■ C95新刊 お前をスキーに連れていく! サンプル ■






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 カルデアという外界から隔離された施設において、そこに勤務する職員たちの精神的なケアは最重要と言ってもいい課題の一つである。
 外界が完全に消失していた人理焼却事件が一応の解決をみて、世界が一つの平穏を取り戻している昨今、職員たちのモチベーションを保つうえでも出来る範囲の事はすべて行うのが現在の指令代理であるレオナルド・ダ・ヴィンチの方針の一つでもある。
「張り詰めきっていた糸がギリギリ切れずに何とか駆け抜けられたんだ。適度に弛め、また締めて。上手い事バランスをとっていかなければ、普通の人間なんかこんな場所で耐えられるわけがないだろ?」
 そんな彼、あるいは彼女の方針により、無事運び込まれるようになった補給物資の中には各種映像音楽ソフトやゲームソフト、書籍などの割合がオーダー発動前に比べて圧倒的に増加していた。ちなみにポルノグラフィーも不許可ではなかったが、申請においてはダ・ヴィンチ指令代理に直接その必要性と己の嗜好を説明する必要があり、実質不可能に等しい状態であったという。
「まあつまりはダ・ヴィンチちゃんの目を盗んでどうにかこうにかその辺は手に入れる、程度の才覚は求められているって事なんだよスタッフには。黒髭の旦那とかはその辺上手い事やってるわ本当……」
 職員の一人にそうぼやかれた時、藤丸立香は曖昧に笑うしかなかった。何故なら彼自身、その黒髭ことエドワード・ティーチの「上手い事」の恩恵を受けている身であったのだから。
 もちろん、カルデアという場所は右を見ても左を見ても絵画から抜け出てきたような美男美女が闊歩している上に、立香に対しマスター契約の枠を超えた親愛を向けてくれる者たちもいる。とは言えそれはそれこれはこれ。健全な少年であり、常に背中から追い立てられてきた命の危機が落ち着きを見せている昨今、人並みの欲求や発散を求めたくなる事だってあるわけで。
 そんなわけで立香の手には今、黒髭ソムリエの今月のセレクションであるB5版24ページから36ページほどの個人製作本が何冊かと年齢制限表記のあるPCゲームのパッケージが厳重に梱包されて握られている。マイルームにたどり着くまで中身は決して他の者に見られるわけにはいかなかった。特にマシュに見つかるわけにはいかない。可愛い後輩が自分に向けてくる視線の温度が突然氷点下に突入しかねない。
「おや、そこにおるのは小さきものか?」
「ふぁっ!?」
 突然背後から掛けられた涼やかな声に、立香の声がひっくり返る。
 慌てて振り返った彼の目に映った目の前には、紫を基調とした清楚なデザインのドレスに身を包んだ、紫紺の長い髪の女性が立っていた。
 その顔は見る者の魂を吸い取りそうなほどに玲瓏な輝きを放っている。何よりも驚くべきは、このカルデアで神域の槍技を誇るケルトの女王と瓜二つの姿をしている事だった。
 スカサハ=スカディ。
 先日カルデアに召喚された、北欧の神霊を基とした女神なのだという。己の別側面が女神として召喚された事に、当のスカサハ本人は「まあそういう事もあろう」と意にも介していない様子であったが、彼女の弟子や知人たちは一様に顔をしかめたものだった。一方のスカサハ=スカディも「こちらの私はずいぶんと凛々しいものだ」と気分良さげに口にするあたり、サーヴァントの価値観というものはなかなか理解しにくいものだと立香としては思わざるを得ない。
 すでに女神も何人も現界しているカルデアであったが、スカサハ=スカディの物腰は他のサーヴァントとはまた違う、どこか近寄りがたい雰囲気を纏っているものだった。どうやってコミュニケーションをとるべきなのか。中々答えが見つからないでいる立香にとって、まさか向こうから話しかけてこられるとは思っていなかった。
 しかし、間が悪い。小脇に抱えた秘蔵の逸品の存在が、彼に重くのしかかる。
 今日この時ばかりは上手く彼女の要件を切り上げて、自分の部屋に戻らねばならない。冷や汗を背中に滴らせながら、その時立香は気が付いた。スカサハ=スカディの手にもまた、荷物が抱えられている事に。
 それは見慣れたBDソフトのパッケージが1ダースほど。最近拡充されたレクリエーションルームでももちろん鑑賞できるが、手続きを踏めば自室に一定期間借り出す事も可能である。職員のみならずサーヴァントの中にも映画やドラマシリーズにことのほかハマっている面々も数多く、人気のサービスなのだが、彼女がそれを利用しているというのは立香には意外であった。
「ど、どうかしましたか? スカディさん」
「スカサハ様と呼ぶがよい。私は女王故な――まあ、今はそれはよい」
 スカディは立香の側に歩み寄り、手に抱えたソフトの束を突き付けてくる。
「ええっと……?」
「もちろん、分かっている。これがどういうものであるかは分かっているぞ、私は。その辺りは召喚の際に知識として与えられておる」
「はあ」
「しかし、だ。女王たる私がなぜ自ら労を払って機械を操作せねばならぬのか」
「……もしかして?」
 話が見えてきた。立香はスカディの望みを理解して。
 ……まずい。
 表情だけは笑顔のままで、立香は内心冷や汗が止まらなくなっていた。つまりは彼女の自室にて、BDデッキを操作せよという事を目の前の女王はご所望というらしい。
 今日今この時でなければ。あるいは映画の一本二本なら構わないというのに。彼女の抱えているソフトの本数が殊の外危機感を煽り立ててくる。少なくとも今日この後の自由時間はすべて吹き飛ばされる事間違いない。しかも小脇に危険物を抱えたまま。
「ええとですね、スカディさん」
「スカサハ様、である」
「スカサハ様。レクリエーションルームなら説明すればスタッフの人が操作してくれると思いますので、そちらでご覧になるというのはいかがでしょうか?」
 とりあえず、矛先を逸らす事を試みた。いつも大変なスタッフに余計な仕事を押し付ける事に大変心苦しいが、今日だけは勘弁してほしい。
「お前は何を言っているのか。私に、あのような場所で他の者たちと並んで時間を過ごせというのか?」
「……ダメですか?」
「そもそもここで与えられている私の部屋も論外極まるぞ。まあ事情が事情なだけに文句は言わぬが、お前も自分をマスターなどとのたまうのであれば、私に相応しい扱いというものを一つ一つ勉強する必要がある」
 そう言って、空いた手でスカディは立香の腕をとる。
「さあ、早くせよ。私は一刻も早くこれを見たい」
 否など言わせぬ。その行動は雄弁に彼女の意思を語っていた。
 振り切って回れ右、という魅惑的な選択肢を立香は早々に投げ捨てる。後が怖い。何せスカサハ師匠と瓜二つの顔立ちなのだ。絶対にろくでもない未来が降りかかってくるに決まっている。
 とにもかくにも手の中の危険物だけは彼女の注意を引かないようにしておかねばならない。降って湧いた高難度ミッションに立香は身震いする。
 幸い、女王は自分で借りてきたソフトにご執心のように見受けられる。時間を全て捧げる覚悟さえ決めれば、光明は見いだせるように思われた。
「……かしこまりました。誠心誠意努めさせていただきます……」
「うむ、宜しい」
 うなだれた立香に向けて満足げに頷くと、スカディは彼の腕を引き自分の部屋へと引っ張っていったのだった。



 まさか、こんな。
 思わず声が漏れそうになり、立香は慌てて息を飲み込んだ。
 目の前の光景がにわかには信じがたい。元は自分の物と同じく殺風景だった筈のスカディの部屋は、ルームライトの光に煌めき輝く豪奢なドレッサーやクローゼット、精緻なレース編みのカーテンに彩られた天蓋付きのベッドが据え付けられていた。その全てが透き通り清冽な冷気を放っている。彼女が魔術で編み上げた氷で作り上げられているのだ。
 そしてその部屋の中ではいっそ異質な存在感を放っている40インチのモニターには、スカディが借りてきたソフトが再生されている。その内容が、変貌を遂げている部屋の中身よりも何よりも立香を驚かせた。
 絶壁と見まごうような急斜面の雪原を、弾丸のような速度で人間が滑り降りていく。それは冬季オリンピックのスキー競技のアーカイブ映像であった。
 モニターの向かいの、やはり氷で編み上げられたソファに立香とスカディは並んで腰を下ろしている。立香の手にはデッキのコントローラーが握られていて、彼女に言われるがままに先ほどから操作を行っている。
 そしてスカディは両のこぶしを握り締め、真剣な表情でモニターの映像に見入っている。
「良い……! 良い滑りである。ちゃんと雪と対話できておる……ああっ!」
 ほんの少しバランスを崩した選手が、次の瞬間小石のように斜面から弾き飛ばされ、コース脇のセーフティネットまで転げ落ちていく。その光景を見たスカディは、残念そうに何度も頭を振った。
「愚か者め……ほんの少しだけ焦ってしまったのだな。あのまま行けば必ず逆転できたものを」
「あの、スカディさ……スカサハ様?」
「何じゃ。邪魔をするでない。このレースを見終わってからにせよ」
「いえ、その。これ、オレたちの世界のオリンピック、ですよね? 魔術とかそういうの全く関係ない」
「決まっておろう? よもや立香、お前は生まれてこの方一度も冬季オリンピックの映像を見た事がないとでもいうのか?」
「まさか! そんな事ありませんけど。でもこれ、普通の人間の行っている競技、ですよ?」
 もちろん、純粋な身体能力という点で立香自身とオリンピックアスリートの間では比べるのも馬鹿らしいほどの差がある。特に重力と速度を己の力とテクニックでねじ伏せ駆け抜ける回転競技の選手の体格は、このカルデアの中にいる数多の戦士たちに並びうるほど堂々としているものだ。
 それでも、彼らが人間であることには変わりない。魔術とは決して交わらない世界の住人であり、神話の世界の住人であるらしいスカディとはその存在としてのスケールがそもそも違いすぎる筈だった。
「スカサハ様の目から見て、楽しめるものなのかなって」
「愚か者」
 冷え冷えとした声であった。スカディが顔を立香の方に向け、細めた目で射貫いてくる。
「誰よりも速く。ただその一点を目指して限られた生を研ぎ澄まして頂点に立つべく集ってきた勇者たちだぞ? 神秘の在る無しなど問題にならぬわ。これほど美しく己を燃やし尽くしている者たちの姿を、望めば好きなだけ見られるというのはなんと贅沢な事か。お前たち汎人類史の人間たちはその幸せをようよう噛み締めるべきである」
 あくまで穏やかな声色であるからこそ、底の知れない恐ろしさが立香にもよく伝わってくる。知らず、立香は背筋を伸ばしスカディに向かい合うより他なくなっていた。
 それにしても尻が冷たい。体の熱で溶けだす心配はなさそうであったが、氷の椅子に座るなどという経験は後にも先にも今この時くらいだと彼は思う。出来れば打ち止めにしてもらいたい。
「まあ、よい。過ちも一度は許そう。うむ、私は寛大であるゆえな」
 小さくため息をついたスカディは、再びモニターに視線を戻す。
「そもそも、だ。私は北欧の狩りとスキーを司る女神でもあるのだぞ? 異なる世界であれ人の子が熱心にスキーの腕を比べ合う光景、好みに決まっておろう」
「……そうだったんですか?」
 思わず口をついて出てしまった。
 再びスカディの口からため息が漏れた。それも、随分と重々しい。やってしまった。立香は自分の失敗に心の中でうなだれる。
「……このカルデアのマスターというものは、かように不勉強でも務まるものなのか?」
「……返す言葉もございません」
「私の知っている魔術師は、己が憧れのために可哀想になるほどどん欲に必死に知識と力を求め自分を追いつめていたが……まあ、そういう在り方が常に正しいわけでもあるまいが、研鑽を怠る理由にもなるまいに」
「全くです……オレたちを助けるために来てくださった人の事、ちゃんと知らなきゃいけないのに」
 うなだれた立香の頭を、手にしたワンドでスカディは軽く叩く。
「全くだ。お前のような未熟者、このような破廉恥な本にうつつを抜かしている暇もなかろう」
「えっ?」
 思わず頭を跳ね上げた立香の目に、眉を寄せたスカディの呆れた顔が映る。その手には、彼女の視界に入らないように脇に除けておいた筈の危険物が掲げられている。
 まだ梱包は解かれていない。なぜ中身が。いやそもそもいつの間に。
 回る疑問符の答えが出てこない。言葉も出てこない。ぱくぱくと口を空いたり閉じたりする他ない立香に向けて、スカディは微笑んだ。
「神の目を誤魔化せるとでも思っておったか? 私が声を掛けた時点で随分と挙動不審ではあったが、まあまあ、こんな物を抱えておればなあ」
「あの……スカサハ様、それを一体どうなさるおつもりでしょうか……?」
「さて、どうしたものか。こうして手にしているのも汚らわしくてたまらん気がする。なにやらおっぱいの大きな絵ばかりが見受けられる感じもするが。お前はそんなに大きなおっぱいが好きなのか?」
「後生ですのでそれ以上内容について触れるのは勘弁していただけないでしょうか……」
 土下座した。立香は迷わず床に膝つき頭をこすりつけた。最悪手元に帰ってこなくても、これ以上性癖をほじくり返されるのは取り返しのつかないダメージを負わされてしまう。
「さてなあ。返そうか。燃やそうか……」
「後生ですので! どうか! どうか!」
「ふむ。ならば、こうするか」
 スカディの口元が小さく緩む。そのまま立ち上がり、立香の向かいに屈みこむ。
「面を上げよ、立香よ。そのような姿を見ていても私の心は浮き立たぬ」
「は、はい」
 顔を上げた立香に向かって、スカディは笑いかける。
「決めたよ。今から少しばかり、お前の性根を鍛えなおしてやるとしよう」



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