■ エピローグ ■




 相馬詩鶴さんは、ご家族の都合により転校と言う事になりました。

 担任の告げた言葉に教室中がどよめくのを、公大は安堵と、どこか冷めたものが混じった視線で見つめていたものだった。
 詩鶴が去った直後のクラスは、上を下への大層な混乱を見せていたのだが、やがてどこからともなく落ち着きを取り戻していった。どんなに巨大な台風でも、通り過ぎれば必ず快晴の空が戻ってくる。公大を取り巻く空気も、完全に、とはいかないまでもおおよそ以前と変わらぬ物へと戻っていた。
「いい加減なものよね。騒ぐだけ騒いだ後は、別の興味の対象を見つけて騒いでるのよ。夏休みが終わる頃には、また別のネタで皆盛り上がっているわ」
 いつものように二人で取る昼飯時にそう言った、玲菜の言葉は妙に公大の頭に残った。騒ぐ方と騒がれる方の温度差は、体験してみないと分からない。二度は避けたい事だと思う反面、絶対に無理だろうなという諦めの思いも抱えている。
 真面目に付き合いだして、そういう目で見始めたと言う事もあるのだろう。玲菜はどう差し引いて見てみても圧倒的に綺麗だった。これだけの容姿を備えている上に、根強く残る危ない噂が、彼女という存在を必要以上に飾り立てる。「やっぱり稲生玲菜の彼氏だった」という認識のされ方である公大にとって、彼女のそういう目立ち方は何かと心騒がしい。
「……なあ、玲菜。昨日亜里沙から聞いたんだがな」
「ん?」
 不機嫌な声で呟いた、公大の声に玲菜は小首をかしげる。
「「お兄ちゃん……また玲菜さんにデート誘われたんだけど。しっかり手綱握ってなくて良いの?」って言っていたんだがこの件について釈明を求めたいわけですがね被告人?」
「もう、オフレコよって言っておいたのになぁ亜里沙ちゃんてば」
「せめて少しは悪びれろ。てかお前、変に開き直っただろ?」
「誤解よ。亜里沙ちゃんに対してはもうあれよ。見て愛でて楽しむ感覚?」
「それはそれでどうかと思うわけだがどうか?」
「そもそも、デートじゃなくて勉強教えてあげよっか、だったんだけど。いい先生演じて上げられる自信はあったんだけどなぁ」
「なら別に学校でも、俺いる時に家でもいいだろ。何故に図書館に二人で誘うか」
「あら、妹相手に嫉妬?」
「なっ!?」
 思わず言葉に詰まった公大を見て、玲菜は口元に猫のような笑みを浮かべる。
「そう思うなら、夏休みもちょっかい掛けられないくらい束縛してくれると嬉しいんだけど?」
 そんな事を言われてしまえば、公大としては白旗を掲げる他なかった。



「あ、柏木じゃんか」
 廊下を歩いていた公大が、呼び止められた声に振り向くと、そこには人懐っこい笑みを浮かべた堀内が立っていた。その横には彼と同じ位の高い短髪の少年と、長い黒髪の少女が立っている。談笑をしていたらしいその二人に二度三度頭を下げて、堀内は公大の下に駆け寄ってきた。
「どうした、堀内。何か用か?」
「うぃうぃ。ちょうど良かったですわ。割と至急の用がありまして、後でお前のクラスの方に行こうと思ってたからさ」
 彼の言葉に公大は首をひねる。
「実は言伝預かってるんだわ、お前さんに」
「俺に? 何だそりゃ。てか誰からさ」
「柚原からですよ。正確には昨日聞いてたんだけど、今日伝えてくれって言われたからさ」
「聡から……?」
 あまり聞きたくなかった名前を耳にして、公大の表情が曇る。それを見た堀内の表情も真面目なものに変わった。
「て事はアレですか? ひょっとして聞いてない?」
「何をだよ」
「あいつ、今日転校してったんだよ。それで言伝を預かったんだけどさ」
「……そう、か」
 公大は言葉に詰まった。顔も見たくなかったし、金輪際まともに話をするつもりも無かった。だが、実際にもう顔が見れなくなると周りの人間に聞かされると、怒りとはまた別の、形容しがたい感情がわきあがってくる。
「んで、俺はよく意味が分からなかったんだけどな。「稲生さんと亜里沙ちゃんには本当にすまない事をした。でも、どれだけ悪いと思っても、僕は公大に謝る事は出来ない。全部、嘘になってしまうから」とかなんとか」
「それだけ、か?」
「ああ。何かすげー寂しそうな目をしていってたな。熊みたいななりに似合わず。面白いやつだったのになぁ」
「そう、だな。そうだったかもしれないな」
「まあ、それだけですよ。んじゃまたなー」
 軽く手を上げて、先ほどの友人の元へ戻っていくのを見届けた公大は、深い溜息をついた。
「勝手な事ばかり言いやがって……」
 玲菜と亜里沙、そして自分へと向けていた感情の違いが、謝る事が出来るか否かの違いだというのだろう。
 それは確かに純粋な思いで、受け入れられないという苦悩がそれを間違った濃度に煮詰めてしまった事は否めない。
 だが、しかし。
「それでも、越えちゃいけない一線はあった筈だろ。馬鹿野郎……」
 自分が襲われかけた事だけではなく、詩鶴の誘いに乗って、裏切った事が許せなかった。親友であったからこそ、それを許す訳にはいかなかった。
 公大は視線を外に向けた。窓ガラス越しに見える空は、抜けるような青が広がっている。
 夏はもうすぐそこまで迫っている。目にしみるその鮮やかさに目を細めながら、公大は思う。
 絶対に、許さない。そして忘れない。彼の行為も、その思いも、何もかも。
 親友だった立場として、それが最後の礼儀だと、そう思った。









 大きな窓ガラス越しに見る夏休み初日の空は、雲一つなく澄み切り鮮やかな青色で覆い尽くされている。
「あー、遊び行きてえ……」
 小声で呟き、彼は机に突っ伏した。横目で右を見れば、鬼気迫る表情でノートにシャーペンを走らせていく同年代の人々の姿。左を見れば、小声とはいえ参考書そっちのけで雑談を交えているグループが見受けられる。
 この時期に特有の光景だった。おそらく彼自身も、周りからそう見られているのだろう。右側なのか左側なのかは微妙な所だったが。
「どう、少しははかどったの?」
「とりあえず3ページくらいな」
 後ろから掛けられた声に、顔を向ける事無く公大は答えた。隣に座った人物は、彼の前に広げられたノートを取り上げる。
「ここと……後はこの訳がおかしいわ。意味として通じなくはないけど、受験用なら固くても文法を重視しておいた方が良いわね」
「早速駄目出しかよ。てかはええよ玲菜」
「されるような文章書く公大が悪いのよ。英語弱点にしちゃうと、何かと厳しいわよ?」
 てきぱきと、問題部分に赤線を引いて公大にノートを返した玲菜は、自分の参考書を広げて既に問題に見入っている。戻ってきたノートを見て公大は肩を落とした。自信がなく無理やり訳した部分が案の定。分かっていた事とはいえ、切ない。
「こう、なんだろう。レベル差を見せ付けられた気分で切ないですよ俺としては」
「嘆いていても埋まらないわよ? せっかくただで使える優秀な家庭教師が横にいるのよ、使い倒してやるくらいの気概見せてくれなきゃ」
「迂闊にお前と同じ大学行きたいとか、言わなきゃ良かったよ……」
「下げるつもりはないわよ? 言ったでしょ、いずれ後悔する事になるって」
「いや多分それ予想してたのとは絶対違う後悔……」
 顔をしかめてそう言った公大に向かって、周りの学生達から冷たい視線が飛ぶ。
 うるさい黙れ見せつけんな死ね。
 無言の殺気に溜息をついた公大は立ち上がった。
「あれ、どうしたの?」
「ちょっと気分転換。飲み物買ってくるわ。何が良い?」
「スポーツドリンク。何でも良いわ」
「了解」



 公大たちが利用している自習室の上の階には飲食コーナーが併設されていて、自動販売機も並んでいる。昼食にはまだ早い時間のせいか、人の姿はまばらだった。
 硬貨を入れた公大が、目当てのドリンクのスイッチを押そうとしたその時だった。
 横から伸びてきた手が、すばやくコーラのスイッチを押していた。
「ちょ、何を……!」
 鼻白んだ公大が振り返った、その目の前に。
「や、お久しぶり」
 にこりと、天真爛漫な笑顔を浮かべた相馬詩鶴が立っていた。
「……なんでこんな所にいるんだ、お前」
 乾いた声で、公大はそう呟いた。声が出た事に自分で驚いたくらいだった。
「何でなんて決まってるじゃない。図書館は勉強する所だよ? あたしだって受験生なんだから」
「いや、あんな無茶苦茶やっておいて受験とか、お前……」
「世の中、お金とやる気は使い所間違えなければとっても役に立つんだよ?」
「堂々と駄目な事言いやがってるな!」
 思わず叫んだ公大だったが、詩鶴の表情は変わらない。たかだか二週間かそこらで、纏った雰囲気が変わるわけもない。
「一人? ならお返しにジュース奢ってあげるけど?」
「ンなのいらねぇから、そのコーラ持ってとっとと居なくなってくれ。お前はどう思ってるかしらんが、俺はもうお前と話す事なんか何にもないし、話したくも無いぞ」
「ふふ、手厳しいなぁ。でもさ、ちょこっとぐらい良いよね?」
 自販機からコーラを取り出した詩鶴は、再び公大の向かいに立って言った。
「玲菜さんとは上手くいってる?」
「関係ないだろ」
「あるんだよ? だってあたしが今回負けた相手なんだから。上手く行っててもらわなければ困るもの」
「そうかよ。なら心配するな。入り込む余地なんか欠片もねぇ」
「あー、そう言うこともすんなり言える様になったんだねぇ。当てられちゃうなぁ」
 くすくすと笑い声を立てた詩鶴が、すっと目を細める。
「でも、相変わらず隙は多い……」
 何の前触れもなかった。すばやく伸ばされた詩鶴の手が、公大の首に絡みつき。
「何をしてるのかしら?」
「あんっ!?」
 ――詩鶴の服の裾が引かれ、公大の腕の中から放り出され、尻餅をついた。
「ここ、私の指定席なんだけど?」
 入れ替わるようにして、公大の腕の中に玲菜が滑り込んでいた。
「玲菜、お前いつの間に」
「見たくもない姿が見えた気がしたから、追っかけてきてみたら。案の定じゃない」
「痛いなぁ、ちょっと、乱暴なんじゃないかな玲菜さん」
「手段は相手見て選ぶことにしてるの。貴女相手には容赦も手加減も無用極まるわ」
 飛び交う玲菜と詩鶴の視線で、間違いなく火花が散っている。公大の口元が引きつった。全力で玲菜の応援をしたい所だったが、何せ場所が場所なのだ。
 しかしヒートアップする二人は、間違いなくその事に気づいている様子が無い。
「随分と、公大と仲良くなったみたいだね。遠くから見てても空気が伝わってきてたしね」
「ありがとう。褒め言葉だと思っておくわ。察して回れ右してくれれば何よりだったんだけど」
「あはは、それは無理だよ。だって今日は挨拶に来たんだから」
「挨拶?」
 怪訝な声で呟いた、公大に向かって詩鶴はきっぱりと言った。
「お母さんにね、凄く怒られて、そして同じくらい褒められたの。その意気やよしって!」
「待ちなさいダメ親子」
「だから絡め手は止め。直球勝負で、大好きな公大を奪い返す事にするね玲菜さん」
「待てコラ! お前きっぱり負け認めてやがっただろ!?」
「あれ? 言った筈だよ公大、「今回」負けたって。戦いなんて最後に立ってた者勝ちだもん。それまで何回負けたって気にしないよ」
「気にしろっ!」
「そう、なら好きにすれば良いじゃない」
 場所を忘れて叫んだ公大にかぶさる様に、静かな声が響く。そのまま直ぐに伸ばされた玲菜の手が、公大の首元に絡められ、そして彼女の体がしなだれかかっていた。
「でも、私も一世一代最初で最後の本気なの。奪い取れるなんて思わないで。早めに泣いて逃げ帰る事、お勧めしておくわ」
「うん、悪くないよ玲菜さん。戦いってそうじゃなきゃ面白くないよね?」
 肩に顎を預けてくる、玲菜の感触はとても心地良かった。その声に含まれすぎな殺気さえなければ、最高の台詞だったろうと公大は思う。
 ざわめきが、飲食スペースの中に広がっていく。いつしか人の壁が作られ始め、今も階段から、幾人かの人影が駆け上ってくるのが伝わってきた。
 ああ、きっと叩き出される羽目になるなこれ。
 公大の嘆きなど、二人に伝わる余地はない。剣呑な視線の槍と不気味な含み笑いの渦は、しばらく止まる余地を見せはしない。
 見目麗しきあくまたちの延長戦が、どうやら幕を開けたようだった。






【おしまい】




■ 後書き

 最後までお読みくださった皆様、本当にありがとうございました。
 元ネタ自体は2年ほど前に考えていたもので、そこだともっと公大は巻き込まれ体質、回り皆敵という状態でした。が、冒頭20kbくらい書いて機と停止。そのまま一年ほど放っておいた頃、不意に天恵が。

「玲菜のキャラ変えれば、回るんじゃね?」

 草稿では素直クールのエロ女だった玲菜を少しこねくり回してみたらあれよあれよと。一瞬のひらめきって、時折ものすごい力を発揮するんですね。
 先日シナリオ書かせていただいたcolorsもそうなんですが、ちょいと歪な所を持ったキャラに直球勝負をさせるのが大好きな性分みたいです。こんな物語でしたが、楽しんでいただけたのならば、それに勝る喜びはありません。
 それでは、次回はどういう話になるか分かりませんが、なるべく早くお届けできるように頑張ります。