まるで猫の目の色のように、妹は飛行機からの眺めに表情を変えていた。

「うぁー、本当に凄い眺めだねぇ」

 もう何度目になるか。その言葉を口にすると、窓からの太陽に照らし上げられた雲の光景に

目を奪われていた。

 そして私は、そんな妹の姿に目を奪われている。

 八百年、ただその身にすりこまれた命令のみをこなすための人形として生を受けた妹。人

形には感情も表情も必要がないから、彼女には元から何も与えられなかった。皆そう思って

いたし、本人もそう思っていた事だろう。

 しかしそれは大きな誤りだった。彼女の中にも豊かな感情は眠っていたのだ。ただ、それを

引き出す事が誰にも出来なかっただけ。彼女の執事たる宝石の老人にも、侍従よろしく彼女

の世話を甲斐甲斐しく行うあの魔獣使いにも。そして、姉であるこの私にも。

 妹の心を引き出した、彼女の婚約者である遠野志貴に、私は多大なる感謝と、そしてそれ

と同じ位の嫉妬心を持っている。ガイアの代行者たるブリュンスタッドを篭絡した人間。妹は、

彼にその愛情の全てを傾けている。そして彼も妹を深く愛してくれている。

 それはまぁ良いのだけれど、やはり自分の大事な妹が、別の誰かの所を向いていると言う

のは……何だか面白くない。

 不意に可笑しさがこみ上げてきて、私は思わず苦笑してしまった。本当に、つい一月ほど

前までは考えもしなかった。自分が、妹から向けられる愛情の量で嫉妬するだなんて。

 理由はどうあれ、私は遥か昔に、妹を傷つけている。彼女のためとはいえ、その髪を奪っ

てしまった。そんな自分が、愛情を向けられる筈がないと思っていた。

 しかしそれが違うと言う事に気付かせてくれた志貴だからこそ、私は彼に妹を任せても良い

と思ったのだ。

 だけど……それを素直に認めてしまうのはやっぱりちょっと悔しいから。しばらくは二人をか

らかって、楽しませてもらおうと決めている。まぁ、それくらいは姉の権利だと思いたいもの。

「お客様、お飲み物はどうなさいますか?」

 一人物思いに耽っていた思考が現実に引き戻される。スチュワーデスが何時の間にか側

に来ていたみたい。

「ん〜、そうね。「姉さん」にはワインをお願いするわ。

 私は……少し眠りたいから、今は要らないわ。

 それで良い? アルクェイド姉さん」

「うん、いいわよ」

「かしこまりました」

 そう言って、一礼して下がるスチュワーデス。移動する時くらいはゆっくりしたいという思い

で、エグゼクティブクラスに乗っているお蔭か、随分とサービスは良い……のだろう。他のク

ラスに乗った事がないので、正直比較は出来ないのだけれど。

 しかしサービスが良い反面、監視の目も行き届いていて、この姿ではお酒が飲めないのが

悩み所。まぁ、魔眼を使って言う事を聞かせる事だって出来るのだけれど、私はそうする気

になれなかった。

 人間の振りをして、人間の乗り物を利用しているのだ。やはり人間側のルールに従うのが筋

だろうから。

 それにしても……今私の姿は十四歳くらいの少女だから仕方ないのだが、人前でアルクェ

イドに向かって「姉さん」と呼びかけるのは何か変な気分よね。実際は私の方が二百歳以上

も年上だと知ったら、あのスチュワーデスは一体どんな顔をするのだろう。

 ちょっと試してみたい気持ちもする。

「あれ、姉さん寝ちゃうの? 折角こんなに良い眺めなのに、勿体無い」

 アルクェイドがちょっと寂しそうに私を見て言う。

 うっ、その視線はちょっと反則なんだけど。でも一応今は昼間だし、私がいくら陽光を克服

していると言っても、嫌いなものに変わりはない。

「私はあなたと違って、昼は少し休まないとさすがに厳しいの。

 二時間くらい経ったら起こしてね」

「むー、りょーかい。面白いものが見えても起こしてあげないからね?」

 頬を膨らませつつ、渋々頷く妹の姿に、思わずクスリとしてしまう。そして私は柔らかなリクラ

イニングシートに背を預け、瞼を閉じた。

 全く、こんな表情を見せてくれるだなんて、あの時は思いもしなかった。

 そう、あの時は、本当に…












MAR










 人気のない城の廊下を、私たちは駆け抜けて行く。それは玉座へと続く長大な回廊。

 私の前を走るのは、漆黒の甲冑に身を包んだ巨躯の男。鎧の重さなど微塵も感じさせない

動きで、私たちの前に立ちはだかるモノをなぎ払うべく、進み続ける。

 リィゾ=バール・シュトラウト。私に仕える騎士。ブリュンスタッドの剣。それが彼。

 私の後ろを走るのは、白き衣に身を包んだ痩身の青年。私たちの後ろから襲いかかり、不

意をつこうとする愚か者に鉄槌を下すべく、四方に目を配り、彼は走る。

 フィナ=ヴラド・スヴェルテン。私に仕える騎士。ブリュンスタッドを守護する盾。それが彼。

 私を乗せて走るのは、白き巨狼。人の子を一息で飲みこむその顎は、我らを討たんとする

愚かなる人間たちに、絶対の死をもたらす死神の鎌。

 プライミッツ・マーダー。ガイアの怪物。私の守護者にして僕。それが彼。

 そして私は、彼らを束ねる者。滅びた王の器の成り損ね。

 アルトルージュ・ブリュンスタッド。それが私の名。

 偉大なるブリュンスタッドの名を冠した、世界でもっとも高貴な失敗作。

 城には私たち以外の生物の気配はまるで存在しなかった。咲き誇っていた筈の花は全て

姿を消し、鳥の鳴き声も聞こえる事はない。

 ただ、天窓より望める紅の月が、城を紅く染め上げていた。

 千年城ブリュンスタッド。かつて栄華を誇りし真祖の居城は、一夜にして廃墟と化していた。

 それでも私たちは進まねばならない。私たちの目的は、この先にこそあるのだから。

「リィゾ。生き残りはいそう?」

 私の問いかけに、警戒を怠る事無く彼は首を横に振る。

「否。生き残りは宝石の老人以外に存在しません」

「そう」

 リィゾの言葉を聞いても、私には特別な感慨は浮かんでこなかった。

 かつて私を「失敗作」と蔑み、この城より追い出した真祖たち。かつて彼らに抱いた憎しみ

や怒りはもはや無い。しかし彼らの死に対して思い煩う心も私は持ち合わせていなかった。

 私に、目的の存在の圧倒的な戦闘能力を教えてくれた。彼らの死に、それ以上の価値は

存在していなかった。

「しかし、よろしかったのですか? 姫」

 その声は私の後ろから上がった。フィナが、普段の彼からは思いもつかない、緊張の色を

隠し切れず言葉を繋ぐ。

「我等三人、自らの腕に自負はあります。いかなる者よりも姫をお守りする覚悟もあります。

 ですがあの方……『真祖の姫君』を相手にするとなると、準備は万全に整えても整え切れる

ものではないと思われます。今回のような事態であるならば、白翼公やその同盟者とも協力

を図る事も可能であったのではないでしょうか?」

 彼の言は正しい。『真祖の姫君』――アルクェイド・ブリュンスタッドは、この世の常識を超え

ている。彼女をこのまま野放しにする事は、世界に危機を招く事に等しい。このような事態で

あるならば、普段は決して相容れないあの策謀家とも協力態勢を築けただろう。

 だがしかし。彼らの協力を得るには、間違いなく一つの条件が突きつけられてしまう。

 それが故に、彼らの手を借りる事は出来ないのだ。

「ダメよ。彼らは言うでしょう。「殺すのであれば、いくらでも手を貸そう」って。

 私はアルクェイドを殺したいわけじゃない。止めたいだけなのだから」

 私の言葉に、怒ったような唸り声を上げるプライミッツ・マーダー。甘い事は言うなと、そう言

いたいのだろう。表だって言う事はないが、リィゾとフィナも恐らく同じ考えの筈だ。

 それほどに危険な相手なのである。人間の血を吸って、内なる吸血衝動に身を任せた真

祖という存在は。ましてそれが最強の真祖、真祖殺しの『処刑人』であるのならば。

 それでも、私はアルクェイドをその手にかける気にはなれなかった。

 かつて私が誕生した時、秘めたる力の大きさに真祖たちは狂喜し、いずれ私の身に王たる

『朱い月』が降臨する事を確信して私に『ブリュンスタッド』の名を贈った。

 だが、私はその力を使い切れなかった。死徒としての吸血行為が代償となり、真祖のように

吸血衝動にその身を侵される事は無かったが、死徒としての「私」の部分が、その秘める力に

耐え切れなかったのだ。

 このように体を少女の姿に固定しているのも、少しでも力を抑えるため。私が十全に力を振

るえる時は、おそらく数分とないだろう。

 いかにガイアの怪物を従えるだけの力を持っていても、このような不安定な体では、王の新

たな器たりえない。

 真祖たちは私を失敗作と蔑んだ。私を生ませた、王自身ですらも。

 そして、彼らはアルクェイドを作り上げた。

 私と同じ目的で作られ、私には成れなかった『器』としての性能を備えた最強の真祖。

 そして、王の降臨の日まで、兵器として使われる事を定められた者。それが彼女だった。

 自分の意思を持つ事を許されず、ただ、堕ちた真祖を狩り続ける人形である事を望まれる

アルクェイド。

 在りし日の千年城。天に君臨する月の下、花咲き乱れる中庭で何の表情も見せる事無く佇

んでいた彼女の姿はあまりにも美しく、そしてそれ故にあまりにも哀れであった。

 世界の美しさに気付く事を許されず、ただ道具としてのみ扱われる彼女が哀れであった。

 それは私の一方的な同情かもしれない。彼女はそんな事は望んでいないだろう。

 だが、それでも。私は彼女を自分の妹とする事を決めた。全ての真祖が彼女を道具として

扱うのなら、私は彼女を妹として扱い、姉として守って見せる。

 私はそう、決めたのだ。

「――私はアルクェイドを救い出したい。それが出来るのは私たちだけなのよ」

「アルトルージュ様の決めた事ならば、否も無し」歩みを止めぬまま、答えるリィゾ。

「ただし、アルトルージュ様の身に万が一の事がありそうな場合。

 ――我ら何の躊躇いも無く、アルクェイド殿を処断いたします。その事だけはお認めいただ

けるよう」

「…………」

 リィゾの言葉には迷いがなかった。それは私を守る騎士としての重みが言わせた言葉だっ

た。それが分かっていてもなお、私は頷く事が出来ない。

 私が答える事が出来ぬまま、長い回廊は終わりを告げる。

 千年城の玉座の間。外界より隔絶させたこの城の中心。選ばれた者のみが入る事の許さ

れる場所。そして、アルクェイドに与えられた、煌びやかな牢獄。

 その巨大な扉の前に、一人の男が立っていた。黒地に金糸の縁取りが施された服を身にま

とった初老の男。

 堂々とした体躯は、リィゾにさほど劣るものでは無い。片眼鏡をかけ、凝った装飾の杖を付

いた姿が様になっている。

 男の名はゼルレッチと言う。『魔道元帥』とも『宝石』とも呼称される、この世に両手の指に満

たない『魔法使い』であり、また『真祖の姫君』たるアルクェイドの後見人。

 そして、かつて人の身でありながら『朱い月』を滅ぼした男。もっとも、その時に相打ちとも言

える形で彼もその身を死徒に変えられてしまったのだが。

「お待ちしておりましたぞ、黒の姫君」

 ゼルレッチの口調には、私に対する偽りの無い敬意の響きが込められていた。それに答え

るべく、私もプライミッツ・マーダーの背より降りる。

「百年ぶりかしら。お久しぶりね、ゼルレッチ」

 そのまま上げた視線に、信じられないものが映っていた。彼の服はそこかしこが破れ傷つ

き、そして左腕が肩口から無くなっていたのだ。

 フィナの息を呑む様が伝わってくる。リィゾも、その光景に一瞬動揺の色を見せる。

 『魔道元帥』の腕を奪ってのける。アルクェイドの力は、そこまで上がっているというのか。

「その、左腕は……」

 私の言葉に、彼は苦笑を浮かべる。

「さすがはアルクェイド様、と言う所でしてな。再生に回す力も勿体無かったのでこのままにし

ております。

 まぁ、それに見合った結果は手に入れたのですがな」

 そう言うと、彼は右手に持った杖で扉をトントンと突いた。次の瞬間、音も無く扉は開け放た

れ、玉座の間が露となる。

 その瞬間、私の口を突いて出た小さな叫びは、驚きゆえだったのか。それとも悲しみゆえ

だったのか。

 部屋は往時の見る影も無かった。壁も、柱も、無傷であるものは一箇所たりとて存在しない。

玉座すら、既に原型を留めていなかった。

 そんな部屋の中心に、人一人が入れるほどの黒い球体が存在していた。音も無く、揺らぎ

も無くそこに存在し続ける黒真珠。

「次元の檻ですか。これならば、アルクェイド殿と言えど脱出は出来ないでしょう」

 感嘆の声を上げるフィナ。私も初めて見た。これが、伝え聞くゼルレッチの『魔法』。次元と

空間を操る、彼の力の真骨頂。

 この世界に異空間を呼びこみ、その中に対象を閉じ込める。こちらから中に干渉する事も

出来ない代わりに、向こうも決してこちら側に帰ってくることが適わない。存在している世界が

違うものは触れ合うことが出来ないのだから。

「左様。もっとも、これは飽くまで閉じ込めているだけ。それも儂の力が持つ間だけという期限

付です。

 何か上手い手を打たなければ、さほど長い間は捕らえておく事は出来ませぬぞ」

 ゼルレッチの言葉に、私は微笑を浮かべて答えた。

 全く、想像以上の結果だった。アルクェイドとの戦闘を覚悟してきただけに、この結果は嬉し

い誤算だった。

「問題ないわ。危険な手段だけど、アルクェイドの動きを封じられるのならば、彼女を正気に

戻せる」

「いかなる手段で?

 アルクェイド様はあの男を吸血なさった折、力の幾ばくかを奪われている。その状態で吸

血衝動を抑えこませるのは、容易ならざる事ですぞ」

 あの男、と言った時、ゼルレッチの顔に隠し様も無い憎しみの色が浮かんだ。

 ミハイル・ロア・バルダムヨォン。ヴァチカンの暗部、『埋葬機関』の創設者であり、摂理の執

行者として死徒に恐れられる存在。

 彼が何を思って、狩られる側へと身を投じたのかは興味など無い。

 だが。妹を騙し、その力を奪い死徒へと転じた事。これを許す気など毛頭無かった。八つ

裂きにしても飽き足らない怒りが、私の中に渦巻いている。

 しかし今はアルクェイドを元に戻す方が先決。

「私が受け取っている、『真祖』としての自然供給の力を、アルクェイドに回すわ。そうすれば

彼女の身に満ちた吸血衝動も鳴りを潜める筈よ」

 自分で言っていて、なんと乱暴な方法なのだろうかと思う。

 出来る自信はある。望んだ結果も引き出せるだろう。

 しかし私自身の体がどうなるのか……正直言って、あまり心踊る未来予想図は出なかった。

 案の定、ゼルレッチは片眉を上げて驚きを露にし、プライミッツ・マーダーは私に身を摺り

寄せ、翻意を求めてくる。そして、フィナが口を開こうとした時、それを遮るかのようにリィゾが

叫んだ。

「アルトルージュ様! 御身の大切さをいかばかりにお考えか!

 騎士として、主のそのような暴挙は見過ごせませぬ!」

 普段の厳格で物静かな様子をどこかに脱ぎ捨てた、彼の剥き出しの叫び。思えば彼が私の

側に在るようになってから、こうも感情を剥き出しに喋った様は初めて見た気がする。

 そして心が少し痛んだ。その心に応える事が出来ないのだから。

「ごめんなさいリィゾ。あなたの言葉は嬉しいけれど、これは止めない。もう決めた事だもの。

 ゼルレッチ。『檻』の範囲を狭めて頂戴。この契約を成し遂げるには、アルクェイドに何か代

償を払わせないといけない。彼女の髪を手に入れないと」

「……よいのですか? ただでさえアルトルージュ殿は不安定な力を必死に抑えこんでいる。

そこに更に爆弾を抱え込む事になるのですぞ?」

「私は血を飲む事で力の回復が図れるもの。少しくらい他に力を回した所でどうと言う事もな

いわ。

 それに、私は誇り高きブリュンスタッドの血を引いている身。このアルトルージュ・ブリュンス

タッドに、気遣いなど無礼であると心得なさい」

 わざと高飛車に言い捨てる。その事で私の意思がもはや翻らない事を悟ってくれたのか、

ゼルレッチが『檻』に向き直り、リィゾとフィナ、そしてプライミッツ・マーダーが身構える。

 その時、甲高い音が広間に響き渡った。

 何かが軋むような音。固い物でガラスを引っかいたような、嫌悪感をもたらす音が。
 始めは間を置いて、やがてその間隔は狭まり、終には音は途切れる事無く鳴り続ける。

 そして。

 ひときわ甲高い音とともに、唐突に「檻」から腕が生える。

 白く抜けるような肌をした繊手。あまりにも非現実的な光景に、凍りついたように私たちの動

きが止まってしまう。

 まさか……自力で内側からあの『檻』を破ったと言うの?! 一体、どうやって?!

 私の疑問を無視するかのように、腕は二本になり、そして腕の主が顔を出した。

 それ自体が自ら光を放っているかのような長く豊かな金の髪に彩られた、完璧な造形美。

その瞳を金色に輝かせ、大きく胸元の開いた白と青のドレスに身を包んだ女性。

 アルクェイド・ブリュンスタッド。

 血の衝動に堕ちた処刑人が、私たちの前に姿を現したのだった。

 先ほどまで閉じ込められていた『檻』に一瞥をくれた彼女は、ゆっくりとこちらに向き直り、感

情の篭もっていない視線で私たちを睨めつけてくる。途端、玉座の間が圧倒的な殺意に塗り

つぶされた。

 背中が粟立つ。

 私とても名のある退魔や魔術師、そして真祖の急進派が送りつけてきた刺客を一再ならず

返り討ちにしてきたが、これは、そんな者とは次元が違う。

 あれは、私の妹は……生きとし生ける者への『死』、そのもの。

 そして、アルクェイドは私の姿を見つけると、薄く、笑みを浮かべた。

 獲物への処刑宣告だった。





 それはもはや戦いとは呼べなかった。

 私は既にその身を成体へと変身させ、持てる力を限界まで引き出している。

 リィゾの魔剣が地を割り、フィナの愛用のレイピアが空を穿ちアルクェイドに襲いかかる。プ

ライミッツ・マーダーもその牙と爪を惜しむ事無く繰り出している。

 しかしそれでも、アルクェイドを傷つける事が出来ないのだ。

 いくら『魔王』と化した彼女とても、二十七祖とも称される私たち四人の攻撃など凌ぎきれる

ものでは無い。既に幾度も彼女の体を捕らえている。

 しかしその傷もまたたく間に癒されてしまう。この地の力は堰を切ったようにアルクェイドへ

となだれ込み、彼女に毛ほどの傷すらもある事を許さない。

 真祖がその力を十全に振るいえる場所、千年城。

 その寵愛を一身に受けたアルクェイドは、正に不死身だった。

 対してこちらは満身創痍もいい所であった。アルクェイドの攻撃は、その全てが一撃必殺。

下手に受ければガードした所ごと抉り取られてしまう。

 既に私たちの再生能力も限界に来ていた。

「皆の者、距離を!」

 唐突に響き渡るゼルレッチの声。その言葉にとっさに反応した私たちが、アルクェイドから

飛び退る。同時に、ゼルレッチより放たれた無数の光球が、アルクェイド目掛けて降り注ぐ。

 その瞬間、視界が白く染め上げられた。

 続けて響き渡る、城そのものを揺らすような轟音。

 私の視界すらも一瞬うばうだけの光量。その光の本流から視力が回復した時、私の目に映

った光景は、部屋に渦巻く劫炎の渦だった。

 光球は蒼白き火柱となってアルクェイドを包み込んでいる。天へ向かい突き上がったそれ

は拡散し、一定の地点から再び中心へと収束し、決して消えようとはしない。

 白き劫炎の円環運動。まるで小さな太陽が出現したかのようなそれは、一体どれだけの火

力だと言うのか。炎の荒れ狂う敷石は既に沸騰し、蒸発し始めていた。玉座の間は、余波だ

けで人間では恐らく耐え切れないであろう灼熱地獄と化している。

 それを引き起こしたゼルレッチが、疲労の色も隠さぬままこちらに向き直った。

「今使える最大の魔術を叩きこんでみたが……はて、どの程度足止めになるやら」

「魔道元帥ともあろう方が気弱な意見ね」

「アルクェイド様相手じゃからな。気弱にもなるというもの。

 儂としては撤退をお勧めするが。こちらの切り札である「魔法」まで破られてしまっては、一

度作戦を立て直さん事にはどうにもならぬだろうよ……」

 その言葉と共に、ゼルレッチは床に崩れ落ちた。私たちが到着するまで、一人でアルクェイ

ドを止めんと奮戦し、その身に宿る魔力の殆どを使い果たしてしまったのだろう。

 撤退、か。

 私の脳裏にその二文字が回った。

 彼のいう事は正しい。恐らくこのままでは私たちは滅ぼされる。

 だが、ここで一旦引いて、再び彼女に勝てるだけの布陣を整えられるだろうか。私たちが傷

を癒している間に、アルクェイドは多くの血を吸い、より力を蓄える事になる。差は広がるだけ

で、縮まる事は決してない。

 そうなったら、もはや殺すつもりで挑んでも勝つ事は出来ないだろう。

 今止めるしかないのだ。妹を妹のままでいさせるためには。

「……リィゾ、フィナ、プライミッツ・マーダー。撤退はしないわ。

 仕えた主人が悪かったと諦めて、ここで死んで頂戴。恨み言は、私が死んだ後で全て聞い

てあげるから」

 冷酷極まりない私の言葉に、リィゾは自らの血で染まった顔を向け――笑った。

「死の旅の先で再びアルトルージュ様にお仕えする事が出来るのならば、随分と幸福なもの

でしょうな」

「姫様、私の命はとうに出会った時から貴女に捧げております。どうぞお気になさらず、御存

分にお使い下さい」

 その半身が赤く染まったフィナも、痛む様子すら見せず、普段の気障な調子で言ってのけ

た。そして、何を今更とでも言わんばかりに、プライミッツ・マーダーも私を見て、一声吠える。

 ああ、なんて。なんて私には過ぎた騎士たちなのだろう。

 彼らの忠誠に答えるためにも、私は私の成すべき事を成し遂げてみせる。

 そんな私の決意に呼応するかのように、唐突に荒れ狂う劫炎が消滅した。

 効果時間が消滅した魔術は、物理現象とは異なり一切の余韻を残す事無くこの世から消

滅する。

 しかし、この消え方はそれとは違う。

 真祖に与えられた超抜能力。世界を変容させる力。

     マーブルファンタズム
「……空想具現化……」

 私の呟きに応えるかのように、部屋に満たされる圧倒的な支配意思。世界にあまねく存在

する精霊たちが、ただ一人の意思に染め上げられていく。

「逃げ……!」

 言いかけた私自身が気づいていた。

 間に合わない。広間の空気の流れが変容する。

 寸断された空気の断層。不可視の刃が、私を細切れにせんと襲いくる。

 だめだ。今の私では、アレから再生する事は出来ない。

 生を受けて数百年、初めて完全な死を覚悟する。

「……!」

 一瞬息が詰まる。

 ……息が詰まる? 生きている?!

 私は、広間の床に押し倒されていた。私の上に覆い被さっている男が、不器用な微笑みを

浮かべているのが目に映る。

「リィゾ!」

 とっさにリィゾが私に覆い被さり、空気の刃から守ってくれたのだ。

「御無礼を……アルトルージュ様」

「大丈夫よ。それよりアルクェイドは……」

 言いかけ、私は気づく。リィゾの顔は完全に血の気が引き、漆黒の鎧は鮮血に染め上げら

れていた。よろよろと彼の下から這い出た私は絶句する。

 彼の背中がゴッソリとそぎとられ、その部分の鎧など影も形も見当たらない。剥き出しにされ

た肉が今だ血を吹き上げ続け、背骨すらも露出しかかっていた。

 アルクェイドの生み出した空気の刃。その尋常ならざる破壊力の一端。しかしそれ程の怪我

を負いつつも、再びリィゾは立ちあがり、私を守るようにアルクェイドに向き直る。

 炎が荒れ狂っていた床は深く抉れ、もはやそこが磨き抜かれた広間の床であった事など

微塵も感じさせない。

 その中心に、魔術を食らう前と変わらずアルクェイドが佇んでいた。

 ドレスは無残に焼け落ち、その白磁のような裸身を晒していたが、その身には煤の一つす

らついていなかった。

「あれを食らって無傷……もはや、不死身というのも生ぬるいですね」

 やはり私を守るように前に立つフィナの呟きが、私たちの意思の全てを表していた。その彼

の視線が傍らのリィゾに注がれる。明らかに彼の怪我は、戦えるような物では無い。

「リィゾ、下がりなさい! その傷では無理よ!」

 私の悲鳴のような命令に、しかしリィゾは首を振る。

「否、その命令は聞けませぬ。

 我らには我らの、そしてアルトルージュ様にはアルトルージュ様のお役目が在る筈。さぁ、存

分に我らの命、お使い下さい!」

 文字通り血を吐き出しながら、私を叱咤するリィゾの言葉。

 私の覚悟も、それで決まった。

「今更嫌だと言っても,もう聞かないわよ?

 いい、私が契約を組み上げるまでの一分間。どんな事をしても良いからアルクェイドの動き

を止めて頂戴」

「我が……命に代えても!」

「かしこまりました、姫様」

 そしてプライミッツ・マーダーは一声吠えて。

 白と黒の騎士と共にアルクェイドに飛びかかった。

 それを見届けた私は目を閉じて、自分の中の真祖の部分を揺り動かす。

 世界と自分を繋ぐために。



 ――我らが慈母よ。その子らの声に耳を傾け給え。



 自らに向かい間合いを詰めてくる者達を視界に捕らえ、アルクェイドの魔眼が光を強める。

 力の顕現の前兆。空想具現化の前触れ。

 だが、ほんの一瞬だけリィゾの踏みこみが早かった。

 自らの命すら顧みない、死の剣。そして彼の手にする漆黒の魔剣『ニアダーク』は、闇に溶

けこみ間合いを計らせず、触れたモノを塵へと帰す。

 リィゾの魂が込められた一刀。もはや具現化で割りこむ間も存在しない。

 しかしアルクェイドは迷う事無く左の掌で受けとめた。剣は彼女の肘ほどまで粉砕し、そこ

で止まってしまう。アルクェイドはそのまま、右の手刀でリィゾの右腕を断ち斬った。

 リィゾはその痛みにも顔色一つ変える事無く、彼女の右腕を自らの左手で掴むと、そのまま

彼女を自分に向かって引き寄せた。




 ――我が名はアルトルージュ・ブリュンスタッド。

    慈母の盟友たるブリュンスタッドの名に置いて契約を求めんとす。




「やれ、フィナ!」

 リィゾの叫びに、一瞬の逡巡すら見せずフィナはレイピアをアルクェイドに向かって突きこ

んだ。レイピアは彼女の腹を突き破り、後ろのリィゾも刺し貫いてそのまま床に突き刺さる。

 柄はおろか、彼の左肘の辺りまでアルクェイドの腹に潜りこむ一撃。細身に似合わぬ、吸血

鬼ゆえの圧倒的な膂力ゆえの技だった。

 リィゾに腕を取られ、フィナに床に縫いとめられ、アルクェイドはその場に足止めされた。

「これで、後は姫を待てばOKです……」

 自分の血と返り血で赤く染め上げられ、凄絶な笑みを浮かべたフィナ。

 その笑みが凍った。

 振り上げられたアルクェイドの左手。『ニアダーク』によって粉砕された筈のそれが、再生を

終えていたから。

 自らに深手を追わせた不埒者へ裁きを下すべく、断罪の繊手が振り下ろされた。




 ――我にもたらされしその恵みを、我の望む者へ。

    我が妹、アルクェイド・ブリュンスタッドへ。




 自らを繋ぎとめる戒めを、斬り飛ばさんと振り下ろされる刃。

「させません!」

 フィナは叫ぶと、自分の左腕を庇うかのようにその手刀に背を向ける。アルクェイドの手は

易々と彼の体を断ち割り、胸まで潜りこんだ。その指が、脈々と運動を続ける拳大の器官に

触れる。

 一瞬の容赦も無い。彼女はそのままフィナの心臓を握り潰した。

「ぐぅあぁぁぁあっ!?」

 凄まじい激痛がフィナを襲い、口から大量の血液が溢れ出す。声を出す事もままならず、全

身の力が抜けそうになる。

 いかな死徒と言えど、心臓の破損は滅びにも繋がる甚大なダメージ。意識を保ちうる事す

ら普通は不可能。

 しかし、騎士としての矜持が、彼に意識を失わせなかった。そのまま右手で自らの体を突き

破っているアルクェイドの左手を掴む。

 そこにプライミッツ・マーダーが飛びかかった。巨大な顎でアルクェイドの左腕に食らいつ

き、噛みちぎる。そのまま左肩にかじりつき、前足でアルクェイドを抑えこんだ。

 それでもアルクェイドは動揺を見せる事は無い。冷静に、成すべき事をなすだけ。プライミ

ッツ・マーダーに噛みつかれている事もまるで気にせず、左腕を再生させる。

 彼の、口の中で。

 巨狼が体を振るわせた。くぐもった悲鳴が広間に満ちる。その後頭部にありえないオブジェ

が誕生していた。

 アルクェイドの手が、頭を貫いていたのだ。噴水のように血が溢れだし、純白の彼の毛並み

が見る見る鮮紅に染め上げられていく。

 どんな生物でも即死するであろう一撃。しかしそれでもプライミッツ・マーダーはその力を緩

める事無く、アルクェイドを抑えこみ続けた。

 アルクェイドは、自分が完全に身動きを封じられた事を悟った。




 ――捧げし供物を受け取られ、契約よ、疾く果たされよ!




 そして、私は目を見開いた。瞳は今のアルクェイドと同じく金色に光り輝いているだろう。

 地が揺れ、空気が震える。世界は一瞬の抵抗を見せた後、私に屈服した。

 世界が朱く染め上げられる。

 砕かれた壁も、溶け崩れ落ちた床も正しき姿を取り戻す。大きく開かれた天窓に望むは、

ありえないほど大きく、煌々と輝く紅い月。

 朱きセカイの中、在りし日の威容を取り戻しし千年城。

 月の力が雪崩れをうって私の中に流れこむ。

 大地の力が、堰を切ったかのように私の体を満たす。

 同時に、水が砂に染み渡るように、私がセカイに溶けゆく感覚。バラバラになりそうな心を、

私は必死で繋ぎ止める。少しでも気を抜けば、私は私で無くなってしまうだろう。

 ぎり、と奥歯を噛み締め、私はアルクェイドに目をやった。

 リィゾが、フィナが、そしてプライミッツ・マーダーがその身と命を賭して、完全に彼女の動き

を抑えこんでいる。

 これが、最初で最後のチャンス。これを逃したら後が無い。

 私は床を蹴り、アルクェイドに向かって疾った。先ほどまでとは比べ物にならないスピード。

見る者の目には、影すら残す事は無いだろう。

 そのまま右腕を振りかぶり、アルクェイドの首筋に向かって振り下ろす。

 こちらに向き直ったアルクェイドと、私の視線が交錯した。

「戻ってらっしゃい、アルクェイド!」

 そして刃と化した私の爪が、彼女の髪を刈り取る。

 そのまま私はそれを捧げ持ち、叫んだ。

「我が名はアルトルージュ・ブリュンスタッド! 我の名に置いて、契約よ果たされよ!」

 その言葉と共に、私の手の中の金糸が消滅し。朱きセカイが闇なる世界に戻る。

 同時に凄まじい脱力感が私に襲いかかった。立っている事すらままならず、私は地に膝を

つくと荒い呼吸で胸をかきむしった。

 既に瞳の色は常の鮮紅に戻っている。自分の力が根こそぎ奪われていくような不快感。急

速に意識が闇に吸いこまれていく。

 それでも力を振り絞り、私はアルクェイドに向き直った。

 彼女の動きが止まっていた。その瞳はやはり鮮紅に戻り、呆けたようにその場に立ち尽くし

ている。

 立ちこめていた殺気は霧散し、千年城は静寂を取り戻した。

 契約は、正しく履行された。私は妹を失わずに済んだのだ。

 と、鈍い音が響きわたる。フィナが床に崩れ落ちたのだ。一瞬の間を置いて、プライミッツ

マーダーもその巨躯を横たえた。そしてリィゾも、糸が切れた人形のように倒れこんだ。

 私は声を出そうとする。極度の疲労で掠れた声しか出なかったのが情けない。

「あなたたち――?!」

 そんな私の声よりも遥かに小さな声。普段の彼の面影すらない弱弱しい声だったが、それで

もリィゾの言葉が私の耳に飛び込んできた。

「アルトルージュ様……我ら三名、悪運強くも死に損ないました故。今しばらくは側下に」

「そう……良かった」

 その言葉に、私は彼らに向かって微笑んだ。

 本当に、良かった。

 私の大事な騎士達は、皆生き残ってくれた。私は、誰も失わずに済んだのだ。

 安心したせいか、意識が途切れかける。そろそろ私の方が限界だった。体が急速に睡眠を

欲している。

 どの程度寝続ける羽目になるか分からないが……ただ、安心して眠る事は出来そうだった。

「……ジュ様! アルトルージュ様!」

 リィゾが何か呼びかけてくるが、もはや応える事ができない。主として、姫としてみっともない

姿であるとは思うのだけれど、少しだけここで眠らせてもらおう。

 その思考を最後に、私は意識を手放した。







「……ジュ…アルトルージュ!」

 遠くから呼ぶような声。そのまま肩を揺さぶられて、私は目を覚ました。

「ん……ん? あぁ…、ええっと」

 随分深く眠っていたせいか、今一つ視界も記憶もはっきりしない。声のした方に目を向ける

と、心配そうな顔をしたアルクェイドが私を見つめていた。

「大丈夫? なんか、うなされてたり、急に笑顔を浮かべたり。ビックリしたから起こしちゃったん

だけど」

 その言葉に私は時計を見やった。寝始めてから一時間半ほど経っていた。ちょっと予定よ

りは早いが、折角妹に起こしてもらったのだ。もう一度寝なおすのは無粋な気がする。

「ちょっとね、昔の事を思い出してたのよ」

「昔の事?」

「そうよ、懐かしくて、とても大事な事」

 そう、私にとっては本当に大事な事。

 これだけは志貴君にも負けない、私の妹への愛情。この子には決して教える事の無い、秘

密の絆。

 これまでも、そしてこれからも私はアルクェイドを支えていく。これは誰にも譲れない。私だけ

が出来る、私だけの役目なのだから。

 アルクェイドはそんな私を見やって、少し寂しそうに呟いた。

「昔の事かぁ…姉さん、きっと私の知らない色んな事知ってるんだよね?」

「どうしたの、アルクェイド。急にそんな事言うなんて」

「うん。良ければ私が眠ってる時とか、姉さんにどんな事があったのか話してくれると嬉しいか

な、って。折角姉さんとこうして二人で旅をしてるんだし」

 ……今の私の顔、私を知ってる者が見たら驚きのあまり声が出ないんじゃないだろうか。

 嬉しくて、つい頬が緩んでしまう。顔もちょっと赤くなってる気がする。

 ああ、こんな日が来るなんて、本当に思いもしなかった。

「ええ、良いわよ。空の旅はまだ長いし、色々、話してあげる」

 そう言って私は、アルクェイドに向かって飛びきりの微笑みを見せた。




END



後書き


 遠野家組が戸隠でてんやわんやな頃、この二人はこんな事をしておりました。と
言うわけでブリュンスタッド姉妹の過去話です。

 ブリュンスタッド好きな俺としては、いつか書こうと思っていた部分でした。

「何故アルトルージュは髪を奪ったのか」
「奪ってどうしたのか」

 ――結局MARの解釈ではこういう事になりました。
 何て言うか、アルトルージュが優しすぎかもしれない(苦笑 でも、姉妹の仲が良い
方が、書いていて楽しいんですよね、やっぱり。

 久しぶりの戦闘パートは、案の定四苦八苦。なかなか見栄えのする戦闘が書け
ずに今回も難産でした。俺の永遠の課題かもしれない…(汗 また改訂して、リィゾ
のキャラ立てはそれなりに上手くいった気がするけど、反動でワンコとヴラドが(^^;

 ともあれ、ここまで読んでくださってありがとうございました。次回は雪月華の続き
か吸血姫姉妹旅行編か、いずれになるか分かりませんがなるべく早く書き上げた
いと思いますので、よろしくお願いします。