嫌と言うほど学ばされている。
「士郎だ。衛宮士郎。職業はジャーナリストなんだが、ほとんど放浪しているようなものでね。暮らしが成り立っているとは言いがたい」
「ハハッ、こんな所に迷い込んで、オヤジに拾い上げられるくらいだものな」
 トニーの茶々は的確だったので、士郎は苦笑いを浮かべる他無かった。
「ジャーナリストって事はあれだろ? なんか面白い写真とか撮ったりしてるんだろ? 見せてくれよ」
「申し訳ないんだが、着の身着のままここに連れてこられてしまってね。野宿をしていた場所に置いてきてしまっているんだ」
 嘘ではない。「フリーのジャーナリスト」という肩書きは、実際の社会的信用はともかく人と話を合わせるには都合がよかったし、カモフラージュとしてまめに写真を取るようにはしている。士郎の言葉にブルースは「何だよつかえねぇな」と声を上げ、盛大に肩を竦める。
「なるほど、それは不便を掛けた。後ほどクリントに取りに行かせよう」
 自分をここに連れてきた男の事だろうか。スコットの口にした名前を記憶に留めて、士郎は頭を下げて礼を言う。
「まあ、まずは料理を味わい酒を楽しんでくれ。滑らかに口を回して貰うためにも、命の油は必要だろう」
 スコットの合図で、メイドが新しい酒の入ったグラスを士郎に差し出す。
 なるほど、これはある程度主人たちを満足させなければ解放はして貰えないらしい。
 野犬たちとでも戦っていた方が遥かに楽だっただろうか。分の悪い戦いの予感に背中に冷たい汗を感じながら、士郎はグラスを手に取り口に呷った。









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