黒姫危機一髪




 プラ子がアルトルージュの城に来てより一週間。
 彼女の登場は、概ねアルトルージュの配下たちには歓迎を持って受け入れられていた。
 プライミッツ・マーダーは尊敬と畏怖を持って彼らの上に座していたが、やはり四足歩行生物では色気があるとは言い難い。ましてその頭を撫でようにも、手が届かないくらい大きい。「お手」などと冗談にも言おうものなら、胃袋の中に納まってしまうことだろう。
 加えてアルトルージュの城は非常に男性比率が高い。主の身の回りを世話する数人のメイドと千年アルトルージュに仕えてきたメイド長の他は、殆ど男である。環境的に不健全この上ない。
 そもそも男と言う者は、例え人間であろうが死徒であろうが他の『魔』であろうが、身の回りに女の子が増えて嫌がる者など、基本的にいないものだ。ましてそれが保護欲を刺激するような少女であれば尚更。
 ゆえに。嫌々ながらという表情で、アルトルージュが彼らにプラ子を紹介した瞬間、城は揺れた。歓声で。
「そう、皆にも歓迎してもらえたみたいで何よりね」
 アルトルージュは済んだ笑顔を浮かべる。再び城は揺れた。恐怖で。
「いい、タイロン? きっちりしっかり万事怠りなく、この子に戦い方を仕込んでやって頂戴。手加減は必要ないわ。プライミッツ・マーダーの娘なんだから能力はある筈よ」
「はっ!」
「よ、よろしくお願いします。精一杯がんばりますのでどうかっ!」
 名を呼ばれた親衛隊長は、緊張の面持ちで敬礼を返した。
 何せ最初に歓声をあげてしまったのは自分だ。迂闊な態度を見せたら殺す。そう主の顔には書いてある。
 幸か不幸か、プラ子からはアルトルージュの顔が見えない。ふるふると尻尾を震わせて、すがりつくような瞳でタイロンを見つめている。
 思わず自分の愛娘を思い出した彼は、緩みかけた頬を決死の覚悟で堪えた。
 こうして、幸いにも殉職者が出る事なく、プラ子のお披露目は無事に終了したのだった。





 さて。アルトルージュ・ブリュンスタッドの毎日は、非常に多忙である。
 死徒の領袖として数多の配下を従える彼女には、日々膨大な情報や陳情が寄せられる。それを的確に処理して、間を取り持ち、相手に納得させる。繰り返される変化の無い毎日に憂鬱になる暇もなく、処理すべき書類は積み重なっていく。
 トップの仕事とは、部下の質問に答えて決断する事だ――どこかで聞いた言葉が彼女の脳裏を掠めて、その正しさに嘆息した。
「出来るものなら、決断したいわよね、本当に……」
 他に誰もいない執務室に、彼女の疲れた声が響き渡った。視線は机の片隅に向けられている。A4サイズの報告書が収まる白い紙箱に、うずたかく積みあがる紙の山。箱の端には流麗な文字で、短く何事か綴られたラベルが付けられている。そこにはこう書かれていた。
 プラ子箱、と。
 それに手を伸ばして、アルトルージュは一番上の書類を取り上げた。
 ヨレヨレの書類に綴られた文字は、所々滲んでいる。ひどく不機嫌な表情で、彼女は書類を読み進めていった。
"私には無理です。配置転換をお願いします"
 それはあの実直な親衛隊長タイロンの陳情書であった。
"何を教えてもプラ子殿は身につけてくれません。いえ、それだけならば私の力不足です。泣き言など申しませぬ。ですが、ほかの者の訓練すらも悲しそうな瞳で見つめて「タイロンさん! こんな野蛮な事は止めてくださいっ! 戦いなんてよくないことですっ!」と説いてまわるのです。いえそれもまだ我慢は出来ましょう。私とて年を重ねてまいりました。こちらも話し合いを持って彼女を説得する努力をいたします。ですが、ですが……そうしてプラ子殿と話し合いの機会を持つ度に……"
 その後の文字は、インクがひどく滲んでいて、アルトルージュにはよく読み取れなかった。ただ、どうにか読める単語は残っていたので彼女はそれらを拾い出していく。

 "隊長はロリコン""妻と喧嘩""別居""慰謝料""親権"

「…………」
 アルトルージュはそっと、陳情書をプラ子箱に戻した。
 痛むこめかみを押さえて、彼女はがっくりと項垂れた。
 由々しき事態だ。間違いない。
 プラ子がこの城に着てから、明らかに流れがおかしくなっている。彼女の巻き起こした問題は、このプラ子箱に積みあがった書類の山を見れば明白だ。
 もちろん、彼女がすべての面において無能であったわけではない。いやそれならどれだけ良かったかと彼女は思う。ためらわず首を切れたのだから。だが少女はいくつかの分野では素晴らしい業績を収めて見せたのだ。

"プラ子殿の剪定で、植木が見違えるようになりました"
"プラ子殿のベッドメイクは絶品です、お客様にも喜ばれます"
"プラ子殿の入れるお茶が素晴らしすぎて、今までの仕事に自信をもてなくなりました。実家に帰ります"

 こうした分野に関して、プラ子の才能はずば抜けていた。
 いまやメイドたちの間で、プラ子はちょっとした英雄扱いである。
「お父様がとても厳しかったんです。出来ることは自分でやれって。そのお陰です。だからそんな、褒められても困ります」
 誰かに褒められるたび、そう照れ笑いを浮かべるプラ子。
 なるほど、その辺りは父親の教育の成果なのかもしれない。でも向けどころ間違っている、とアルトルージュは叫びだしたかった。
「……なんで地上最強の生き物の代わりが、優秀なメイド娘なのよ……」
 彼の抜けた穴はあまりにも大きい。しかもそれを埋められる目処が全く立たない上に、さらに穴は大きくなってしまっている。嫌な方向に。
 もういっそ彼女をメイドにジョブチェンジさせるべきなのだろうか。適材適所が人材登用の肝だろうし。
 熱くなった目頭を押さえたアルトルージュが、そんな弱気な考えに取り付かれた時、ノックの音が響き渡った。
「……どうぞ、入りなさい」
「し、失礼します……」
 投げやりに促すと、ゆっくりとドアが開かれる。聞こえてきた声は件の問題娘のもの。
 一度とっくりと話し合いをしなければなるまい。そう思って呼び出していた事を彼女は思い出した。
 いいだろう、今日こそプラ子に超越種の自覚を取り戻させてみせる。
 胸に固めたアルトルージュの決意は、プラ子の姿を見た瞬間吹っ飛んだ。
「よ……」
 くきたわね? と、その言葉すら最後まで出てこない。
 少女の腕を包む、白地の長手袋は問題ない。いつも通りだった。
 白のニーソックスも問題ない。これもいつも通りだ。ぱたぱたと振られるしっぽも、ぺたんと垂れ下がった犬耳も、潤んだ垂れ目も普段のプラ子と変わりない。
 ならこれは、自分の目の錯覚なのだろうか。
 呆けた顔で見つめるアルトルージュの視線の先、今日のプラ子の姿は。

 ――白のスクール水着だった。

 ご丁寧に胸には名札が縫い付けられ、太いサインペンで「ぷらこ」と書いてある。芸が細かい。いや感心するところはそこじゃないんじゃないかと混乱する頭でアルトルージュは視線を彷徨わせる。
「あの、どうかしましたかアルトルージュ様?」
 とてとてと心配そうな足取りで、プラ子がアルトルージュの側に寄ってくる。その顔は普段と変わりなく、酔っ払ったりあやしげな術を掛けられたりという様子も見て取れなかった。
「いえ、何でもないわ。何でもない……」
 自分に言い聞かせるように呟いたアルトルージュは、深呼吸を二度三度。
 あれは目の錯覚に違いない。ここは自分の城なのだ。そんなとんちきな格好をするような者などいるわけがない。
 目の錯覚だと言い聞かせて、彼女は再びプラ子の姿を確認する。

 勿論、変わっていなかった。

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画 ASHさん


「何なのよー、それはっ!?」
「きゃあっ!」
 怒声一発、執務卓を盛大にひっくり返したアルトルージュはプラ子に飛び掛った。悲鳴を上げる少女に構う事なく肩を引っつかむと、
「ねえプラ子それは何なのかしら新手の冗談なのかしら。ええ怒らないわ怒らないから言ってご覧なさい? それは一体何の真似?」
「あ、あああああああアルトルージュ様、一体どうされたんですかぁぁぁっ!」
「どうされたもこうされたも、こっちは貴女のことで朝から晩まで頭を悩ませてるのに、その当の本人がそんな格好していたらさすがに我慢も限界だと思わない? さあ言ってご覧なさいそのスクール水着は何処からどうやって手に入れてどんなつもりで着ているのかさあっ!」
「あ、ああああああああの……す、スクールミズギって、この事でしょうかぁぁっ?!」
 がくがくと揺さぶられながらもプラ子は自分の着ているスクール水着の胸の辺りを摘み上げる。彼女の体がもう少し成熟していれば些か艶のある行動だったかもしれない。
 しかしプラ子のその口調に、アルトルージュは少しだけ冷静さを取り戻した。揺さぶる腕を止めて、怪訝そうに少女の顔を見返す。
「……プラ子。ひょっとして、貴女それ何なのか知らないの?」
「ええっと。つい先ほどスヴェルテン様から頂いたんですこれ。「きっと君に似合うから」と言われて、確かに着てみるととても動き易いですし、本当にスヴェルテン様はお優しい方ですね」
「……ヴラド……」
 純真な瞳で嬉しそうに語る少女を前に、アルトルージュはがっくりとうなだれた。
 あの変態ショタコンホモ吸血鬼めが。ロリータまでも網羅するというつもりなのかしら。
 一度ガサ入れして、奴ごと殺菌消毒せねばなるまいと決意を固めたアルトルージュだったが、問題は目の前の物の方が重要だと思い直す。
 ガイアの守護者見習いが自分の城をスクール水着姿で飛び回っているというのは、絶対に間違っている。男どもは喜ぶのかもしれないが、それはそれでだめだ。
 再びプラ子の肩に手を置いた彼女は、極上の笑顔を作ると、
「脱ぎなさい」
 欠片も容赦がなかった。
「は、はいぃぃぃぃぃっ?! あ、アルトルージュ様?!」
「いい? 貴女はヴラドにからかわれたの。それは着て出歩くような服じゃないから、直ぐ脱ぎなさい」
「え、えーっと、ですがこれ動き易いですし……」
「いいから、脱ぎなさい」
「それより何より、アルトルージュ様の目の前で着替えるだなんて、そんな。着替えも今持ってませんし……」
 羞恥に頬を染めるプラ子。しかしその姿も、アルトルージュを止める効果はなかった。
「いいから! 脱・ぎ・な・さ・い! 着替えくらいは……」
 段々声に押さえが効かなくなっている事に、アルトルージュは気付かない。
 血走った目でギリギリと、プラ子の肩を抱く手にも力が篭っていく。
 そこに、ひどく無機質なノックの音が響き渡った。
「アルトルージュ様、失礼いたします。ドアが開いておりましたゆえ……おや」
「しゅ、シュトラウト?」
「シュトラウト様?!」
 続いて入ってきた黒ずくめの巨漢は、部屋の光景に眉を顰める。
 ひっくり返った黒檀のテーブル。散乱する書類。
 その中で、己の主が少女の肩を抱いて迫っている。
 どこか血走った瞳と笑顔で、少女に迫る主。抱かれた少女も頬を紅く染めている。
 そして、先ほどから部屋の外まで響いていた、「脱ぎなさい」との言葉――
 無言で主を見つめるシュトラウト。
 シュトラウトの視線と、アルトルージュの視点が交錯する。
 しかしそれも一瞬。肩をすくめたシュトラウトは、そのままひっくり返った机を戻して、手に持っていた書類を並べていく。
「待って、待ちなさいシュトラウト。貴方何かとんでもない誤解を……」
「あ、アルトルージュ様。やっぱりわたし、こんな所で脱ぐのは、恥ずかしいですぅ……」
「事態をややこしくしないで犬耳娘ー!」
「アルトルージュ様。激務ゆえ、たまの息抜きを求めるお気持ちは分かります。ですがドアはお閉めになられたほうがよろしいかと」
「ちょっと誤解よシュトラウト! 私はそんな趣味は……」
 しかし主の弁明に背を向けて、シュトラウトは足早に歩み去っていく。
「気がお済になられましたら、またお呼び下さいませ。今日中に片付けておかなければいけない案件が何件かありますので」
「いや、ちょっと! 待って! 行かないで話を聞きなさいシュトラウト!」
「それでは、後ほど」
 ばたん、と。
 重々しい音とともに扉が閉ざされた。
 伸ばした手の行き場を失い、凍りつくアルトルージュ。
「あ、アルトルージュ様。アルトルージュ様がそういう御趣味だというのは……やっぱり恥ずかしいですが、でもアルトルージュ様がお求めになるのでしたら、わたし、わたし……誠心誠意頑張りますから!」
 腕の中では、やはりこちらも誤解している少女が、身を捩らせながら顔を真っ赤にしている。
「わ、私が一体何をしたって言うの……ねえ……」
 悲痛なアルトルージュの言葉に応える声は、無論ある筈もなかった。



おしまい。



・MARは黒姫様の愛情溢れる生活を応援しています。ええ。