ほうかごタッグぷれい







 あの一週間が、もし夢であったのなら。
 心地よい風が秋の匂いを運んでくる中、学校への道を歩きながら、谷川柚子(たにかわ ゆず)はそんな事を思っていた。
 見知った同級生たち。進学や進路を意識して悩む先輩たち。高校というものにようやく適応しだした下級生たち。あるいは友人たちと語り合い、あるいは一人で、柚子と同じく学校へと向かっていく。代わり映えのしないその光景が、一度崩壊しかけた事を彼女は忘れる事はない。
 この年の八月、東京は一週間封鎖された。
 原因不明の毒ガス発生と、それによるケミカルハザード拡散防止のため、政府は苦渋の決断を下したのだと伝えられている。その裏側で起きた事は、すべて「なかった事」にされてしまった。
 洪水のようにテレビや新聞で流され続けるその「真実」を聞かされる内に、多くの人々は本当にそれが正しい事なのだと思い込んでしまう。
 人間は自分の信じたい事しか信じることができない。常識からかけ離れた事実よりも、容易な「真実」を受け入れたがるものだ。
 柚子は足を止め、ポーチの中からピンク色の携帯ゲーム機を取り出した。「COMP」と呼ばれるそれは、ゲームのみならず多種多様な機能を備えている。イヤホンを繋いで、電源を入れると、彼女はミュージックフォルダからひとつの曲を選び出した。
 帰還の歌。
 それは柚子が日常へと戻ってきた証であり、彼女の尊敬する一人の歌手の、新たなる旅立ちの一歩でもある。
 そして、あの七日間が偽りではない、真実だったという証だ。
「……うん!」
 イヤホンから流れ出す、力強い女性の声に背中を押されるように、柚子は再び歩き出した。



「あー、こんな時期だが転校生だ」
「九頭竜 天音(クズリュウ アマネ)と申します。皆様、よろしくお願いいたします」
 いやちょっと待って。
 唖然とした表情で、柚子は教壇の方を見つめる他なかった。
 九頭竜天音。柚子と同じくあの七日間を潜り抜けた同志でもあり、そしてその原因に深く絡んでいた少女だ。
 彼女はまた「翔門会」と呼ばれる宗教団体の中心人物であり、そして皆の知る常識の外側に立っている少女でもある。
 そんな存在が同じ制服を着て目の前に立っている。相変わらず頭にはよくわからない巨大な花飾りがシュール極まりない。
 ちらりと柚子は後ろを振り返った。
 やはり彼女と同じ表情で、ぽかんと天音の姿を見つめている少年二人。木原篤郎(きはら あつろう)と、そして。
 呆然としたままのその少年に向かって、天音がゆっくりと歩いていく。
「お、おい、九頭竜君……!」
 担任の制止の声も届いていないようだった。天音はそのまま少年の下まで歩み寄り、両膝をついて頭を垂れた。
「ようやくお側へと参ることができました。人の子にして今は眠りしベルの王よ。この九頭竜天音、身命を賭して、貴方へお仕えいたします」
「はい……?」
 呟いたのは自分の声だったのか。あまりの事に柚子はまったく身動きが取れなかった。
 少年は状況がまったく飲み込めずに、おろおろと他のクラスメートに向かって視線を送っている。向けられた者は皆、申し訳なさそうに顔を背けて、微妙に距離をとっていく。何とも薄情極まりない。
 篤郎も口を開けて目の前の異常を見続けていたのだが、柚子の視線に気づくとあわてて駆け寄ってきた。
「ちょっと、これいったいどういう事!?」
「いやオレに聞くなよオレにっ!」
「何で天音さんが! っていうかみんなドン引きしてるわよ! 何とかしなさいよアツロウっ!」
「ちょ、無茶言うなっ!?」
 すでに担任の声を掻き消すように、クラスのあちこちで様々な声が交わされている。しかし天音はそれを全く意に介する様子はない。さすが何万人もの信徒の前で堂々と巫女として振舞ってきた少女だ。そこだけ切り取ってみれば柚子は幾らでも感心できたが、しかしここは学校の教室である。
「ちょっと、あなた……!」
 声を上げかけて、柚子は気づいた。
 ここは、教室なのだ。
 クラス中の視線が、今天音と彼に集中している。そこに飛び込むのか。飛び込めるのか。
 柚子の葛藤を他所にして、天音の口は止まらない。顔を上げ、上目遣いでじっと少年を見つめて、
「貴方の声を聞く巫女として。雑事をこなす端女として。そして何れ貴方の子を成す器として、存分にこの体をお使いくださいませ」
「ななななな何言い出してるのよそこの変態ーっ!?」
 葛藤している場合じゃなかった!
 一も二もなく飛び出した柚子は、そのまま少年を庇うようにして天音の前に仁王立った。
「……おや、貴女は」
「一体、一体何のつもりよ天音さん? 突然こんな所に押しかけてきて、一体何を企んでるわけ!?」
「企むなどとは心外な。今口にした通りです。人にして人に余る力を秘めた彼を見守れという、レミエル様の言葉を受けて、僭越ながらまかりこした次第ですが」
「何よそれっ!? みんなまとめて帰った筈じゃない! 何でまだそこに残ってるのよ!」
「レミエル様は私の中にずっとおりますが、それはともかく。ええと、谷川……袖子(そでこ)さん、でしたか」
「柚子よっ! た・に・が・わ・ゆ・ず!」
「失礼致しました、柚子さん。貴女も、そして木原さんも一緒のクラスというのは非常に心強いですね。彼を俗世の誘惑からお守りする事に、自信が持てそうです」
 名前を挙げられた篤郎に、他のクラスメートの視線が集中するのを感じたが、今の柚子にはそれを気に留める余裕はない。
「誘惑、ですって?」
「ええ。この世界は堕落の誘いに満ち溢れています。人である限り、その誘惑を振り切る事は難しい。ですから私が盾となる事で、彼の気高い魂を守りたいと思っております」
「……なんだか言葉だけはずいぶんと立派だけど、あんた、さっきずいぶん不穏当な事を言っていたわよね?」
 子を成す器として使え。
 それってつまりは、ソウイウ事なわけではないか。
 微妙に頬を赤く染め詰め寄った柚子の姿に、天音は小首を傾げて。
「……ああ」
 ぽんと手を叩いて言った。
「それはそうです。彼も男の子です。不浄な誘惑に負けて姦淫を為してしまう可能性は非常に高いはずですから、そうなる前にこの私が身を持ってお慰めして差し上げようと思いまして。巫女として」
 どよめきがクラス中に響き渡った。それを背にすっと立ち上がる天音の姿は女王の気品に満ち溢れている。
 そのまま彼女は少年の頭に手を伸ばし、そして、力一杯抱きしめた。
「な……な、な、なぁ……っ!」
「今すぐに子を成すのはお互いに大変ですし、学校を卒業してからにいたしましょう。レミエル様の加護のある私ですから、受胎の時期を操作するなど朝飯前です。それまではただ、快楽を貪ってくださっても良いのですよ?」
「あんたそれ言ってる事が姦淫そのものじゃないのっ! 天使様の加護が聞いて呆れるわよっ!」
「それは誤解ですソデコさん」
「ユズよ! どこがよ!」
「主は仰いました。「産めよ増やせよ地に満ちよ」。つまり、お互い愛し合ってる分には幾らシたって問題ありません。むしろ推奨です」
「ど、どどどどどこをどう見てもどこを切っても色ボケ淫婦の台詞そのものじゃないのよ!」
「わかりましたソデ……ユズさん」
 少年を抱きしめたまま、天音はゆっくり微笑んだ。
「私は一週間に四日でかまいません。ユズさんは二日でどうですか?」
「そうじゃないでしょ!」
「日曜日は安息日ですから、その日は無しという事で」
「話を聞きなさいよそこの色ボケ!」
「三人一緒というのは怒られてしまいそうなのですが、そこはこれからの検討課題……おや」
「頼むから少しは黙ってまずはその手を離しなさ……」
 沸点を超えたユズの肩を、誰がとんとんと叩いた。
 振り返った彼女の眼に映るのは、青筋を浮かべて微笑んだ担任の姿だった。

「とりあえず、お前ら全員まとめて職員室来い、な?」




 日常など思いもかけずあっさり崩壊するという事を、身をもって実感していた。
 しかし、この壊れ方はあんまりだと、柚子は思う。


『右の者、一日間の停学に処す』


 無機質な文言とともに書かれた、自分と天音と、そして少年の名前。
 一枚の紙切れを右手で握り締めながら、柚子はがっくりと肩を落とした。







「教職員というものは本当に理不尽ですね」
「私があなたに言いたい台詞なんだけど、それ」
 隠さず嫌な顔を浮かべてそう言った柚子だったが、向かい合う天音は意に介した様子もなくお茶を啜っていた。
 柚子の部屋である。
 年頃の少女らしい明るい色に纏められた壁紙とカーテンに彩られた部屋の中で、何故か彼女は今ここにいる原因と向かい合っていた。
 今日の天音は制服ではない。封鎖事件の時と同じく、ゆったりとした橙色のローブのような服装であった。何故か丈が非常に短い。
 髪には今日も今日とて大輪の花が咲いている。根が脳と直結してるのではないかと、柚子としては思わざるをえない。
「そもそも、天音さん」
「何でしょう?」
「何であなたが私の部屋で当たり前のようにお茶を飲んでいるのよ!」
 叫んだ柚子はテーブルに手を振り下ろした。互いの湯飲み茶碗の中の茶に漣が立つ。
「私としても非常に有難いです。門前払いを食らわされるものだとばかり」
「ぞろぞろと同じ服装の人間あんなに引き連れてきておいてよく言うわよ! 断れない雰囲気だったじゃない!」
 母親が仕事に出ていて、本当に良かったと柚子は思った。
 ただでさえ、停学という不本意な状況のせいで大喧嘩をする羽目になったのだ。仲が決して良いとは言えないにしても、進んで心配事を増やさせるわけにはいかない。
 ため息をついて、柚子は再びクッションに腰を下ろした。
「……それで、話って一体なんなのよ。停学食らわせた教師相手の愚痴だったら追い返すわよ」
「彼の事です。私と、あなたの共通の想い人であるあの方の」
 静謐さをたたえる瞳で、天音はじっと柚子の顔を見つめてくる。思わずたじろいでしまうほど、その視線には力が篭っていた。
「お、想い人って、それは……!」
「貴女の一途でまっすぐな想いは、非常に素晴らしいものだと思います。神が人同士に求める想いは、貴女のそれのようなものだと思いますよ」
「そ、そんな事、は。確かにあいつの事は、ずっと前から、だけど……」
 天音の言葉に、柚子の頬が熱くなる。
 気付けばずっと隣にいた彼の事を、違う目で見始めたのはいつからだったのだろう。その手の事に疎いあの少年が、自分以外の相手に目が行ってしまったら。しかし、自分から踏み越えて、今の幼馴染という関係を壊してしまうのは怖い。
 柚子がずっと抱えているその葛藤は、しかしあの事件から変化を見せ始めていた。
 日常はいつだって続くわけじゃない。安定した未来があるなんて限らない。
 だからこそ、思いを秘めているだけでは、必ず後悔する。
 ――そう、頭では分かっているのに。
「もっとも、その想いが叶うかどうかは別の話ですが」
「あんた全力で喧嘩売ってる?」
 睨みつけた柚子に、天音はゆっくりと首を横に振った。
「私がその原因ではありません。貴女に問題があるわけでもありません。ただ、今の彼の心は私たちではない別の相手に向けられているみたいですから」
「それって、どういう事?」
「春沢芳野さん、と言いましたか」
「え、ハル……!?」
 唐突に出された名前に、柚子は眉をひそめた。
 インディースの人気アーティストと、その熱烈なファンだったという関係は、あの事件の後で変化を遂げている。今の柚子にとってハルはどこかお姉さんのような感覚も持っていたのだが。
「どうして、ハルさんが?」
「あの事件の後、彼とハルさんが親しげな時を過ごしているのを何度となく確認しています。彼自身の思いは表に出にくい方ですが、少なくとも彼女が憎からず思っているのは明白かと」
「いや、だってそれは。あいつ、あれからハルさんの曲聞くようになったし。私みたいにファンとして話す事だってある筈でしょ!」
「ハルさんのお住まいから何度か出てきた所を目撃しているのですが」
 がたん。
 重々しい音を立てて、柚子の手から湯飲み茶碗が滑り落ちた。
「何、ですって……?」
「それも一度ではありません。これは由々しき事態だと思われるのですが」
「ちょ、ちょっとそれって……その、えーっ!」
 ハルの家から彼が朝帰り。
 柚子の頭の中に、あられもない姿で絡み合う彼とハルの姿が思い浮かんでしまう。
 ハルは、女の目から見ても綺麗だと柚子は思う。けだるげな仕草と口調は、自分にはまだ手の届かない大人の色気をかもし出している。それがどれだけ年頃の少年の心を迷わせるかは容易に想像がつく。
「だ、ダメよそんなの! ダメだって! だってハルとあいつは年だって!」
「三歳差です。春沢さんは学生と言うわけでもありませんし、残念ながらその方面は反対する理由には弱いかと」
「う……」
「彼女にその気がないのならば何も問題はないのですが、残念ながら……」
「でもダメ! そんなのはダメよ、だってあいつは、あいつは私がずっと……!」
 気づけば身を乗り出すようにして、柚子は天音にしがみつき叫んでいた。
 昨日の天音の行動は仰天し、許せないと思った。
 しかし彼女の口から告げられた「相手がハル」だという言葉は、柚子の中にあせりと、そして諦めの気持ちを生み出してしまう。
 アーティストとして尊敬している。そして、女としてまだ太刀打ちできない。二重の劣等感と、彼への思いが柚子の中に渦巻いて心をかき乱す。
 震える手で柚子は天音の肩にしがみつく。そこに彼女の手が、そっと重ねられた。
「ソデ……ではなくユズさん。諦めてもらっては困ります」
「え?」
「ハルさんとあの方との関係を、私としてもおめおめと認めるわけにはいきません。ですが今のままでは戦いは厳しい。だからたとえひと時でも、我々は手を取り合うべきだと思いませんか?」
「天音、さん?」
「そも、全ての悪魔を従えうるベルの王であるあの方と、原初の言葉によって悪魔たちを呼び寄せる事ができる春沢さんという組み合わせは、この世界を非常に危うくしかねません。レミエル様はその事を非常に危険視しておられます」
 天音の口元が、妖しくも美しい弧を描く。その様に、柚子の視線が吸い寄せられる。
「大事の前の小事です。再び東京に魔界を引き寄せるような惨事を招くくらいであれば、多少戒律に触れるような行為があったとしても見なかった事にしない事もないとの有難い言葉を頂きました」
「……それって?」
「以前は4−2で提案いたしましたが、交渉を持ちかけるのはこちらです。大幅に譲歩しまして2−2−2ではどうでしょう?」
「……最後の2は一体何よ?」
「それはもちろん私と柚子さん二人いっ……」
 皆まで言わせず、柚子は手近にあったお盆で天音の頭を引っぱたいた。
「……暴力は感心しませんね」
「ひ、人の部屋に入ってきてまで寝言ほざいてる方がよっぽど悪いわよ!」
 震える声で指を突きつけて叫んだ柚子に、頭をさすりながら天音は恨めしそうな視線を向ける。
「大体、何よ三人でって! ふ、不潔よそんなの、信じられないわよっ!」
「ですが、問題の解決には割と有効な手段だと思います」
「どこがよ!」
「ユズさん、貴女はとても魅力的です。そして私も僭越ながら、それほど魅力に欠けているとは思いません」
「み、魅力的……? 私が……?」
「ええ、あなたはとても魅力的だと思います」
 真顔でそう言いきられ、柚子は思わず言葉に詰まった。
 先ほどから口を開けば明後日に向けた言葉しか出てこない、頭に大輪の花咲かせた少女からであっても、褒められれば悪い気はしない。しかも口を閉じていれば九頭竜天音は掛け値なく美人なのだ。そんな相手に面と向かって魅力的といわれて、柚子としてもどう反応すべきか戸惑ってしまう。
 一緒に行動していた時には、彼女にこんな面があろうとは思いもしなかった。人は見かけによらないが、宗教関係者というものは総じてそういう一面があるのだろうか。
「ですが、私たちがそれぞれ単独で戦いを挑んでも、春沢さんに返り討ちに会うのは明白です。彼女は大人の女性です。ロッカーです。二つが合わさった破壊力は、女慣れしていない少年一人を屈服させるには十分すぎるでしょう」
「いや前はともかく後ろはあんまり関係ないんじゃ……」
「そこで私たちが手を携えて、彼に迫るのです! 柚子さんのその見事なおっぱいと私の生足があれば、必ずや、必ずや春沢さんに対して勝利を収める事ができる筈だとレミエル様も!」
「いやそれ絶対あなたの本能でしょ! 天使がそんな事言う筈ないじゃない!」
「些細な解釈の相違です」
「否定しなさいよっ!?」
 ずい、と身を乗り出してきた天音に、思わず柚子はのけぞった。何だか彼女の目がいつもと違う光を帯びている気がする。具体的に言うと精神世界で出会ったとってもけしからん感じ。
「そ、それによ! 仮にあなたと手を組んで、あいつがこっち側に来てくれたとしてよ! その、三人でってのは絶対におかしいわよ!」
「何がでしょう?」
「何がでしょうも何も、三人ってことは三人ってことじゃない! 何、あいつだけじゃなくてあなたにも見られるとか、あなたの見ちゃうとか、そんなの絶対おかしいし! 私、そんな趣味絶対ありませんから!」
「ああ、その事でしたらご安心ください」
 嫌な方向に目を潤ませたまま、天音はにっこり微笑んだ。
「翔門会の巫女として、神降ろしの依り代として、私はさまざまな経験を積んできました」
「へ?」
「リードは私がしますから。ええ、今までの経験に照らし合わせれば柚子さん、貴女が加わる事などむしろご褒美です」
 ダメだ。
 多分目の前の女は本格的にダメだ。
 がっくりうな垂れた柚子の肩に、優しく天音の手が置かれる。
「ですがそれもまずはあの方の思いをこちらに振り向かせてから。まずは作戦会議と参りましょう」
「そもそもOK出したつもりは欠片もないんですけど」
「ならば貴女一人で私と春沢さん、それぞれを相手にして勝ち抜けるおつもりですか?」
「う……」
「ともに手を取り合う仲間には慈悲を。ですが敵となるのであれば、私も容赦はできません」
 どうなさいますか?
 微笑を浮かべる天音に対して、柚子が出せる答えは決まっていた。
 あの七日間で学んだ事がいくつかある。
 尊厳は失うな。しかし取れる手段に躊躇うな。
「……とりあえず、ハルさんからあいつを振り向かせるまでよ。その後どっちを選ぶかは、あいつ次第なんだから」
 たとえ尊敬する相手とはいえ、小さな頃からはぐくんで来た思いを投げ捨てるには柚子は少女に過ぎた。
 中々踏み出せなかった一歩を踏み出す瞬間が、こんなアレな形でいいのだろうか。
 いきなり最初から逆を向いてしまっている疑念を、どうしても柚子は拭い去ることが出来なかった









 木内篤郎にとって、谷川柚子は数少ない普通に話せる女性である。
 世間一般に「オタク」と言われる人種である自覚がある彼にとって、嫁は二次元だの和尚さん箱から出てこないだの言い出すまでではないにしろ、普通に話せる女の子と言う存在は貴重なのである。
 親友の幼馴染であり、そして彼女の想いがどこに向いているのか。それに気付いていたとしてもなお、篤郎にとって柚子は大事な存在であった。
 だからそんな相手から「今すぐ家に来て」と言われれば、篤郎としては一も二もなく駆けつけるしかないわけだ。
「っても、一体何の用事なんだろうな」
 停学中のノート写させてなどなんだのであれば、他にいくらでも頼りになる友人を彼女は持っている。今ひとつ、わざわざ家に呼び出される理由が思いつかない。
「まあ、ソデコに失礼のないように心がけますかー」
 鼻歌交じりに彼女の家への道を歩く篤郎の頭の中に、邪な考えは思い浮かんでいない。
 もちろん健康な男である以上、その手の事に興味がないわけではないし柚子は目に毒なボリュームの凶器(おっぱい)を装備しているのだが、そこはそれ。
 木内篤郎は信義に篤く友人を大事にする男なのである。
 決して勇気がないとか貧乳派とかそういう事はない。断じてない。


「で、何でアマネさんがここにいるんだ、ソデコ」
「ソデコ言うな。そしてアマネさんの事に関してもホワイ禁止」
「えー」
 初めて入った友達の女の子の部屋の中に、もう一人別の女の子がいた。
 女慣れしていない篤郎にとっては、微妙にありがたくないシチュエーションである。
 ましてそのもう一人の女の子が、篤郎にとってむしろ苦手なジャンルに属している相手であればなおの事。
「疑問をもたれるのは至極もっともです。ですが今日はあの方に最も近しい親友である貴方を見込んで、お願いしたい事がございます」
「すいません、あれだけ死線を共にしておいてなんですが、オレ宗教は間に合ってますから」
「違います」
「ええと、どうやら同じクラスになったみたいだし友達としてお付き合いは大歓迎だけど、でも、その、思想の問題は中に入れないでもらえると助かるんだけど」
「ですから違います」
「そういうわけでソデコを巻き込むのも勘弁してやって……って、あれ、違うの?」
 冷や汗混じりにまくし立てる篤郎を、天音はじっと見つめている。その眼差しにはどこか苛立ちめいたものが混じっていたが。
「ええと……じゃあ、何でーっ!?」
 振り返った篤郎の肩にめり込みそうな勢いで、柚子の手が掛けられた。
「アツロウ、いい? 絶対他言無用よ!? 誰かに言ったら殺すわよっ!?」
「な、ななな何がだよソデコ! ッてか痛い! 肩痛い!」
「あのね、その……私、あいつの事……」
「だから肩痛い、力緩めてくれって……っ!」
「聞き終わるまで我慢しろっ! いいから! だから私はあいつの事がずっと前から好きなのよ! だから力貸して欲しいのっ!」
 顔を真っ赤にして鼻息荒く叫んだ柚子の姿に、篤郎は目を丸くして。
「……今更何を?」
「…………え?」
「いや、まさかお前。オレがその事気づいてないと思っていた……とか……?」
 あれだけ好きだ好きだとオーラを出しておいて、周りがそれに気付いてないと思えと言う方が無茶だ。
 篤郎としては当然そういう思いがあるわけだったのだが。
 女の子は時にひどく理不尽である。
 机上やネットの知識ではなく、実体験として篤郎が学習した代償は、頭のでっかいコブ一つだった。


「ですからその部分は端折って構わないと言いましたのに」
「信じられない……オタクロウのくせに……もう顔から火が出そうよ……」
「オタクロウ言うなっ! それで何か? ソデコはその事アマネさんに相談してたって事か? どうすればあいつを振り向かせられるかって」
「半分違います。正確に言えば「どうすれば私たちの方にあの方を振り向かせられるか」です」
 テーブルを囲んで、右側に柚子がいて左側に天音がいる。状況だけ見ればけしからん状態だよなぁと篤郎は思う。
 しかし彼女たちの色恋沙汰は自分の方を向いていないのだから、いい面の皮かもしれない。それでも困っているなら助けてやりたいし、親友と柚子の仲は良い方が良いに決まっている。
「ってか、「たち」っておかしくないか? あいつは一人しかいないだろ?」
「問題ありません。柚子さんとは先ほど一週間に2−2−2で手を打ちましょうと言う事になりましたので」
「なってないわよその部分はっ!」
「最後の2って何……」
 言いかけたアツロウだったが、右から殺されそうな死線が飛んできて口を噤む。
「それに関しての説明はまた後ほど。今は、あの方をいかにしてあの魔界の歌姫から取り戻すか。そのお知恵を拝借すべく、木内さんにご足労願いました」
「魔界の歌姫って……ひょっとしてハルの事?」
「ちょっと天音さん! ハルの事そんな風に言わないでよっ!」
「柚子さん。事は深刻で、そして貴女には危機感が足りないと言わざるをえません」
「う……」
「人と人とは手を取り合い、艱難辛苦を乗り越えるものです。その姿こそが神が望む姿でありましょうが、ですがこと恋愛においてだけは別だとレミエル様もおっしゃっていました。敵を尊敬する事も大事ですが、それは敵だと言う認識をしっかり持たねばなりません」
「えーと……」
「春沢芳野はわれらの試練です。越えねばならない壁です。打ち崩すべきバベルの塔なのです!」
 天音の口調は静かなのだが、それゆえに異常な迫力に満ちている。鼻白んで彼女に詰め寄ろうとした柚子だったが、その声と眼差しで引き下がってしまう。
 気持ちは分かると篤郎も思う。
 誕生日がまだ先なので歳そのものは一個下だというが、天音の雰囲気は同年代だとはとても思えない。ハルの身に纏っているものとはまた種類の異なる、妖しくも人をひきつけずにはいられない魅力であった。
 これをカリスマって言うんだろうかね。
 内心ため息をついた篤郎に、天音が向き直ってきた。
「そういうわけで木内さん。単刀直入にお聞きしたい事がございます」
「はいはい、オレに答えられる事なら何でもどーぞ」
 もはやこの部屋の中のイニシアチブは彼女が握っている。篤郎としては両手を挙げて、腹まで見せている気分である。
「あの方の好みのコスチュームと言うのは一体何なのでしょう?」
「…………は?」
「コスプレが嫌いな男なんかいません! と翔門会の同士が口にしていました。女の魅力をさらに引き出すのが衣装であると言う事は認識しているつもりです。なので私たちは、あの方の好みの衣装を是非に突き止めなければなりません」
「えーと、天音さん?」
「貴方でしたら、こういった事には詳しいとユズさんが」
「ちょおおおおおっ!?」
 冷や汗流して篤郎が柚子を見ると、彼女はジト目で彼の事をにらみつける。
「だって、あんたオタクなんだし、こういう事詳しいに決まってるわよね?」
「そういう訳で、よろしくお願いします木内さん。予算が余りかからない事に越した事はありませんが、その辺は気にしないでください」
 篤郎は、途方にくれた。自分がどういう目で見られているのか良く分かって涙が出そうになったが、今はそれどころではないらしい。
 恋する少女が好きな男を振り返らせたい気持ちは良く分かるのだが、コスプレは一足どころか八艘飛んでいる。。どこをどうこねくり回してそういう結論に至ったのか、篤郎は天音に問いかけたい思いで一杯だった。
 そもそもあいつはコスプレ愛でる趣味などあっただろうか。
 親友の趣味思考をそこまで突き詰めて聞いた事などなかったのだが。
「ええと……」
「何!?」
「何でしょうか、木内さん」
 二人とも本気の目をしていた。
 顔をしかめて考え込んだ篤郎だったが、不意にある事に気付いた。
 てかなんでこんな事真剣に悩まなければいけないんだ
 好きな男を振り向かせるためにコスプレとか。どう考えても性質の悪い冗談ではないか。迫真の演技でからかっているだけで、ひょっとしたらあいつもどこかでこの光景を見ていて、意地の悪い笑みでも浮かべているのかもしれないではないか。
「そう、だな……例えば」
 表情だけは真剣なものを浮かべて、篤郎は考える事を放棄した。
 出来る訳もないものを適当にずらずら並べて、この場は退散する事にしよう。笑いに変わればなお良しだ。天音に巻き込まれているらしいソデコは災難だが、後で一対一でフォローをすれば何とかなると思いたい。
「まずは、ネコ耳だな」
「ネコ……」
「耳、ですか」
「あいつのヘッドフォン見れば分かるだろ? あいつはネコ派だ。ネコ大好き。だからまずはおそろいの方面で攻めるのが良いんじゃないか」
「なるほど、ネコ耳ですか……」
「よく見てるのね、アツロウ。凄いじゃない」
 いや待て。
 全力で突っ込み待ちだったのに、少女二人は真面目にメモまで取り出している。
 天音はともかくソデコまでボケ側か。口元を引きつらせながら、それでも篤郎は頭に思い浮かんだ衣装を恥から並べていく。
「黒基調でレース使いまくったミニスカメイド服と、スリットのきついチャイナの二択でセクシー路線とかいいんじゃないか? ただチャイナはハルさんの服装と方向性が被りそうだから、個人的にはメイド服を勧めたい」
「そうね、被りは避けたいわ」
「胸元はなるべく大胆に。おっぱい嫌いな男はいない。それはオレだってあいつだって同じ事」
「ユズさんの得意分野ですね。私も善処いたしましょう」
「眼鏡は好き嫌いが分かれるので、一種の賭けだな。ちなみにオレは大好き……」
「あんたの好みは聞いてないから! 次」
「…………後は、そうだな。登場する時には意外性を演出した方がいいかもな。コートとか帽子で隠しておいて、私脱いだら凄いんです、みたいに」
「落差の演出ですね、分かります。説法会でよくやりました」
「纏めると、ネコミミにミニスカ胸チラメイド服黒ニーソに白手袋。二人そろいであいつに全力アタックしかけてみる方向で!」
 勢いよく机を叩いた篤郎の言葉に、少女二人が感嘆の声を上げる。
「――もちろんこんな格好で現れればドン引きするから、これは悪いれ……」
「メイドね。ベタ極まるアイデアな気もするけど、それならまあ、何とかやってやれない事はなさそうね」
「さすがです篤郎さん。相談を持ちかけたのは正しかったようです」
「じゃあ、何とかその辺をそろえる方向で。期待していいの?」
「任せてくださいユズさん。話を持ちかけたのは私です。金銭面での負担を掛けるつもりはありません」
「って。いや、その……」
「それじゃ今日は有難うね、アツロウ。また何か分からない事があったら聞く事にするわ」
「本当に、有難うございました」
 皆まで聞き終えることなく、篤郎は流れるように外に押し出されてしまった。
 どうやら、本気らしかった。二人とも。
「…………マジで?」








 変われば変わるものだ。
 我が事ながら春沢芳野はそう思わずにはいられなかった。
 人を信じる事が出来なかった。もちろん、自分を信じる事など出来よう筈もなかった。死に惹かれた自分の歌声が、この東京に悪魔を呼び寄せてしまったのだと思い込んでいた。
 一度見失ってしまった道を、今ははっきりと視界におさめている。自分を「ハル」と呼び、最初にそれを指し示してくれた人とはもう会う事が叶わなくても、もう一度与えてくれた人たちの思いを裏切る事は、決してしない。
 日常を取り戻した東京を見る度、ハルはその決意を新たに胸に刻み込んでいる。
「まあ、こうやってデートして歩きたくなるくらいには、世の中も平穏無事になったという事かね」
 意味有りげにハルがそう囁くと、隣に立つ少年はとたんに平静を失い慌てふためく。力を手にしてもぶれずに自分を救い出してくれた、あの姿とのギャップが見ていてたまらない。
「誘ってきたのはアンタだろ? アタシを横につれて歩いているんだから、もう少ししゃんとしてくれなきゃ、ね」
 歳の差以上のイニシアチブを感じるこの瞬間が、ハルは大好きだった。お気に入りの白のロングワンピースはスリットも大きく、道行く人々の視線を強く感じる。それも嫌いではなかったが、隣に立つ少年のやり場のない困惑の眼差しが、彼女の心を煽り立てる。
「さて、次はどこへ行くんだったかね……と」
 言いかけたハルは、種類の違う視線を感じ、足を止めて振り返った。
 敵意ともまた違う。時折行われる対バンの相手から向けられる物に近い。小首を傾げてそちらを見た彼女の目に、見覚えのありすぎる顔が二つ並んでいた。ビルの陰から何故か彼女たちをじっと見つめている。
 隣の少年の驚きが伝わってきて、ハルは少し眉を顰める。気持ちは分かるが、隣に女がいる時にそういう態度は格好がつかないだろうに。
 どうやら何かの機会をうかがっていたようだ。信じられない事に隠れているつもりだったらしい。普通に近寄っていくだけでは、そそくさと逃げ帰ってしまいそうだ。
「おや……アンタらは」
 だからハルは自分の方から声を掛ける事にした。
「こ、こんにちわ、ハルさん。谷川柚子です」
「お久しぶりですね、春沢芳野さん。九頭竜天音です」
「いやハルでいいから。畏まったの、好きじゃないから」
 逡巡していた少女二人が、諦めたように物影から姿を出したを見て、ハルも軽く手を上げて答える。
 懐かしいと言うにはまだ時間が近すぎる、あの七日間の同士との再会に、ハルはわずかに口元を緩ませる。手を取り合って喜ぶのは彼女の流儀ではないし、された相手も驚くだろう。
 それにしても。
「……ちょっとそんなコート引っ張り出すには時期が早くないかい?」
「え、えええええと、これにはその、いろんな理由が」
 柚子も天音も揃いのロングコートとニット帽に身を包んでいる。少しずつ風が冷たくはなってきていたが、まだクローゼットに眠らせておいても良さそうな代物なのだが。
「それにアマネ、アンタ眼鏡なんか掛けていたっけ?」
「賭けです」
 意味が分からなかった。
 それはハルの隣に立っている少年も同様だったようで、柚子と天音を見比べて首をかしげている。
「ええと、その。ハルは……その」
 同じようにハルと少年の間で視線をさまよわせている柚子を見て、彼女の中に悪戯心が沸き起こる。
「もちろん、デートしてたのさ。アタシら位の男と女が二人で歩いてれば、それ以外ないだろ?」
「え、それは……!」
「しかも誘われちまったからね、断るわけにはいかないだろ?」
 ハルがそう言うと、柚子は顔を赤らめうつむいてしまう。それが恥ずかしさからでない事は、同じ女としてハルにもよく分かる。
「受身なのかと思っていたら、割と積極的だったね。アタシも驚いているところさ」
 小さく笑い声を立てて、ハルは少年の腕に自分の腕を絡めた。
「……いこう、天音さん。やっぱり……」
 やがて、ポツリと呟いて踵を返そうとした柚子の手を、隣の天音の手が掴んだ。
「駄目です」
「でも……!」
「ここで逃げ出しては、何の意味もありません。それは何より、己からの逃走に他なりませんよ!」
「何でも良いけど、話があるなら早めにしてもらえると嬉しいね」
 挑発的に言ってみせたハルの言葉を、天音の瞳が受け止める。
「ハルさん。私たち二人は、貴女に戦いを申し込みに参りました」
「戦い?」
「その方の隣に立つべく、女として負けるわけには参りません」
「あー、そういう、事」
 ハルの口元がわずかにゆがむ。柚子の態度から分かってはいた事だが、天音の口からその言葉が出たのは意外だった。
 伝えるべき事は分かっているのだが、もう少し成り行きを見守りたい。そう思った彼女は、殊更に少年に擦り寄ってみせる。
「それで、どうするんだい? どこかの喫茶店でも入って女三人で醜く罵り合おうか?」
「それには及びません。この場で、選んで頂きます。そのための準備を、私と柚子さんは整えてまいりました」
「準備?」
 小首を傾げたハルに答えるように、天音の手がコートのファスナーに掛かる。
「さあ、柚子さんも!」
「ちょ、いや、ここでーッ!?」
 しかし何故かその天音の手をさえぎるように、柚子がしがみつく。
「何故邪魔をなさるのです柚子さん! 覚悟は決めたと言っていたでしょう!」
「こんな所でなんて覚悟決めてないわよっ!」
「我々の思い人と、その怨敵が今目の前にいるのです。これを好機と言わず何といいますか!」
「人! 通行人! 周りの目が多すぎるわよ! 好機じゃなくて好奇に晒されるだけでしょ!」
「見損ないましたよ柚子さん! 貴女の思いはその程度で輝きを失ってしまうのですか!」
「それとこれとは絶対話が別だと思うんだけど!」
 何やら意味の分からない言い争いを始めた二人の姿に、ハルはため息をついた。
 なにやらややこしい事になってしまったが、まあ後のフォローはしっかりする筈だ。そのくらいの甲斐性は持っている筈だと信じたい。
「あー……用事が済んだんなら、アタシらもう行くけれど」
「どうやら言葉では埒が明きません。仕方ありませんね……!」
「え、ええっと! その、待って天音さん……!」
 ハルが少年の手を引いて、踵を返そうとした瞬間だった。
 天音の手が柚子のコートに掛かり、それを強引に引き摺り下ろす。
「ちょ、きゃあぁぁっ!?」
 響き渡る柚子の悲鳴に、彼女たちの周りを歩いていた通行人も足を止め。

 ――そして、重苦しい静寂が辺り一帯に立ち込めたのだった。









「もう死ぬ。死にたい。死なせて。死ぬしか……」
「何をそんなに嘆いておられるのですか、柚子さん」
 自分のベッドで突っ伏して、柚子はうわごとのように呟き続ける。天音はテーブルの前に腰を下ろして、その姿に小首を傾げている。
「全て上手くいったじゃないですか。喜ばしい限りです」
「それが何より信じられないんだけどっ!」
 天音の言葉に跳ね起きた柚子は、射殺さんばかりの視線で睨み付ける。
「あんた、全部知っててやったでしょ? そうよね、そうと言いなさい!」
「一体何の事なのか、私には分かりかねますが」
「この……!」
 掴みかかろうとした柚子だったが、ため息とともに肩を落とす。
 そう、柚子自身信じられない事に、何故か上手くいったのだった。
 駅前通りでネコミミミニスカ黒メイドなどと言う格好の柚子を、彼は受け入れてのけたのだ。
「違った姿が見れて嬉しい」などと真顔で言い、突き刺さりまくる周りの視線野中で彼女は固く抱きしめられた。
 そも、彼がハルと一緒にいたのも、柚子への告白のきっかけとプレゼントの相談だったと言うのだから。
 結果だけ見ればハッピーエンド極まりないと言えるだろう。
 見ている見物人の中に、クラスメートがいなければ。
「明日どんな顔して学校に行けって言うのよ……」
「幸せを隠す事は罪です。胸を張って行きましょう」
「あんたが余計な事をしなければ、こんな悩みを抱えずに済んだんだと思うんだけど!」
 耐え切れずに柚子は叫んだ。
 天音を叩き出して二度と顔を見たくないと言いたいのは山々だったのだが、結果的に上手くいってしまった以上、無碍にそうするのは躊躇われる。何より天音の服が置きっぱなしだ。
 しかしそれでも、精神的に落ち着いたままでいられるかどうかはまた別の話である。
「そもそも私があんな事しなくても、上手く言ったって事じゃないのよ……」
「――そうやって、受身でただあの方からの愛を待ち続けるおつもりだったのですか」
「え?」
 うな垂れた柚子を見つめる、天音の視線が変わっていた。思わずそちらを見た彼女に向かって、天音がずいと身を寄せてくる。
「確かに、あの方のお陰で世界が平和と日常を取り戻しました。今、人が人らしく生きていられるのは全てそのお陰です――ただ一人だけ、あの方を除いて」
「何が言いたいのよ……?」
「ベルの力はただ眠っているだけです。ひとたび目覚めれば、人々を導く救世主にも、秩序を破壊し力を振りかざす万魔の王にもなりえる危険な力を、「人」であろうとする事で、あの方は押さえ込んでいるんです」
 天音の手が、そっと柚子の手に重ねられた。
「私があの方の傍にいて、常に見守りたいのは山々です。同じ種類の苦しみを背負ったハルさんの本音も、おそらくは一緒でしょう。ですがあの方が人として、人の幸せを享受して人として死ぬためには、隣に立つべきはやはり力を持たない人の子であるべきなのです」
「天音、さん。ひょっとして、それって……」
 呆然と見つめる柚子に向けて、嫣然と微笑み、天音は彼女から離れた。
「柚子さんの持つ愛情は非常に好ましいものだと思いますが、覚悟が足りてないように見受けられましたので」
「……でも、あなたもあいつの事をって。それに戒律を外れてもとか色々言っていたのに」
「さて。戒律を外れる行いは多々繰り返してしまいました。人を謀り弄ぶことは、固く禁じられておりますし。貴女の背中を押すためとはいえ、レミエル様がこの場にいれば随分と怒られる真似であったと思われますね」
 ジト目で見つめる柚子だったが、天音は普段の無表情を取り戻していた。
 今その裏を読み取るには、まだ、色々と足りないらしい。
「そっか……ただ待つより自分から行きなさいよって、そういう事だったのね」
 堪えきれず、柚子は笑い出した。明日からの事を考えればもう笑うしかないと言う状況だったが、夢が叶ったまま死にたいと考えるよりははるかに健全だろう。
「分かって頂けたのならば光栄です、と」
 ぽん、と天音は手を叩いた。
「ところで、柚子さん」
「何?」
「配分の比率なのですが、3−1−2と言う事でよろしいでしょうか」
「…………はぃ?」
 呆けた柚子の前で、天音は真顔で、
「やはり柚子さんが正妻である以上、私個人の立場としては一歩引かざるをえないわけですが、あの方に一緒に愛していただく日数を削るのは苦しいものがあります」
「いえ、ちょっと。何を言ってるの?」
「王であり救世主である方が、たった一人の愛と体のみで満足できるとはとても思えません。そうなれば彼を人として留め置くためにも、姦淫の戒めを破ってでも私がこの身を捧げる必要が」
「ないわよ! なに堂々と本人の前で愛人宣言出してるのよあんたはっ!?」
「陰で姑息に立ち回りあの方と関係を持つわけには参りませんので、ここは一つ柚子さん、貴女としっかり協定を結んでおく必要があると思うのです」
「最初と何にも変わってないでしょそれっ!? て言うか、昨日からこっち、実は貴女楽しんでいたでしょ! 私からかって全力で楽しんでたわよねあんた!」
「きゃあっ!」
 駄目だこの女早く何とかしないと!
 血の上りきった頭で飛び掛った柚子の勢いを天音は支えきれず、そのまま二人でもんどりうって床に転がり込む。
「ってて…………」
「これは、困りましたね」
 痛みに顔をしかめた柚子の下で、組み敷かれた天音が顔を赤らめる。
「と、とりあえず昨日からの事、一言謝って……って?」
「予行練習でしょうか?」
「は?」
「女性の方と一対一でと言う経験はちょっと、私もあまり無いのですが」
「はぁっ!?」
 思わず身を引こうとした柚子の背中に、いつの間にか天音の手が回されている。
「いや、ちょ、え、天音さんっ!?」
「これから頑張りましょう、柚子さん。同士として」
「何をよーっ!?」



 誰か教えて欲しい。
 どこで足を踏み出し間違えたのか。
 傍らで寝息を立てる天音の隣で、柚子は一向に出てこない答えに頭を抱え続けるのだった。



【おしまい】



■後書き
 友人に勧められて始めたこの「女神異聞録 デビルサバイバー」と言うゲームなのですが、気付けばどっぷりとはまってプレイしておりました。
 キャラが皆生き生きとしていたのが、魅力の一つだったのだと思いますが、その中でも今回出てきたこの三人の女性陣が非常にお気に入りであります。
 所々壊れ気味で暴走しまくっていましたが、また彼女たちを使った話は書いてみたいですね。
 ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。



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