■ しのぶメルト ■








「……さて、どうしたものか」
 儂の目の前には、包装紙だった物が無残な姿を晒して散らばっている。
 中身はすでにない。儂の胃袋の中に美味しく消えてしまっておる。
 美味い物は、食べれば奇麗さっぱり無くなってしまう。それは儂が怪異の王だった頃でもひっくり返せぬ世界の摂理であり、当然今のこのあさましい姿ではどうにも抵抗する事の出来ないルールである。
 つまりはとても美味しかったわけじゃな。ドーナツではなく大きなハート形のチョコレートであったが、大層美味かった。やや形がいびつなのが気にかかったが、味に変わりはないというものじゃし。
 問題は――まあ些細な問題は、じゃ。そのチョコレートが儂の物ではなかったという事じゃろう。
 思い起こせば一時間ほど前、我があるじ様が小躍りしながら見せびらかしてきたそれは、「バレンタインデー」とか言うイベントの戦果であったらしい。
「初めての! 彼女からの! バレンタインチョコだぜヒャッホウ!」
 大層気持ち悪いにやけ顔で、きれいにラッピングされたチョコレートを抱えてベッドの上でごろごろ転がっている。そんなあるじ様を見ている儂が段々と腹立ってきても、それは責められないというものではなかろうか?
 そもそも儂はあるじ様を憎んでいるのである。
 絶対に許さない。顔も見たくない……とは、まあ言わないまでも、とにかく憎たらしい事この上ないわけじゃ。
 何せ儂が今このような幼女に毛の生えたような姿に成り果てているのは全てあるじ様のせいなのである。あるじ様も儂を決して許す事の無い、その決意の表れがこの辱めなのである。
 もう本当に殺してやりたい。
 細切れに引き裂いて、その血を一滴残らず吸いつくしてやりたい。そう思う気持ちに一片の偽りもありはしない。
 じゃが儂がそれをせずに踏みとどまっている理由は、ただ一つ。儂がそれをした場合、あるじ様は何も言わずにそれを受け入れてしまうという事が分かっているからじゃった。
 他の誰かに殺される事は、あるじ様は全力で避けようとするじゃろう。
 しかし、儂の手に掛かることを拒みはしまい。唯々諾々と、儂の憎しみを受け入れてしまう事じゃろう。
 そんな相手を殺す事に、果たしていかほどの価値がある?
 人間もどきの吸血鬼を人として土に還してやった後は、再び熱血にして冷血にして鉄血の吸血鬼が夜の世界に舞い戻る。そんなつまらん結末は願い下げじゃ。吐き気がするほど下らないエピローグではないか。
 もう一人で在り続けるのには飽き飽きしたのじゃ。
 互いに醜い傷を背負い続けていても、このようなあさましい吸血鬼の搾りかすとなり果てていようとも、隣に誰かがいてくれる事の価値には代えられぬ。
 ――それが、たとえ憎くて憎くてたまらぬ相手であろうとも。
 かくして、儂とあるじ様は一蓮托生の運命を抱えて共に過ごしておるわけじゃった。
 そんな儂に向かって、あるじ様はしれっと「死ぬ時は一緒だ」などと真顔で言ってのける。言ってのけるくせに自分はちゃっかり小娘と恋仲になっているとか、もうありえないデリカシーの無さじゃとは思わんか!
 その上、たかがチョコ一つであの喜びよう! 
 儂のあるじ様ともあろう者が、二十年も生きていない、小便臭い小娘からの施しに、見えない尻尾を振り回っておる! 
 ゆえに儂は正当な怒りを発露させ、あるじ様が風呂に入っている間に、その大事なバレンタインチョコとやらに凌辱の魔の手を加えた次第というわけじゃった。
 つい昨日あるじ様から吸血したばかりゆえ、、風呂に入っている間くらいの距離は離れられるようになったのが役立とうとは!
 かかか、あるじ様め。油断したら寝首を掻くと言っておいたろうに!
 うむ、掻いたのはいいのじゃが!
「…………あるじ様、怒るよなあ?」
 再び目の前の包装紙の残骸を見つめ、儂は深い深いため息をついた。
 作り直して素知らぬ顔をする、という選択肢は難しい相談じゃった。儂の物質創造化能力は無機物ならそれっぽい再現が出来るのじゃが、どうしても食べ物に関しては上手くいかぬ。というか、そもそもそれが出来るのであれば自分でミスドのポン・デ・リングやゴールデンチョコレートを大量生産しているに決まっておる。
 それでも、やるだけはやってみるべきじゃろうか。
「えいえいえいえいえい!」
 気合を込めて指を振った先に、腹に収める前と寸分違わぬ形のチョコレートが出現する。でかでかとホワイトチョコで「I love Koyomi」などと書かれているのが無性に腹立たしいが、今はぐっと我慢してそこも再現してみせた。
 うむ、見た目は完璧であるの! さすが儂!
 しかし問題は味なわけじゃが。一応は感じたままの味を再現するべく頑張っては見たが、はたして。
 ノウハウは分かった故、削れた部分は後で再現すればよい。儂は作り上げたチョコレートを一口齧ってみる。
「あむ……!」
 口の中いっぱいに広がっていくカカオの匂いと、そして。
 頭の中に思い浮かんだのは、かつて手ずから滅ぼした街の荒れ果てた光景じゃった。
 デザートに対してそう表現すべきかどうかは分からぬが、その。
「…………不毛?」
 甘いでも苦いでもなければ、そもそも美味い不味いの範疇すら超えておった。ただひたすらに、その存在意義すらも問われそうな程に乾き荒んだ滅びの足跡が、儂の口の中に鳴り響いておる。
 うむ。分かってはおった。分かってはおったつもりじゃったが。
「……ないわー。これは儂にお菓子作りの才能は欠片もないわー」
 抜けていく力のままにがっくりと肩を落とした儂じゃったが、それでも形だけは元に戻して、ラッピングも整えてみる。
 しかしそこで儂はある事に気がついた。
 あの腹立たしい文言といい、微妙に歪んだ形といい、おそらくこのチョコレートはあの小娘の手作りであろう。
 そして当然のごとくまだ手つかずであった故、あるじ様とて元のチョコレートの味に関しては分かるまい。
「くく……くくくく、これは、風が儂に吹いてきたのではあるまいか?」
 ほくそ笑んだ儂は、手にしていたチョコレートを元々あったあるじ様の机の上に戻しておく。
 いくらあるじ様が朴念仁極まりない女の敵とは言え、大切な彼女の手作りチョコレートの味を聞かれて、不味かったなどと言うわけもあるまい。
「これが例えばミスドのドーナツの再現であったのならば絶望的であったがのう……くくく、あるじ様も存外にチョロいものよ」
「僕がなんだって?」
「ひゃああああぁぅッ!?」
 突然後ろから掛けられた声に跳びあがって振り返ると、風呂上がりのあるじ様が裸の上半身にタオルを引っ掛けて儂を見下ろしておった。
「あ、あああああるじ様いつから!?」
「いや……まあ今上がって戻ってきた所なんだが。何かお前が僕の事を呼んでた気がするから声をかけたんだが」
「い、いやいやいやいや。呼んでおらんよ? 呼ぶわけがなかろう? ふ、ふん。それとも呼んで欲しかったのならば素直にそう頼めば読んでやらん事もないがの!」
「いや、別に用がないんならそれでいいんだけどよ」
 頭を掻きながら歩いてきたあるじ様が、儂と向かい合うようにベッドの端に腰を下ろす。
 大丈夫じゃろうか。おそらくバレてはいない筈なのじゃが。
「ところでさ、忍」
「な、何じゃいお前様よ?」
「お前さ、僕があげたドーナツとか、やっぱり少し返してくれとか言ったら返してくれたりするか?」
「するわけなかろう? この世のミスドはすべて儂の物じゃ。ミスドがあるからこそこの世界は滅ばすにいるのじゃぞ?」
「ミスドに掛かってるとか、脆弱にもほどがあるなこの世界……」
 ため息をついたあるじ様は、儂がすり替えたバレンタインチョコを指差して、言う。
「まあとにかくだ。同じ事がそのチョコレートにも言えるわけだ。あれは僕の物なので、断じてお前が食べる事は許されない。まあそれくらいの事は偉大な吸血鬼だったお前に対して今さら言う事でもないとは思うんだけどな」
「と……当然じゃな。儂とても吸血鬼の誇りがある故、そのような真似などするわけがない!」
 あるじ様に対して胸を張り、儂はきっぱり言ってやる。
 だって言うしかないもの。
 気付いておらんよなぁ!? 証拠は全て隠滅した筈じゃし何の問題も……
 内心冷や汗掻きまくりの儂の目が、ベッドの影に残った紙切れに吸い寄せられる。
「おおっとぉぉぉぉぉぉッ!?」
 自分でも意味の分からない叫び声をあげて、儂はその紙切れの上にダイブする。
「し、忍、お前何してるんだいきなり?」
「か、かかっ! あ、あるじ様よ、こんな処に画鋲が落ちておったぞ! 踏んで怪我でもしたら大事じゃったな、うむ、うむうむ儂に感謝するがよいわ!」
 怪訝な顔で覗きこんできたあるじ様の目の前に、儂は拾い上げた画鋲を掲げてみせる。当然落ちていたわけではなく、たった今儂が作りだした物なのじゃが。
 包装紙の欠片はボディプレスで影の中に叩き込んでやったので、これでもうあるじ様に露見する心配はなくなったわけじゃ。
 しかしチョコレートといい画鋲といい、なけなしの吸血鬼パワーを何に使っておるんじゃろうな、儂は。
「ていうか僕の部屋にそんな画鋲あったっけか?」
「あ、ああああるんじゃから仕方あるまい!? ほれ、そ、そんな事よりあるじ様は勉強した方が良いのではないか? 儂も今日の所は大人しくしておいてやらん事もない」
「なんかえらく物分かりがいいな、今日のお前」
 頭を掻きながらそう呟いたあるじ様じゃったが、儂の言葉に従う気になったのか、ゆっくりと立ち上がる。
 そして、部屋の中ほどでぴたりと足を止めると振り返った。
「ところでな、忍」
「何じゃい?」
「お前の口元についている大量のチョコレートの存在について、僕は説明を受けてないわけなんだがな?」
 つまりは。
 最初からバレバレじゃったという事らしい。
 あるじ様はニコニコと笑って儂を見下ろしている。もちろん、目は全く笑っていない。
 ああ、あれじゃな。
「申し訳ありませんでした我があるじ様」
 儂はあの小娘もかくやの全力土下座を決めなければいけないらしかった。








「あれは、ガハラさんが僕にくれた物なんだ」
「はい、反省しております……」
「あのガハラさんが、散々僕の心をえぐった後にものすごーく嫌そうに恩着せがましく下さったものなんだ」
「それは世間一般の彼女が彼氏にする態度ではないように思われるのじゃが痛い痛い痛い痛い! 拳でこめかみをグリグリするのは止めるのじゃお前様よ!」
「やかましい。それを何勝手に食ってるんだこの意地汚いロリ吸血鬼! どうしてくれるんだよ! 事と次第によっちゃあ、僕はお前に都条例に触れるお仕置きをするぞ!」
「してくれるの!?」
 思わず食いついてしまった儂がもらったのは、全力のゲンコツじゃった。
 痛い。死ぬほど痛いんじゃが!
 しかし何よりも痛いのは、それだけあるじ様が真剣に怒っているという事実じゃった。
 自分の事を棚に上げがちなあるじ様が、チョコレート一つでこれだけ腹を立てて、儂を叱りつけている。それはとりもなおさず、あの小娘があるじ様の中でどれだけ大きな価値を占めているかという表れではないか。
 死ぬ時は一緒だと口にしたあるじ様じゃが、死ぬまでの間は、何よりもあの小娘の事を大事にしたいという事なのじゃろう。
「……じゃったら儂の事など放り出して、あの小娘と乳繰り合ってればいいではないか」
 思わず口をついて出てしまった儂のその言葉に、あるじ様は手を止めて、儂を冷たい目で見つめてくる。
「な、何じゃい! 事実そうであろうが? 儂とあの小娘が並んでおれば、あるじ様は向こうの手をとると、そういう事じゃろうが!?」
 その目の光があまりにも冷たく苦しかったせいか、儂はなりふり構わず叫んでしまった。
 止めるんじゃ。
 見苦しい!
 悪いのは自分じゃろうが!
 いくら頭の中で止めようとしても、儂の体は止まってくれぬ。あるじ様の手を振り切って、儂は仁王立ちで向き合ってしまっていた。
「儂とあるじ様は切っても切り離せぬコインの裏と表かもしれん。儂を背負うとのたまった、その覚悟も本物かもしれん。じゃったら、それなりの取るべき態度ってものがあるのではないか!?」
「……忍」
「儂とても意地はある! あの小娘と付き合うな、なんて事など口が裂けても言ってやるものかよ! しかしな、線は引いてくれよあるじ様よ! 儂のあるじとして在り続けるつもりなら、見たくない物を見せない努力はしてみせよ!」
 情けない。みっともない。そんな事なぞ誰よりも儂自身が分かっている。じゃと言うのに、この軽薄な口が子供のように感情を吐き出し続けるのを、止める事が出来ずにおる。
 それだけ儂の中で、あるじ様への想いが澱のように溜っておったという事なのか。
 儂が影の中にいる間、あるじ様が何をしてようと文句を言うつもりなどない。どんな生き物にだって、見られたい物見られたくない物はあるんじゃから、たとえ一心同体に近しい我らであっても、それは変わるまいよ。
 しかし、共に過ごしている時間に、自らの領分の物を持ち込んで見せつけるのは、ルール違反ではあるまいか?
「あるじ様とあの小娘がデートをしている時に、儂は影の奥底に引っ込んでいるのじゃ。じゃったら……じゃったら、儂と共に過ごしている時はあの小娘との思い出は見えない所にしまっておいてもいいじゃろうが!?」
 自分の口から声が出ているのか、頭の中で弾けそうな程に言葉が回っているだけなのかよく分からなくなってきおった。
 ただひどく顔が熱いのは、恥ずかしいからと言うだけではなさそうじゃった。
 目の端が痛い。視界が歪んでおる。
 ああ、鏡に映らぬ我が体に感謝せずにはいられぬ。儂は今、どれだけ醜い姿をさらしておるものか。
「……そうか」
 そう呟いたあるじ様の手が、儂の頭を撫でおろしてきおる。
 なんて事をしてくれる。それでは、儂の気持ちなど収まらぬというに!
 むしろこんな真似をした儂の頬を一発二発張り飛ばしてもらえれば、上り過ぎた血も適度に引いてくれようものを。
「あれは、お前が作ったチョコレートか?」
「じゃったらどうした!? 言うておくが、あの小娘の物とは天と地ほども味は違うぞ。生みだした事を事を後悔する位不味かっ……」
 儂の言葉を遮るように、あるじ様はチョコレートの包装を引き裂くと、形だけは見事なそれに齧りついた。
「あ……!」
 あるじ様の目が、一瞬途方に暮れたように明後日の方向をさまよう。
 しかし、意を決したようにそのまま二口三口と食い進めて、あっという間に全てを胃袋に収めてしもうた。
「あ、あるじ様よ……その、大丈夫か?」
「…………なんつーか、その、ふも……」
 一度頬をひきつらせた言いかけたあるじ様が頭を振り、苦笑する。
「ああ、うん。美味かった」
 そう言って、もう一度儂の頭を撫でてくる。
「色々と言ってやりたい事はあるし、正直すげえ腹が立ったけどさ」
 儂の髪を弄びながら、あるじ様が目を細める。
「すまん、僕も無神経だったよ。だからこれで両成敗って事にしておこうぜ?」
「うむ……儂もすまん事をした。味も何も代わりにはならんかったじゃろうが……その、食べてくれたのは感謝する」
「代わりじゃねえよ。代わりじゃなくて、これはお前が僕にくれたバレンタインチョコなんだろ? だから美味しかったよ」
 その言葉に、儂の心臓が飛び出そうな程に高なってしまう。
 この男。本当に。
 本当に、どうしてこんな心憎い真似をしおるのか。
「全く、馬鹿者が……お前様は本当に、本当に……」
 チョコレートよりも容易く、儂の心をとろかしおる。
 その言葉を我慢するくらいには、儂はひねくれ者じゃったらしい。
 代わりにあるじ様の胸に体を預けて、儂は髪を弄ぶあるじ様の手の感触を心ゆくまで味わう事にしたのじゃった。



















「まあ、それはそれとしてだけどな、忍」
「何じゃ、もう少しこうさせてくれよあるじ様よ……」
「とりあえず、僕は確実にガハラさんにチョコの感想を聞かれるわけなんだがな。当然お前も一緒に謝ってもらうぞ?」
「ひ、昼間の事は儂には責任持てんからの! じゃから頑張れあるじ様よ!」
「いやいや逃がさないからな! 僕とお前は死ぬまで一蓮托生なんだからな!」
「それって、その場で仲良く一緒に殺されるって事ではあるまいかっ!?」




■ おしまい。 ■


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