黒姫様の憂鬱




 曰く、星の生み出した最強の守護者。
 曰く、人類の敵対者。
 その爪は無慈悲に命を摘み取り、その牙は魂を砕く。闇に浮かび上がる白銀の毛並みは、死を包み込む冷たき衣。四肢つきてそびえしその姿は、愚昧なる人間たちへの明確なる裁きの具現――
 玉座に背を預けて、アルトルージュは頭を振った。
 確かに彼は死徒ではなかった。気の遠くなる程永き物とはいえ、寿命はあった。時を重ねる事で、隠せぬ衰えを身に積み重ねていく事も仕方ない事だとは思う。思うのだが。
 彼女は手にした一枚の紙に、再び視線を落とす。
 そこにはひどくのたうった文字で、


『ずっとわずらっていたぎっくり腰が限界です。百年くらい湯治してきますので、後の事は娘に任せます。けいぐ』


 手紙から視線を上げたアルトルージュは、ある一点を見つめて溜息をつく。玲瓏な美貌には、ひどい疲労感がにじみ出ていた。
「……ねえ、シュトラウト。犬ってぎっくり腰になるものだったかしら」
「アルトルージュ様。プライミッツ・マーダー殿は犬ではありませぬが」
「……貴方に聞いてもしょうがないわね」
 謹厳なる黒騎士の表情は、普段と変わらない。一瞬表情をゆがめたアルトルージュだったが、すぐに詮無き事と思い直す。リィゾ=バール・シュトラウトは実直だ。謹厳実直ならば良いと言う訳ではないのだろうが、とにかく彼は実直なのだから仕方が無い。今はそれよりも遥かに重大な問題が目の前に転がっているのだから。
「それで、確認したいのだけれど」
 疲労と困惑を振り払うように、殊更力を込めて、アルトルージュは視線の先に言葉を投げかけた。
「貴女が、プライミッツ・マーダーの娘なのね」
「は……はいぃぃぃぃぃぃぃっ! そ、そうでありますあぁアルトルージュ様!」
 荘厳な広間に不釣合いなほど甲高い声が響き渡り、アルトルージュは眉を顰めた。それを不興と判断したのか、声の主はますます小さく縮こまってしまう。
「落ち着きなさい。そんなに畏まる必要はないわ」
「で、でででですがぁ・・・・・・」
「そもそも私とプライミッツ・マーダーは契約の上の対等な関係なのだから。できる事ならば、貴女とも、そのような健全な関係を結びたいと思っているわ」
「こ、光栄至極でありますぅぅぅ」
「……それで、もう一度聞くのだけど。本当に、ほんっとうに、貴女はプライミッツ・マーダーの娘で間違いはないのね?」
 アルトルージュの声はどこか懇願するようなものであった。どちらの答えを望んでいるのか、少しでも彼女との付き合いがあるものから見れば明白であったが、無情にも返ってきた答えは、張子の虎のように首を縦に振り続ける少女の姿であった。
 そう、アルトルージュの目の前に立っている者は、年端もいかぬ少女の姿をしていた。
 アルトルージュ自身、常は十五に満たぬ少女の姿である。しかし目の前の少女はそれよりも明らかに二つ三つは幼かった。無論外見が正確に年齢と比例するような存在ではないとは言え、明らかに父に比べて経験が不足しているのは明白だ。
 自ら光を放っているかのような、艶やかな銀髪だけが、確かに父との血の繋がりを思い起こさせる。しかし垂れがちの瞳はキョロキョロと所在なさげに動かされ、絶対者の風格など皆無。髪の間からぴょこんと飛び出た三角の耳も、ふさふさと柔らかそうな毛並みを誇っている尻尾もぺたんとしおれている。
 まるで生まれたてのチワワが通りすがりのシベリアンハスキーに怯えるかのように。彼女が今アルトルージュに気圧されまくっているのは、火を見るより明らかだった。

 見るからに、へっぽこ。
 これが、あの猛々しくも明晰、絶対の守護者であった彼の、代わり。

 残酷な現実に心が折れそうになりながらも、アルトルージュは必死で自分に言い聞かせる。
 落ち着きなさい。人を見た目で判断するなど愚の骨頂。この姿も、あるいは偽装なのかもしれないじゃない。初対面で味方に偽装してどうするのかとかそういう疑問も在るにはあるけど、それはたぶん考えたら負けだもの。
 纏わりつく自らの弱気を振り払うかのように、アルトルージュは頭を振って少女に問いかけた。
「……まずは名前を聞いておきたいのだけど。いえ、プライミッツ・マーダーと呼んでも構わないのよ? だけど貴女も父と同じ呼ばれ方は何かと不便でしょう?」
 目の前のこれをプライミッツ・マーダーとは呼びたくない。そんな内心を微笑みに覆い隠して問いかけるアルトルージュに、少女は初めて明るい笑顔を見せて。はっきりと答えた。
「プラ子です」
「……は?」
「プラ子と言います、アルトルージュ様。ああ、とっても嬉しいです。父から貰ったこの名前をとても気に入ってるのですが、なかなか呼んでもらえなくて。だけどアルトルージュ様から呼んでもらえるなんてこんな光栄な事はありません! この喜びを胸に誠心誠意……」
 たがが外れたようにしゃべり始めるプラ子を前にして、生まれて初めてアルトルージュは途方にくれた。
 そもそも名前なんか付ける習慣の無いだろうガイアの怪物に、ネーミングセンスを期待する方が間違っているのだろうか。でもプラ子は無いんじゃないかしらプラ子は。
「アルトルージュ様」
 やや彼岸に逝き掛けた意識が、黒騎士の言葉で引き戻される。見ればプラ子もおしゃべりを止めて不思議そうに彼女を見つめていた。
 自分が随分と茫洋としていた事に気づいて、アルトルージュの頬に朱が走る。
 目の前の存在が例え犬耳娘だろうがプラ子と呼ばれていようが、黒の姫としての尊厳を保つ事こそ努めなのだと、自らに気合を入れるかのような咳払い。
「そ……それじゃ聞きたいのだけど。プラ子さん、貴女父親からどういう仕事をするのかはちゃんと教わっているのかしら? 彼の事だからその辺りは教え込んである物だと期待したいのだけれど」
「あ、あの。その事なんですが……」
「どうしたの? その辺りの教育はまだ受けていないのかしら?」
 その言葉にプラ子の表情が翳る。何事か言いかけるが、しかしアルトルージュの目を見るとびくりと震えて顔を伏せてしまう。
 幾度かそれが繰り返され、アルトルージュの我慢が限界水域に近づいてきた時、意を決したように少女が口を開いた。
「やっぱり、人間を殺すのって良くないと思うんですっ!」
「……………………はい?」
 あまりにも想像の斜め上の言葉だった。
 覚悟の壁も想像の囲いも飛び越えられ、アルトルージュは思わず玉座からずり落ちた。
 顔を伏せていたプラ子は、自分がそんな偉業を成し遂げたとは知る良しも無い。滔々と自らの思いを打ち明け始めた。
「た、確かに人間たちは我が物顔でこの星を闊歩してますけど。でも、でも彼らも星に在る以上私たちの仲間なんです。お友達なんです。それを殺すだなんてやっぱり許されない事ですアルトルージュ様! 何のための言葉なんですか! 言葉が通じる以上、話せば、話し合えば絶対に分かり合えるはずなんですよ!」
「あ……貴女、自分が何の権利を持ってるか分かってる?」
「た、確かにわたしは彼らを簡単に殺せちゃいますけど! でも、だからこそこの力は使っちゃいけないって思うんです」 「帰りなさい」
 即答だった。
「な、何故ですか!? 確かに私はまだ未熟者です。ですが、ですが必ず父のようにアルトルージュ様のお役に立てるよう頑張りますから!」
「ひ、人を殺せない人類絶対殺害者なんかどうやって使えって言うのよー!」
「た、たしかに人殺しはダメです! でも、でも未熟な部分は必ず、必ず修行して御期待に沿えるように!」
「そもそも根本からダメダメじゃないのー! シュトラウト!」
「は、何か」
「いい事? ヴラドにも声を掛けて、必ず、絶対、何が何でもプライミッツ・マーダーに首輪つけてここに連れ戻しなさい今すぐに! 見つかるまで帰ってこなくていいわああそれとこの子を丁重に送り返しなさい宅急便で」
「どちらも出来ませぬ」
「何でよ?!」
「プライミッツ・マーダー殿は休暇届を提出しておりませぬ。「居場所が分かったらきゅうかにならないではありませぬか」との事ゆえ」
「それって失踪と何にも変わらないじゃないのよー! じゃあ、この子追い返すのが出来ないのは何でなのよ!?」
「労働者の解雇には、一月前の事前勧告が必要。もしこれに違反すると、この城の労働組合と労働基準監督庁からの勧告が……」
「何処のどなた様よそれは?!」
「お願いしますアルトルージュ様! 働く前からクビだなんて父に顔向けできません! 肩もお揉みしますお茶も汲みます! この肉球使ったマッサージには少し自信ありますから、どうか、どうかお願いしますアルトルージュ様っ!」
「ええいうるさいっ! 何、何なの?! 私が一体何をしたってのっ?! 何が悲しくて肩揉みしか能が無い犬耳娘押し付けられなきゃいけないのよー!」
 玉座に臥せっておいおいと泣き始めるアルトルージュ。
 黒騎士と少女は、主の霍乱にただ顔を見合わせるより他なかった。





「可愛い子には旅をさせろと言うしの。アルトルージュ様は良い主じゃ。プラ子もきっと一人前に育ててくれる事じゃろう」
 何処とも知れぬ山奥の秘湯。
 巨大な白狼が首まで湯に浸かり、目を細めていた。
「いや、それにしてもここは極楽極楽。こりゃ百年といわず二百年三百年くらい浸かっていても罰は当らぬかも知れぬな」
 ガイアの怪物・プライミッツマーダー。
 己の骨休めが、主に多大なる心労をかけていることなど、この時は知る良しもない。
 怒り狂った主が、執念でこの場所にたどり着くのは果たしていつの日か。
 ともあれ、彼は、ひたすらに平和であった。



おしまい



・親から地位を受け継いだ二代目プライミッツ・マーダー。でもへっぽこ。
 そんなネタをSyunsukeさんから聞いた時、神が降りたと思いました。気が付いたらこんな物をせっせこ書いていたり。
 勢いだけで書いたんでなにであれですが、笑って許していただければ幸いです。