「……あの子が、結婚?」
 豪奢な椅子にその身を預けた少女が、傍らに控える男に向かって訝しげにそう問いかけた。
「御意。いくつものルートから、同じ情報が入ってきております。まず間違いないでしょう。アルクェイド・ブリュンスタッドは、遠く極東の地で伴侶を見つけた模様です」
 頑健な体躯から想像される通りの、深く、低い声でそう応える男。年の頃は壮年に入り始めた辺りか、一部の隙もなく着こなしたスーツが、彼の性格を端的に現しているようだった。
 少女は、眉宇をひそめて、しばらく考えこむ。
 彼女の知る限り、アルクェイドという存在は、『結婚』などと言う言葉とは全く縁の無いものの筈だった。
 プログラム通りに動き、役目を果たせばまた眠りにつく人形。今まで見守ってきた間、変わる事無く繰り返されてきたその円環が、どうして途切れたのか。
 確認しなければなるまい。自分の知らないこの一年の間に、一体何があったのかを。何が彼女を変えたのかを。
 少女は立ち上がり、微笑を浮かべた。目の前の男に向けたものではない。
 彼女の記憶の中、『人形』だった白い姫へ。
「しばらく城を空けるわ」
「お一人で日本へ向かわれるのですか?! 危険です、我々も……」
「ダメよ。留守居役は必要だし、あなたたちまで連れていったら、無用な警戒を招いてしまう。それに、姉が妹に会いに行くのを邪魔するほど、あなたは無粋なの?」
「……いえ。ですが、十分にお気をつけ下さいませ」
 その言葉に軽く頷き、少女はそのまま部屋を後にした。






訪問者







−1−





「はぁ……」
 目の前に積まれた大量の紙の束を見て、遠野秋葉は心からのため息をついた。物憂げに頭を振ると、長く艶やかな黒髪がゆるく波打った。
 遠野の邸宅の執務室。先代である彼女の父、槙久の時は、虚栄や威厳作りのために随分と豪華な調度品で飾られていた部屋だったが、後を継いだ彼女はそれらのほとんどを片付けてしまった。
 現在屋敷の維持は、双子の侍女である翡翠と琥珀の二人に一任されている。少しでも二人の手間を減らしたいと言う建前ではあったが、実際の所は彼女の、父に対する嫌悪感だったのかもしれない。
 そんな当主の仕事場としてはいささか殺風景な部屋に、ノックの音が響いた。
「開いてるわよ」
「失礼します、秋葉様」
 入ってきたのは琥珀だった。その手には手には数通の手紙を抱えている。
 それが視界に入った瞬間、露骨に秋葉の顔が引きつる。
「まさか琥珀…またなの?」
「ええ、秋葉様。イギリスが一通に、後は中欧系のからが多いですね。ここは……確かこの国の王家とも繋がりのある家系ですよ。あ、これも……これもそうですね」
 目の前の、変な知識がやたら豊富な侍女を半眼で睨みつけ、手紙を机の上に置いておくように指示する秋葉。その言葉に従いかけた琥珀は、ふと手を止めて主人を見やる。
「中は御確認なさらなくてよろしいのですか?」
「…いいわよ。どうせ全部一緒でしょうから」
「なるほど、それにしてもこの一週間、本当に凄いですね。ちょっとした人名禄が作れそうですよ」
「いらないわよ!」
 思わず大声をだし、机を叩く秋葉。衝撃に耐えかね、数通手紙が机から滑り落ちた。
 そう、今秋葉の机の上に乗っているのは全て手紙だった。それもほとんどヨーロッパの名のある(らしい、としか分からない家の方が多かったが)家柄から。その内容は全て一緒。
 遠野志貴と、アルクェイド・ブリュンスタッドの婚約に対する祝辞であった。




 秋葉にとって忘れたくても忘れられない二ヶ月前。アルクェイドを家に連れてきた志貴はいきなり宣言した。
「高校卒業したら、アルクェイドと結婚する」
 その言葉を聞いた翡翠は固まり、琥珀の微笑みは凍った。そして秋葉は一瞬呆然とした後、暴れた。比喩抜きで家がなくなるほどの勢いで。
 その時の秋葉の心の中を現すならば、この言葉に尽きるだろう。曰く、
 ――油揚げ攫われたー!!
 確かに今はあの泥棒猫と付き合っているようだが、結婚となれば話は別だ。まだ巻き返すチャンスはいくらでもある筈。そう思っていた矢先の青天の霹靂。
 当然秋葉は大反対。口だけではなく、かなりの実力行使も伴ったと言うのに、志貴はガンとして考えを変えなかった。
 結局、結婚後も志貴には大学へいってもらう。そしてアルクェイドにはこの家で暮してもらう、等の様々な条件を付けることで、しぶしぶながら秋葉が折れたのが一月前。そして久我峰や刀崎、有間と言った分家筋や、仕事上懇意にしている相手に婚約披露したのが、つい一週間前である。秋葉にとっては不本意が服を着て居座っていたようなこの二ヶ月間だったが、良かったと思える事も一つだけあった。
 志貴とアルクェイドとのすったもんだの騒動の折り、ふとした事で遠野の血と自らの『力』が志貴に発覚してしまうと言う事件があった。
 普通の人間ならば、畏れ拒絶する『魔』の力。
 しかし志貴は秋葉を拒絶する事も、変に労わる事もなく、そのまま今まで通りに自分の妹として受け入れたのだった。
「俺だって、変な目を持ってるし。そう言う力を持っていようとなんだろうと、秋葉は秋葉だろ?」
 本当に自然に、そう言って秋葉の頭をポンポンと軽く叩いた志貴。
 その時秋葉は理解した。志貴が、本当に自分の事を愛してくれていると言う事を。
 それが兄として妹に向ける愛情であっても、愛されていると言う事に変わりは無い。もう二度と自分を見捨ててどこかにいくようなことは無い。そう、確信できたのだ。
 十年越しの思いは結局実る事無く散ってしまったのだが……自分はこれで我慢しておくべきなのかもしれない――最近の秋葉はそう考えるようになっていた。
 しかし、理屈で納得しても失恋の傷自体が癒えるのはまだまだ先の話。そんな中、全く付き合いもない所から祝辞の絨毯爆撃である。秋葉でなくたって大声の一つも出したくなるだろう。
「大体おかしいと思わない、琥珀?」
 こめかみを抑えながら呟く秋葉。
「両儀や浅神、巫淨、後は草薙や神楽に葛葉――今うちと対立しそうな力を持った退魔方はそのあたりかしら。ともかく、その辺りから何らかのアクションがあるならまだ分かるわ。非友好的でも、関係はあるのだから。でも、ヨーロッパの聞いた事もないような小国の王家から手紙が来たりするってのは一体どう言う事?」
「そうですねぇ。遠野グループも海外進出は今だ積極的ではないですし。あ、秋葉様。秋葉様の御学友からの線は?」
「……琥珀、私があそこで兄さんのプライベートを漏らすと思う?」
 半眼で琥珀をにらみつける秋葉に、いつもの笑顔であははーと琥珀は首を横に振った。
「そうですよねぇ。とするとやはり考えられるのは、アルクェイドさんの繋がりと言う事になるのですが」
 その言葉に、秋葉は(ひどく不本意ながら)自らの『姉』となる人物の顔を思い浮かべる。
 自分がたとえ反転しきっても毛ほどの傷もつけられないであろう夜の支配者。世界にただ一人残った真祖の姫。月の寵愛を一身に集めた美しき吸血姫。
 そう言った、畏怖と賛辞を集め、誇られるべきである『姉』の顔は、しかしにぱ〜っと笑った顔か、えへへ〜と緩みきった顔しか浮かんでこなかった。
 なんだか世の中の不条理にひどく怒りを覚え、秋葉は憮然とする。
「それしかない、筈なんだけど……あの人の同族はもはや滅んでしまっているそうだし、あの人自身、普段は『仕事』以外居城から出る事はなかったそうだから」
「あらら…そうするとむこうの上流階級の方々と交友すると言う事は無理ですねぇ」
 顔を見合わせる秋葉と琥珀。捜査は袋小路に行き詰まってしまったようだ。
 これは、久我峰辺りに本格的に調査させるしかないだろうか。秋葉が、あまり好感の持てない分家の当主の顔を思い浮かべた時、再びドアがノックされた。
 今日は日曜日。志貴は朝からアルクェイドとデートに行っている。今家にいるのは、後は翡翠だけだった。
「いいわよ、お入りなさい」
「失礼します」
 控えめな所作で入ってきたのは、果たしてもう一人の使用人、琥珀の双子の妹の翡翠である。
「秋葉様、表に秋葉様へのお客様がいらしているのですが」
 翡翠の言葉に首を傾げる秋葉。
 妙だ。この時間に誰かと会う予定は入れていなかったはずだ。そう思い琥珀の顔を見る秋葉。彼女のスケジュール管理をする琥珀も頷き、「アポのあるお客様ではないですねー」と秋葉の疑問を肯定する。
「翡翠、その方のお名前は?」
「はい、シエル様です」
 翡翠の言葉に、秋葉と琥珀は再び顔を見合わせた。
 知らない名前ではない、どころか、つい先ごろまでこの三咲町にいた人間である。そして秋葉達にとって歓迎すべからざる事実として、彼女もまた志貴を狙っていた一人であった。
 数ヶ月前、仕事でヴァチカンに戻ったと聞いていたのに、何故また戻ってきたと言うのか…?
「どうしますか? シエル様は都合が悪いようなら後ほどまた来ます、とおっしゃってましたが」
「構わないわ。翡翠、応接間にお通しして。琥珀はお茶の準備を」
『かしこまりました』
 一礼し、部屋を出ていく二人を見やって、秋葉は少し考えこんだ。
 シエルの『職業』を考えると、正直会いたくない、と言うのが本音だ。しかしこの時期にまた三咲町に戻ってきたと言う事は、間違いなくアルクェイドの事がらみだろう。
 それにヨーロッパは彼女の本拠地である。ひょっとしたらこの馬鹿げた祝辞攻撃の謎も解けるかもしれない。
 ため息を一つつき、秋葉は軽く頭を振ると椅子から立ちあがった。




「お久しぶりです秋葉さん。お変わりありませんようで、何よりですね」
 秋葉が応接間に入ると、先に通されていたシエルが立ちあがり、一礼した。薄いブルーのスーツに身を包み、セミロングほどまで伸びた髪を後ろでまとめたその姿は、最後に彼女の姿を見た時とは大分印象を異にしており、少し秋葉は面食らった。
 正直、カトリックの司祭と言うよりはどこかの会社の秘書か教師を連想させる姿である。縁無しの小洒落たデザインの眼鏡を掛けていた事も、そのイメージを助長した一因かもしれない。
「ええ、お陰様で。シエルさんこそお元気そうね」
 返す秋葉の口調がやや固くなってしまったのは仕方ないだろう。何故ならシエルの本当の職業は、神の名の下に吸血鬼を処断するエクソシスト。秋葉のような『魔』との混血に対しても、良い感情を抱いているとは言い難い筈だからである。
 秋葉はシエルに椅子を勧め、自らもその向かいに腰を下ろした。
「それで、本日は一体どういった御用件なのかしら?」
「はい。実は遠野くんとあのあーぱー……もとい、アルクェイド・ブリュンスタッドが結婚すると言う話を伺いまして」
「……ええ、その通りですが」
「つきましては、その結婚式をローマ――ヴァチカンで挙げて頂きたいと思いまして、こうしてお願いに参りました。勿論その費用はこちらで全額持たせていただきます」
 爆弾は、何気無しに投げこまれた。
「な……何を言っているんですかあなたは!」
 思わず立ちあがり、大声を上げる秋葉。
 他の事ならば我慢出来る自信はある。しかし、よりにもよって最愛の兄の結婚式を、天敵たるシエル達に取り仕切らせるなど、論外も良い所であった。
「兄さんの結婚式は、遠野家が全力を持って取り仕切りますわ。兄さんを助けていただいた御恩もありますし、知らない仲ではありませんから、お望みでしたら招待状くらいは差し上げますが。それ以上の差し出口は御遠慮願いますわ」
 多少声のトーンを落とす事には成功したが、怒りの色は隠し切れるものではなかった。そんな秋葉の言葉を聞き、ため息をつくシエル。
「まぁ、それが当然ですよね。私だって秋葉さんの立場だったらそういう反応しますから。ただ、少し説明させてもらえませんか? 貴方が知らなくても無理は無い事なのですが、ヨーロッパにおいてアルクェイド・ブリュンスタッドは、本当に特別な存在なんです」
「……分かりました。聞くだけは聞きましょう」
 内心の怒りを押し殺して、秋葉は再び腰を下ろした。残念ながら自分の『姉』となるアルクェイドについて、自分は分からない事があまりに多い。シエルがそれを説明してくれるのならば渡りに船である。少なくとも先ほどの不愉快きわまる発言の代償にはなるだろうし、上手くすれば手紙の謎も解けるだろう。
 シエルは用意された紅茶を一口啜り、それからゆっくりと語り出した。
「アルクェイドは真祖と言う、この地球が作り出した人間監視のための超越種で、事実上この世に存在する全ての『魔』の中で頂点に君臨する生き物です。そして『ブリュンスタッド』という名は、真祖の中でもっとも力強き一族に与えられる尊称で、言ってみれば真祖の王族なんです」
 その辺りは秋葉の知識にもある情報である。軽く頷いて先を促す。シエルは指を片頬に当てて少し考えこむ仕草をすると、不意に秋葉に問いかけた。
「ところで秋葉さん、貴方の御先祖はその昔、強力な『魔』と交わる事でその力を手に入れられたのですよね?」
「……ええ、確かにそう伝わっていますが。それが何か?」
「貴方の御先祖と同じ事を考えた人間、ヨーロッパにいなかったと思いますか?」
「それは……」
 思わず言葉に詰まった秋葉。
 人間は大なり小なり力を求める生物で、それが手に入る機会があれば、大抵の人間は後の事など考えずにそれに手を出してしまう。それが後に何をもたらすかも考えずに。
 秋葉の身に流れる血と異能の力は、彼女自身が求めたわけではないのに彼女を捕らえ、決して離そうとしない。挙句反転衝動などと言う爆弾まで彼女に残してくれた。
 それがもたらす『力』に目がくらみ、『魔』と交わった先祖――彼らに恨み言を言ってやりたい気分に駆られた事は、一度や二度ではなかった。
 だが、それこそどうでも良い事だし、まして目の前の女になど決して話したい事ではなかった。シエルもその辺りの事は感じ取ったのか、秋葉の様子には気付かぬ振りで話を続ける。
「実はヨーロッパの有力な一族には、かなり『魔』との混血がいるんです。『魔』の力は彼らの望む繁栄を手に入れさせましたが、反面多くの悲劇を生み出してきました。
 暴走した混血は一族に重大な危機を招きます。内部崩壊はもとより、それがきっかけで埋葬機関や異端審問官の介入を招き、滅ぼされた一族も無数にあった事でしょう。
 それを防ぐために混血の一族がとった手段。それが真祖への服従なんです」
「服従、ですか……」
「ええ。魔の力を以って人として権勢を得て、人の世に真祖の居場所を作る。真祖はその見返りに彼らを私達のような狩人から庇護する。または暴走した『混血』を処断する。真祖の王家たるブリュンスタッドは、それによってヨーロッパに隠然たる権勢を持ったわけです」
 その説明で秋葉は理解した。
 つまりこの一週間、ひっきりなしに届く手紙は全て『混血』な家柄から、主人への御機嫌伺いだったと言うわけだ。本来ならブリュンスタッドの家に送られるべき祝辞なのだろうが、もはやアルクェイドしか存在していないのでは、結婚相手である遠野の方に送らざるをえなかったのだろう。
 だがしかし、一つ疑問は解けたが、それが新たな疑問を生んでしまった。
 秋葉は口元に指を当てながら、シエルに向かって問いかける。
「でも、もはや真祖――ブリュンスタッドはアルクェイドさんだけなのでしょう? それもかなり昔から。そんな状態では、人の世に対する影響力など持ちえないのでは?」
 そう、いくらアルクェイドが圧倒的な力を持っていたとしても、もはや世に一人しかいない真祖が果たして人の世に影響力を持ちえるのだろうか?
 そんな秋葉の問いかけにシエルは首を横に振る。
「――実はブリュンスタッドはもう一人いるんです。アルクェイドの姉とも言える存在が。ある意味彼女が『魔』を纏め上げているから、今日に至るまで裏の世の中は安定してきた、とも言えますね。我々としては腸が煮え繰り返るような思いですけど」
 深々と、本当に残念そうにシエルはため息を付いた。教義による秩序の代行者としては、その教義に真っ向から対立している存在に世界の平穏を握られている事には耐え難い怒りを感じるのだろう。秋葉には今一つ理解し難い感覚ではあったが。
 それよりも秋葉にとっては『アルクェイドの姉』と言う存在が気に掛かったが、それに気付いてか気付かずか、シエルはそのまま話を続ける。
「まぁ、そう言ったわけでこの21世紀の世の中でも、ことヨーロッパにおいて『ブリュンスタッド』の名の持つ意味は果てしなく重いんです。その唯一直系の姫が、極東の名家の長子と結婚ですからね。インパクトとしては、日本の天皇家の皇太子がいきなりヨーロッパの貴族の娘と結婚する、と言うのに近いかも知れません」
「…それはそれは」
 秋葉はこめかみを押さえた。
 想像以上だった。まさかあのあーぱー娘がそこまで重要人物だったとは。恐らく本人は自分の存在の重要さなど欠片も理解していないあたりが、更に腹立たしい。
 ――この事を理由に志貴とアルクェイドの結婚を取りやめさせる。
 一瞬浮かんだあまりに魅力的なプランを、秋葉は頭を振って追い払った。
 そんな事をすれば、いくら兄でもこの家を出ていってしまうかも知れない。二度と兄の顔を見られなくなる、その寂しさに正気を保ちうる自信はなかった。
 その様子を見たシエルが、言い辛そうに言葉をつなげた。
「……これは一応機密事項ではあるんですが……先ほど私が「ヴァチカンで結婚式をあげて欲しい」と言ったのは、正直な所、遠野君、そして遠野家の監視目的なんです」
「……え?!」
「アルクェイドが『ブリュンスタッド』でありさえすれば、恐らく誰も文句を言いません。というか言えません。ですが、秋葉さんの行った婚約披露では、アルクェイドが遠野家に嫁入りする形になっている」
「当然です。遠野家の長男をおいそれと婿になど出せるわけが……」
「今、私の職場も含めて『裏』の世界では大変なパニックが起きているんですよ。「極東の一旧家が真祖の姫を取りこんだ。遠野とは、そして相手の男は一体何者なんだ!」、って」
「…それはつまり、穏便に済ませるには、兄さんをブリュンスタッド家の婿に出せ、と言う事なんですか?」
 婿に出す、と言う事は、やはり志貴がこの屋敷からいなくなると言う事。
 目の前の女に責があるわけではない。秋葉の理性はそう言っている。しかし秋葉の中の暗い部分が、囁きかける。
 ――このシエルという女は所詮敵だ。お前を騙そうとしているぞ、秋葉。
 シエルが悪いわけではない。しかし、秋葉は自分の中の怒りを押さえきれなかった。漆黒の髪が少しずつ、血のような朱に染まっていく。
「そんなに貴女たちは兄さんを私から取り上げたいんですか……」
 ポツリと呟かれた言葉。感情の抜け落ちたようなその声は、目の前のシエルに向けられたものでは無い。ここ二ヶ月で秋葉の中に蓄積していたやり場の無い怒りが口をついたに過ぎない。
 しかし今、秋葉は「魔」の力に引きずられている。今の彼女にとって、目の前の女性はその「力」の贄でしかなかった。
 だが、シエルとても埋葬機関の一席を預かる代行者である。自分の生死を握っている、反転しかかった混血の主を目の前にして、少なくとも表面上は何の動揺も見せずに、静かに話かけた。
「落ちついてください秋葉さん。仮に遠野くんがブリュンスタッド家の婿になったとしても、日本を離れる必要は無いんです。ここの御屋敷で暮していて良いんですよ」
「――本当、ですか?」
「ええ」
 ニッコリ微笑むシエル。
「要はアルクェイドと言う強力過ぎる切り札を、結婚という形で一つの家が独占しなければ良いわけですから。ただ様々な勢力から、監視員がこの三咲町に派遣されてくるとは避けられないでしょうけど」
 その言葉に、秋葉の髪の色がゆっくりと元に戻っていく。内心安堵の溜息をついたシエルは、その表情を隠すつもりで、残った紅茶に手を伸ばした
 そこへノックの音が響いた。心の平静を取り戻すためか、一つ咳払いをしてから秋葉は入室を促す。
 入ってきたのは翡翠だった
「失礼します。秋葉様、またお客様がいらしているのですが」
 その言葉に秋葉は眉をひそめた。なんだって今日はこれほどアポ無しで客が来るのだろう?
 出直しましょうか? そう目で訴えたシエルに彼女は首を振り、
「今は大事な話の途中だし、一旦お引き取りいただきましょう。その方の連絡先を聞いておいて。後で改めてこちらから確認するわ。翡翠。その方のお名前は?」
「はい、アルトルージュ・ブリュンスタッド様とおっしゃって…」
 ぶっ!?
 翡翠の言葉を聞いた瞬間、シエルは飲んでいたお茶を吹き出した。幸いにもカップの中へだったので、秋葉にかかる事は無かったのだが。
「ひ……翡翠さん……聞き間違いだと思いたいんですが。今『アルトルージュ・ブリュンスタッド』と言いました?」
「はい。シエル様の御友人の方なのですか?」
「……いえ、思いっきり敵対関係なんですが……て言うかナルバレックの奴、二十七祖の超大物の動向くらい把握しときなさいというかむしろ把握してたくせにこちらに全く伝えてこなかったんですねあのアマは伝えてこないってのは要するに私に死ねと言うつもりなんですかあーそうですか分かりましたあの陰険引きこもりサディストめ……」
 顔面を蒼白にし、頭を抱えて何事かブツブツ呟き始めるシエル。まったく状況の飲みこめない秋葉と翡翠は顔を見合わせる。
「……翡翠。少し遅れるかもしれないけど……それでもよいと言うようでしたら、もう一つの応接室の方にそのアルトルージュさんをお通ししておいて」
「かしこまりました」
 一礼し、退出する翡翠。秋葉はシエルに向き直り、問いかけた。
「取りあえずわからない事だらけなんですが、その『アルトルージュ』って一体どういう人なんです?」
 その言葉にはっと我に変えるシエル。自分が随分と醜態を晒していた事に気付いたのか、多少赤面し、一度深呼吸してから彼女は秋葉の問いに答えた。
「……先ほど少し話に出した『もう一人のブリュンスタッド』である、死徒の姫です。死徒というのは一般的な吸血鬼を思い浮かべてくださって構いません。人の血を吸い、陽光を嫌い闇に生きる夜の一族です」
「……今は思いっきり昼間だと思うのですが?」
 当然とも言える秋葉の突っ込みに、シエルは苦笑して答える。
「長い年月と共に力を蓄えた死徒の中には、陽光を克服したモノもいるんです。アルトルージュは数少ないその一人ですね。
 死徒の中でも特に強い力を持つ者を『死徒二十七祖』と我々は呼んでいるのですが、アルトルージュはその中の第九位。十位以上はほとんど神話級の『魔』なので、正直今の私では手が出せません」
「そんな存在が何で我が家に……って、やっぱり」
「……ええ。アルクェイドの結婚の事でしょうね。間違いなく」
 二人は同時に溜息をついた。
 全く、あのアルクェイドはその場にいてもいなくてもトラブルを運んでくる能力があるらしい。心の中で『姉』に向かって文句を言った秋葉は、ふと一つの事が気になった。
「あれ、でもおかしいのでは? ブリュンスタッドは真祖の王族なのでしょう? なぜ死徒だというアルトルージュがブリュンスタッドを名乗れるの?」
「それは……」
「そこから先は私が直接話すわ、今代の埋葬機関第七位」
 不意に部屋に響き渡った玲瓏とした声。驚いて声のした方を振り向いた二人の目に映ったのは、音も無く開け放たれていたドアの前で嫣然と微笑む、年の頃十三、四歳程の美しい少女であった。




−2−





 幽玄の美。
 入り口に佇む少女を見た秋葉の感想はそれだった。
 年の頃は瀬尾と同じ位か。漆黒の、クラシカルなデザインのドレスに身を包み、艶やかに腰まで伸びた髪も吸いこまれるような深い黒。それゆえに僅かに露出した顔や手など、肌の透き通るような白さが際立っていた。
 確かに自分より年下に見えるのに、その身に纏う雰囲気は明らかに艶やかな淑女のそれ。
 少女は秋葉の姿を見とめると、優雅に一礼を返した。その所作も非の打ち所が無い。
「初めまして、遠野秋葉さん。私がアルトルージュ・ブリュンスタッドよ。
 少々不躾な入室になってしまったけど、どうも私の話をしていたようだし、それなら自分で話した方が良いでしょ? 許してもらえると嬉しいんだけど」
「あ……アルトルージュ様、困ります……」
 ようやく追いついたのか、少し息を切らせて小走りで駆け寄ってくる翡翠。アルトルージュの謝意はどうやら秋葉と翡翠双方に向けられたもののようだった。
 そのままアルトルージュはすたすたと室内に入ってくる。翡翠が止める間もなく、そのままソファの一つに腰を下ろした。それこそ不躾極まりない行動の筈なのに、あまりにも無駄の無く美しい動きであったために、秋葉ですら一瞬見とれ、文句の言う間もなかった。
「そして初めまして、今代の埋葬機関第七位。確かシエルさんといったかしら」
「ええ、そうです。こちらこそ初めまして……黒の姫君」
 あくまで気軽に話し掛けてくるアルトルージュに対して、緊張の色を隠せないシエル。すでに腰はソファから少し浮いており、何が起きても対処出来るように身構えている。そんな様子を見て、アルトルージュはクスリ、と笑った。
「そんなに身構えなくても。私は何もしないわよ。所でで秋葉さん。何か飲み物を頂いてもいいかしら? 長旅で少し喉が乾いてしまったの」
「え……ええ。分かりました。翡翠、琥珀にお茶の用意をさせて頂戴」
「かしこまりました」
 やや困惑の表情を浮かべながらも、一礼し部屋を後にする翡翠。
 それにしても、と、秋葉は心の中で呟く。
 自分もいわゆる上流階級に属する人間だから、人に傅かれるのは慣れていない訳ではない。しかし目の前のこの少女は、明かに自分とはレベルが違う。全く自然に人を使い、しかもその事を当然と思わせるだけの雰囲気を身につけている。
 先ほどシエルに呼ばれた『姫君』と言う呼称も、彼女に対してならば全く違和感なく受け入れられる。本当に、あのアルクェイドと同じ一族なのだろうか……?
 そんな秋葉の疑問など知る由もなく、アルトルージュは話し始めた。
「さて、さっきの話の続きなんだけどね。私はブリュンスタッドを受け継ぐ真祖と、その直系の死徒との間に生まれたの。真祖の力も受け継いでいるから、『ブリュンスタッド』を名乗る事が許されているのよ。まぁ、人間で言ってしまえば妾腹の姫と言う事になるから、本当だったらあんまり大手を振って名乗るわけにはいかなかったんだろうけど……今は生粋の真祖があのコだけだから、雑務は私が預かってるの」
「なるほど……先ほど少しシエルさんからも聞いたのですが、貴方はアルクェイドさんの姉と言う事でよろしいのかしら?」
「ええ。人間で言う姉妹とはちょっと違うかもしれないけど、私はあの子のお姉さん。こんな外見だと、そうは見えづらいかな?」
 茶化すように答えたアルトルージュ。その言葉に苦笑しながら首肯する秋葉。確かに、自分より年下に見える少女に、自分より年上の外見の女性の『姉』を名乗られても、にわかには納得し辛い物がある。
「まぁ、『姉』らしい姿になる事も出来るんだけど。昼間だし、今はちょっと無理ね」
「姿に……なる?」
「そ。まぁ、機会があったら見せてあげる」
 と、そこへドアがノックされた。秋葉が入室を促すと、琥珀がカートに紅茶とスコーンを乗せて運んできた。
「あら、先ほど出迎えて下さったメイドと良く似てるわね。双子なの?」
「アルトルージュ様、でしたね。初めまして、琥珀と申します。秋葉様付きの侍女をしております。先ほどアルトルージュ様をお出迎えしたのは妹の翡翠です」
 いつもの朗らかな笑みを浮かべ、アルトルージュに答えながら、琥珀は手早く3人の前に運んできた物を並べる。それらが終わった後、秋葉は琥珀に傍らに控えるように言った。恐らく話は長くなるだろうし、そうなれば紅茶のお代わりも必要になるだろうから。
「ん〜、良い味。良い葉を使ってるわね。それに入れ方も上手よ」
「あは、ありがとうございます」
「秋葉さん、いつもこんな美味しいものを飲んでるのね、羨ましいなぁ。ねぇ、彼女、連れて帰っちゃダメ?」
「……ダメです」
 いまいち掴み所のないアルトルージュの態度に困惑気味の秋葉。そんな秋葉の表情を面白そうに見やったアルトルージュが、悪戯っぽい笑みを浮かべて、言った。
「で、秋葉さん――って、堅苦しいな。これからは私の妹にもなるんだから秋葉ちゃんでいいわね。決定。という訳で秋葉ちゃん、貴方のお兄さんの志貴君って格好イイの? 私の大事なアルクェイドの旦那様になるんだから、相当の男じゃないと私は納得しないわよ?」
『……ぇ?』
「取りあえず写真から見せて欲しいな〜? ホームビデオとかがあればなお良し! なんだけど。というわけで、秋葉ちゃん、お願い!」
 音すら立てて、秋葉とシエルは固まった。
 アルトルージュを最初に見た時に感じた『幽玄』『優美』という印象。それが遥か彼方へ吹っ飛んでしまう物言いに、当主様も教会の代行者も、どう反応して良いやら分からない様子である。
 ある意味外見相当と言えなくもないしゃべりっぷりであったが、第一印象とあまりにかけ離れ過ぎると、周りの人間が対処に困る好例と言えるかもしれない。
 そんな中ただ一人琥珀だけが面白そうに、あは―、と笑いながらアルトルージュに答えた。
「安心してくださいな。志貴さんは格好良いですから、きっとアルトルージュ様のお眼鏡にも適いますよ」
「ホントに? でもただ外見が良いだけの優男じゃダメよ? しっかりあの子の事も守ってくれるようじゃないと」
「その点も御安心くださいな。志貴さんはとても強いですから。はっきり言って超優良物件、ここにいる女性陣皆で狙っていたんですけど、残念ながらアルクェイド様に負けてしまったんですよ〜」
「――琥珀! あなた何言って……!」
 泣き崩れる真似をする琥珀に、ヒステリックに叫ぶ秋葉。いくらなんでも初対面の相手になんでそんな事までバラされなければならないのか。
 今にも睨み殺しそうな秋葉の視線を受けて、それでも琥珀は普段の笑顔のまま、面白そうに答えた。
「あら秋葉様、志貴さんの魅力を分かってもらうには一番分かりやすいと思ったんですけど?」
「! そ……それは……でも……」
「シエルさんだって、そうでしょう?」
「わ……私は! 遠野君が道を踏み外さないように監視していただけです!」
 琥珀の言葉に思わず黙り込む秋葉。
 彼女の言葉を否定する事は出来ない。それを否定したら、自分の中の一番大事な部分を否定する事になってしまう――それでも、面と向かってその事を言われて冷静でいられるほど、秋葉は大人ではなかった。
 一方のシエルは言い訳にならない言い訳をあれこれと並べ立てていたが、琥珀からすれば可笑しい限りであった。
 そんな三人のやりとりを面白そうに眺めているアルトルージュ。秋葉に向かって悪戯っ娘の笑みを浮かべたまま、ひょいと爆弾を投げつける。
「あれ? そうすると秋葉ちゃんったら実の兄を愛しちゃってたの? やーん、禁断の愛ね。ちょっと詳しくおねーさんに話してみない? その辺り凄く興味あるんだけど」
「え……ぇぇっ?! そ、それは……」
 こ……この女はー!
 秋葉は本気で叫び出したい衝動に駆られたが、さすがに客人の手前、切れそうな自制心の糸一本でかろうじて踏みとどまる。
 それに、一応アルトルージュも身内となる存在である以上、いずれは話さなければならない事である。努めて冷静な顔を作りながら、秋葉は彼女に説明した。
「わ……私と兄さんは血が繋がってないんです。亡き父が、滅ぼした退魔の家系の人間の生き残りを、気まぐれから引き取って育てていたのが志貴ですから。実の兄は――自らの血に飲まれて『魔』と化し、そこにいるシエルさんによって討たれました」
「ん〜、なるほど。確かに秋葉ちゃん、濃さはともかくかなり強力な『魔』の血が流れているものね。弱い人間だったら飲みこまれてしまっても不思議じゃないかも。
 それにしても……」
 アルトルージュはシエルに視線を送った。先ほどまで秋葉に向けていたものとは明かに違う。その身に纏う雰囲気も、急に張り詰めたものに変わった。
 秋葉の中の血が騒ぎ出す。 目の前のモノに対する警戒――いや、畏れであった。小動物がパニックに陥って暴れるように、今にも吹き出しそうになる力を必死で押さえ込む秋葉。
 琥珀も急に変わった部屋の中の空気に、いつもの笑顔は崩していないが明かに動揺していた。
「埋葬機関第七位。貴方にボランティア精神があっただなんて驚きね。そんな酔狂な輩は『王冠』だけだと思っていたけれど?」
「……ボランティア、ではありませんよ黒の姫君。今代のロアの転生体が、秋葉さんの実の兄だったんです。私は彼を捕捉し、第七聖典を以ってこの世界より消滅させ、連環を断ち切りました」
「ふーん。ではネロ・カオスを滅ぼしたのも貴方なの? あれは第七聖典を以ってしても滅し切れる存在では無いと思うのだけれど」
「……第七聖典だけが教会の最秘奥という訳ではありませんから」
「フフ……まぁ、そう言う事にしておいてあげるわ――あら、秋葉ちゃんどーしたの?」
 再び秋葉に向き直った時、アルトルージュの雰囲気はまたユルみきっていた。その落差に唖然としながらも、正直ホッとする秋葉。
 あれ以上、あの空気が続いていたら、マトモでいられる自信がなかったからだ。
「……すみません。少し空気に当てられてしまって」
「あ、ごめーん。シエルさんはともかく、彼女の上司と私ってあまり仲が良くなくて。思わず普段話してる雰囲気になっちゃった。許してね?」
「それは構わないですが…後はお二人の話で分からない言葉が多かったもので」
「? あー、そうか。秋葉ちゃん基本的に関係者じゃないんだっけ。よろしい、おねーさんに任せておいて。秋葉ちゃんをいっぱしの吸血鬼通にしてあげるから。教会の
代行者もいるから捕捉説明もバッチリよ♪」
 非常に不吉な事を言うアルトルージュに、秋葉は自分が地雷を踏んでしまった事を自覚した。もはや無駄だと思いつつも、一応やんわりと断りをいれてみようとする。
「……あ、いや、そこまでしていただく必要は……」
「遠慮しなくて良いわよ秋葉ちゃん。懇切丁寧隅から隅までバッチリと、余す所無く教えてあげるから。ねぇ、シエルさん?」
「って、私も問答無用ですか?!」
「あはー、後学のために興味深く拝聴させていただきます〜」
 案の定、秋葉のか細い異議申立ては目を輝かせたアルトルージュには全く効果なかった。非常に悲しむべきことに、これと同じ瞳を秋葉は最近よく目にしている気がしている。
 秋葉は確信した。
 間違いない。その本質がどんなに危険なもので、どれだけ強大な力を秘めていようと、目の前にいるこの少女は疑い様もなくアルクェイドの姉で、ブリュンスタッドは完膚なきまでにあーぱーの家系だ。
 そんな秋葉の慨嘆に気付く様子も無く、アルトルージュの吸血鬼講義は開始された。
「まずね、吸血鬼って一口に言ってもいろんな種類がいてね…」
 話は、本気で長くなりそうだった。






   

続く