−天下泰平、すべて世は事もなし−







<逆転勝利>



 決定的な時にポカをする。それが遠坂の血筋だなんて言ってたけど、まさかこんな時にまで発揮しなくても良いんじゃないかと。
 それとも、それを発揮してくれるくらい「決定的な事」だと言うのを喜べば良いんだろうか。
「本当にごめん、士郎!」
 目の前で手を合わせて頭を下げる彼女の姿は、普段の優等生然とした雰囲気の欠片も無いけれど。こういう、どこかあけすけな所こそが彼女の魅力だと言う事を既に知らされてしまってる。
 こんな仕草の一つ一つに、衛宮士郎は参らされてしまってるのだ。
 だから、それが例えどんなに辛くても――言うしかないじゃないか。
「気にするなって、遠坂」
 そう言って俺は、にこにこ笑う店員にそっと諭吉さんを差し出した。
 まぁこの位は男の甲斐性というものだと思う。思うけれども。
 セイバーも家に置いてきた、珍しく二人きりのデートで。
 普段は入る事など無い洒落たレストランに入って。
 いざ会計という時に財布を忘れた事に気付かなくても良いんじゃないかと。
 せめて食べる前、というか店に入る前に気付いてもらいたかった気はする。



 結局、残りの予定もそこそこに、家路につく事になってしまった。
 俺としては毒くらわば皿までという奴で、最後まで奢り続けでデートを続けても良かったんだけど。彼女の中ではそれはどうしても許せない事だったらしい。
「多分財布は……士郎の家よね。着いたら、すぐお金返すから」
「良いよ、あれくらいは」
「ダメ。士郎が良くても私がいやなんだから!」
 きっぱりと言う様は本当に遠坂らしかったけど、頬が赤いし、あれは半分以上照れ隠しだと思う。
 そう言う顔を見れるのは新鮮だし、ちょっと嬉しくはあるけど。俺だって今更お金を受け取るのも気が引ける。でも、意地でも受け取らせようとするんだろうなぁ。遠坂だし。
 受け取らなければ受け取らないできっと機嫌悪くしてしまうだろうし。
 困った。どうしたもんだろうか。
 ぽりぽりと頬を掻いた俺の頭に、素敵なアイデアがひらめいた。
「だったらさ……今から遠坂の家に行かないか?」
「え? まぁ、確かにウチにもお金はあるけど」
「そうじゃなくて。物で返して欲しいなぁって」
「……どう言う事よ?」
 訝しげに眉をひそめる彼女に向かって、取っておきの笑顔で返してやる。
「遠坂の手料理が食いたい」
「…………」
「ウチの食卓でわいわい囲むのも、洒落たお店で食べるのも良いけど。たまには二人っきりで、誰にも邪魔されずに遠坂と居たい」
 なるたけポーカーフェイスで言ったつもりだけど。
 ダメだ。頬が赤い。心臓もバクバクしてる。
 でもそれは俺だけじゃなかった。
 遠坂も口元に手を当てて、何も言えずに固まってしまってる。隠しきれない頬が真赤に染まってるのが良く見えた。
 俺が小細工何にも無しのストレートを投げこんだ事がよっぽど意外だったんだろう、普段の余裕綽々の態度もなりを潜めて、ちらりちらりと視線が俺と地面を行き来してる。
 照れてる。どうしようもなく照れているぞ、このあかいあくまめ。
 心の中で最大級にガッツポーズ。苦節数ヶ月。今衛宮士郎は初めて遠坂に勝利を収めたのだ!
 やったぞ俺! 凄いぞ俺!
 大体、いつもいつも遠坂には良いようにからかわれてるんだ。たまにはこちらから攻撃仕掛けてみたってバチは当たらないだろう。それに言ってる事自体は偽りない本心なんだから。
 そんな勝利の味を噛み締めた一瞬。
「……たし、も」
 ――いきなり、抱きつかれた。
 一応言っておくとここは住宅街で。昼間で時折人通りはある訳で。
 そんな所でこんな事されるなんて、予想の斜め上だったわけで。
 赤くなりかけだった俺の顔はもはやゆでだこのオーバーヒート寸前で。
「ちょ……ちょぉ遠坂一体何を?!」
「……私も、よ、士郎!」
「な……何、が?」
「私も! 士郎と二人っきりでいたいと思ってたの!」
 ……噛み締めた勝利は錯覚だった。
 勝てるわけがない。
 そんな顔を真赤にした上目遣いで見上げられたら、抵抗出来る男なんか居る訳無いじゃないか。
 周りの通行人の冷やかしの視線が時折突き刺さるけど、もうどうでもいい。
 俺にしがみつく女の子は、あかいあくまで師匠で。
 そして、何よりも大事な宝物なんだから。
 誰にも触れさせないように守るのだって、きっと当然の事なのだ。
 だから俺は腕を伸ばして、きゅっと強くその体を抱きしめ返した。





「……確かに、ゆっくりしてきてくださいとは言いました」
 ぼ〜ん、ぼ〜ん、ぼ〜ん、ぼ〜ん、ぼ〜ん、ぼ〜ん、ぼ〜ん。
 衛宮家の壁掛け時計が、七回打ち鳴らされる。
 差しこむ朝日が渡り廊下を温かく包んでいる。今日もさぞかし良い天気であろう。
 しかしそんな事は、ただ一人居間に陣取る金髪の少女にはいささかの慰めにもなる事実ではなかった。
「あの二人は微笑ましい。周りも幸せになる、素敵な組合せだ」
 くぅ〜、ぎゅるるる。
 部屋に響き渡る間の抜けた音。普段なら赤面して必死で誤魔化すであろう腹の音も、聞かせる相手がいなければ鳴らしたい放題であった。
「しかし外泊するのならば、居残る者に対して最低限の礼儀は示すべきだろうに」
 心なしか、彼女の頬がこけている。
 対照的に、その目は爛々と輝いていた。やる気、いやむしろ殺る気に満ちた光。
「何も食べ物をおいていかないと言う事はつまりはそういう事なんですねシロウ」
 ぐぅ、ぐぅぐぅぎゅるるるがるるるぁ!
 途中からうなり声すら混じり始めている。
「鍋ですか? ハンバーグですかブリの照り焼きですか? 二人して何食べてやがりますかシロウ」
 その瞳は、どこかあらぬ方向を見つめている。口元から垂れているよだれを拭おうともしない辺り、かなりマジであった。
 ここにいるのは一匹の野生、血に飢えた獣。
 ぶっちゃけどうしようもないくらいに飢えている。
 飢えきっているらいおん。
 英雄王もこの世全ての悪も、問題にならないくらい危険な生物がここに鎮座ましましていた。
「おはよー、士郎! ご飯食べに……あら?」
 ガラガラと勢い良く開け放たれた襖。飛びこんできたのは、家主に教師の適性を疑われている英語教師。
「どうしたのセイバーちゃん。士郎は?」
 その言葉が、撃鉄。
「……タイガ、行きましょう」
 ふらりと、まるで幽鬼のように立ち上がったセイバーは、正に鬼気迫る空気を身に纏っていた。
「ちょ、セイバーちゃん! 行くってどこによ」
「敵は遠坂邸です。私にはわかります。きっとたらふく食べてやがります。兵糧攻めなど下策中の下策だと言う事を、シロウとリンに思い知らせてやりましょう」
 セイバーはサーヴァントとマスターの繋がりを如何なく発揮して、怨敵の所在を高らかに告げた。
 もはや主従関係など忘却の彼方。食い物の恨みは三代祟る。腹ぺこらいおんの恨み思い知れ。
 がおー、と鬨の声と思われる雄叫びと共に腕を突き上げるセイバー。
「……セイバーちゃん落ちついて落ちついて。女の子がそんな叫び声ははしたないわよ!」
 普段の自分を棚の最上段に放り投げて宥めすかす藤ねぇだったが。飢えた獣に言葉が通じるわけもない。
「離しなさい、いやむしろ一緒に来なさいタイガ! あの二人に、せめて一太刀飢えて死んでいった同胞たちの怒りの一撃を!」
「……ねぇ、二人って。士郎と遠坂さん?」
「他に誰がいようか! いざ、いざ我が怒りの……」
「……どこに居るって?」
「遠坂邸ですタイガ! もはや一刻も猶予もならないんです主に私のお腹が!」
「士郎と、遠坂さんが、昨日から遠坂さんの家に……」
 事実をゆっくりと噛み締める藤ねぇ。
 そして、人がトラと化した。
 うがーと叫び声を上げて拳を振り上げるタイガー。もう片方の手には何時の間にか虎竹刀。
「なに高校生が不純で異性で交遊でお泊りなんかしてるのよー! お姉さん許しませんー!」
「サァ殺リマショウ、タイガ」
「エエ、お姉ちゃんが怒ったら怖いと言う事、しっかり思い知らせてあげないとねふふふふふ」
 飢えた獅子と怒れる虎、二匹のケモノが手に手を取り合う。
 その視線の先には遠坂邸。




 ――冬木市の地図から一つの館が姿を消す時は、すぐ側まで迫っているようだった。












<君の名を、呼ぶ。>




 どこか顔がむず痒いような感覚がして、ゆっくりと目を開けた。
 寝起きのにごった視界と思考が段々クリアになってきて。焦点が定まった俺の目の前にあったのは、少し不機嫌な遠坂の顔だった。
 俺がうたた寝する前は俺の体にのしかかるように横になっていたのに、いつの間にか身を起こしてじっと見つめていたらしい。小ぶりだけど形の良い乳房が憚る事無く目に飛び込んできて、思わず目のやり場に困ってしまう。
 しかしそうすると、俺はずっと寝顔を観察されていたんだろうか。うぁ、なんか凄く恥ずかしいな。
「どうした、遠坂」
 普段に比べても随分ぶっきらぼうな聞き方になってしまった気がする。
 でも遠坂は何にも言わないで、ただじぃっと俺の顔を見つめてるだけ。
「遠坂?」
「……それよ」
「えっ?」
「何で士郎は私の事「遠坂」って呼ぶの?」
 不意に真顔でそんな事を言われて、思わず言葉に詰まってしまった。
 急にそんな事を、何でといわれても困る。
「だって遠坂は遠坂じゃないか。今更実は違う名前でしたなんて言われても困るぞ、俺」
「もう、そうじゃなくて! 私はあなたの事「士郎」って、名前で呼んでるのに、何であなたは苗字で呼ぶのよ?」
 ああ、そういう事か。
 遠坂の事を「遠坂」と呼んでるのは、あこがれてた頃からの名残と言うか何というか。そのままそう言う風に呼ぶようになってしまったんだろう。
 それに、一応俺の魔術の先生でもある相手の所を下の名前で呼ぶというのは、どこか違和感があるわけで。
 いや、分かってる。
 そんなのは単なる言い訳でしかない。
 要は照れくさいのだ。面と向かって遠坂の事を「凛」と呼ぶ事が。



 実の所、遠坂とこういう風に肌を合わせるようになってもう随分と経っている。

「あくまでセイバー現界の為の魔力供給」

 最初の内はそんな言い訳めいた理由でおっかなびっくりだったけれど。いつの間にかそんな事は頭から抜け落ちてしまっていた。
 もちろんセイバーの事は大事だけど。彼女のためとか、そういう事じゃなくて。
 遠坂が欲しい。
 遠坂が好きだ。
 遠坂の事を、独り占めしたい。
 そんな狂おしいほどの欲望のまま、俺は遠坂とセックスしてる。
 そして、多分自惚れじゃなければ。遠坂もそう言う風に思ってくれてるはずだ。でなければ、俺の寝顔なんかをずっと眺めてくれてたりなんかしないだろうし。
 ……まぁ結局のところ、どうしようもないくらい衛宮士郎は遠坂凛に参っていて。
 そう言う相手を名前で呼ぶ事がどうにも照れくさかったのだ。
「大体、私が「衛宮くん」って呼ぶと凄くイヤそうな顔するじゃない。ソレってなんか不公平じゃない?」
「う……それは」
 だって遠坂がそう言う風に呼ぶ時は、大概彼女が腹を立てている時で。イヤな顔というよりは、小動物の生存本能に近い反応だと思う。恨むなら自分のあかいあくまっぷりを恨んで欲しい所なんだけど。
「だから、あなたも私の事を名前で呼んでちょうだい」
 でも俺の嘆きなど彼女に伝わる筈もなく。腰に手を当てきっぱりとそう宣言する遠坂に、苦笑混じりに頷いた。
 というか遠坂。少しは恥らえ。その、何て言うか色々見えてるから。
「分かったよ……えと……凛」
 頬を掻きながら俺の口から滑り出た彼女の名前。
 言いなれてないせいだろうか。どこかその二文字は、借り物っぽい違和感があった。
 自分の口から出たんじゃないような、不思議な感覚。
「え……と、士郎……」
 何故だろうか。言いにくそうにそう呟いた凛の顔には、微妙な後悔の顔が浮かんでいた。
「……どうかしたか?」
「ううん、何でもないわ。気にしないで」
「気にしないで、って……お前そんな顔で言われたって」
 そんな、泣きそうな顔で気にしないでと言われても無理な相談だ。
 でも、何で泣きそうになるんだ? ただ俺は彼女の事を名前で読んだ、だけ……
 ……そうか。そう言う事か。
 俺の頭に赤い背中が思い浮かんだ。
 俺が決して負けてはいけない相手。俺が必ず追いぬかさねばならない相手。そう言えば、あいつは遠坂のところを「凛」って呼んでいたっけ。
 その事に気付いた瞬間、唐突に、どうしようもない怒りが胸に沸いてきた。
 もちろん遠坂に、じゃない。そんな事を彼女に思い出させるような、ふがいない自分自身にどうしようもなく腹が立ってしまった。
 俺は起き上がって、じっと彼女の顔を見つめる。目の前の、憂いと後悔が入り混じった顔を頭に焼きつけた。
 もう二度と、こんな事でこんな表情はさせないために。
「もう、遠坂って呼ばないから」
「え?」
「いつでも、どこでも、誰の前でも。俺はお前の事を凛って呼ぶ。凛って呼べるのは俺だけになるように」
 あいつには負けない。
 あいつが凛の事を大事にしたのなら、俺はそれ以上に大事にしてやる
 絶対に凛の事を離してなんかやらない。誰に何と言われようと、凛って呼べる男は俺だけだ。
「本当に?」
「ああ。絶対だ。もう俺以外の声を思い出させない」
「……絶対よ? 私にそう思わせてね? 私の事を凛って呼べるのはあなただけだって」
 凛の顔がほころんで、俺の胸に顔を埋めてきた。ふわふわとした髪の毛の匂いが俺の鼻を擽ってくる。
 俺も腕を伸ばして、彼女の頭をそっと撫でた。柔らかい優しい手触りは、彼女が女の子だと言う事をどうしようもなく意識させてくれる。
 表情は見えないけど、見なくても分かる。
 きっと耳まで真赤で。でもどうしようもなく可愛らしい。
 これから俺が守っていく顔をしてるんだ。





 







<トモダチのトモダチ>



 真の友であれば、その危機は見過ごすべきではない。
 例え本人が危機だと思っていなくても、そこから救い上げるのが友の努めである。
 そう思い、何度も何度も何度も何度も忠告を繰り返してきたと言うのに。
「すまん、一成。今日は都合が悪……」
「そう言う訳だからごめんなさいね、生徒会長殿」
 今日も今日とて衛宮の奴はあの女狐に連れて行かれてしまった。
 ……いずれ仏門に入る者として、あの化生を祓う事の出来ぬ己の不明を恥じるばかりだ。

 

 衛宮は良い奴である。
 毎日教員方の重い腰と戦いを要求される俺の無茶な頼みを、文句一つ言わずに引き受けてくれる稀有な男だ。
 勿論そう言う即物的な意味で『良い奴』と言うのではない。もっと根本の所、彼は捨私の精神で組み上げられているのではないか、そう思わせるくらいに自分より他人を大切にする男なのだ。
 もっとも、これも良し悪しである。利用しようとする輩からすればこれほど都合の良い相手もいないだろう。
 俺の目の届く範囲であればそう言う輩から遠ざけておく事も出来るのだが、四六時中くっついているわけにも行くまい。結局今までも、知らない所で慎二を初めとする連中に良いように使われていたようである。
 さて、そんな衛宮にも最近彼女が出来た。
 常ならば喜ぶべき事だろう。互いに慈しみ合い思いあい、衛宮を支えてやれる者が現われたというのは、友人としても喜ばしい。
 しかし何ゆえにそれが、あの遠坂凛でなければならぬのだろうか。
 我々の回りの人間はみな騙されているが、あれはとんでもない女狐だ。その事は口を酸っぱくするほど彼にも伝えたというのに。
「いや、本当はとても可愛い奴だそ、凛は」
 などと照れ笑いを浮かべながら返されれば、こちらとてはニの句もつげぬ。
 何をどうすればそこまで洗脳できたと言うのか。遠坂凛の底知れぬ本性に慄然とさせられる。
 やはりあれは化生が人間の振りをしているだけで、一皮向けば狐の耳としっぽがぴょこりと飛び出すに違いない。
「おーい、生徒会長」
 やはりここは一度うちの寺に来てもらってだな、一昼夜懇々と語り明かすべきであろうか。
「おーい、聞こえてますかぁ?」
 とにもかくにも、遠坂凛とだけはつき合わせてはならぬ。今は恨まれても良い。それが間違いなく衛宮のためにな……
「聞こえてないのかな? おーい、柳洞! 返事しろ〜!」
「うぁぁあぁ?!」
 突如耳元で響き渡った大音声に、思わず飛び上がってしまった。
 慌ててきょろきょろと辺りを見回した俺の目に、にやにやと悪戯小僧の笑顔を浮かべた女生徒の顔が飛びこんできた。艶やかな栗色の髪を肩口で切りそろえている彼女の顔は、無論知った顔だ。生徒会長としての責務柄、各部の部長とは顔を合わせる機会も多い。
 美綴綾子。弓道部の部長である。今日は部活が休みであるのか、制服姿で腰に手を当て今だ笑いを浮かべている。
 ……廊下で大声で呼びかけられた挙句に笑われる程深い付き合いでもないのだが。
 それでも、こちらも大声で叫び返した所で益は無い。深呼吸一つして気持ちを落ちつけた。
「美綴か。失礼した、ちと考え事をしておってな。気付くのに遅れてしまった。許せ」
「あー、いいっていいって。あたしもちょっと聞きたい事があっただけだし」
「俺にわかる事であれば構わんが。何だ?」
「あのさ、遠坂のこと見なかった?」
 その言葉に思わず吹き出しそうになった。
 いや、丁度あの女狐めの事を考えていた時にその名前を出されるとは思いもしなかった。確かにこの美綴は遠坂とも親交があるようだから、名前が出てくる事は不思議ではあるまいが、いささか時が悪い。
「どしたの? 何か目を丸くしちゃって」
「……いや何でもない。こちらの話だ」
「ふぅん、良いけど。で、遠坂の居場所ってわかったりする?」
「あいつならば衛宮と既に帰った後だ。さすがに今から追いかけても追いつくまいよ」
「そうか、今日も衛宮と一緒かぁ。それにしても、変われば変わるもんだねぇ」
 そう言って、腕組しながら美綴は意地の悪い笑みを顔に浮かべている。あまり女性らしからぬ態度だとは思うが、それが粗野に見えぬ所が彼女の美点なのだろう。
「うん、居ないんじゃしょうがない。それじゃ邪魔したね、生徒会長」
 腕を解き、俺に手を振って踵を返そうとする美綴。その姿でふと思いつく所があった。
 敵を倒すには敵の事をより深く知らねばなるまい。機会は逃すべきでは無いだろう。
 気がつけば。
「美綴。もし時間があるなら少し話をせぬか」
 そんな言葉が俺の口をついて出ていた。




「あー、無理無理。悪い事は言わない。諦めときなって」
 お茶を一口啜った美綴は、開口一番そう言い切りおった。
 閑散とした生徒会室にいるのは俺と美綴だけ。あの女狐対策会議をあまり人気の多い所でやるわけにもいかず、結局普段から居ついている所に御足労願う事になった。生徒会長自ら校則を破るのもどうかとは思うが、折角来てくれた客人に茶の一杯も出さぬようでは仁義にもとるというものだろう。
 しかし美味そうにお茶を飲んでくれたのは嬉しいが、言われた内容は少しばかり納得しかねる。
「何ゆえにそうはっきり言い切るかね、美綴」
「うーん、女の勘?」
 からからと笑った彼女の顔は、やはりというか何と言うか男前であった。後輩の女性徒に人気があるという話も頷ける。
「まぁ、それは冗談としてもさ。猫が一度自分の縄張りに入れた物を手放すと思う?」
 美綴の話は今一つ要領を得ない。疑問符を顔に浮かべた俺に向かって、美綴は指を立てて、
「遠坂ってさ、友達いないじゃん」
「は?」
 いきなり何を言い出すのだろうか。あの本性を覆い隠した彼女の周りにはいつも人が集まっており、俺としては「騙されるな皆の衆!」と叫んで回りたい程だと言うのに。
「とてもそうは思えぬが。大体君も彼女の友人であろうに」
「ははっ、あたしの場合は友達というよりは、強敵と書いてトモと読む、という間柄なんだけどね。だけどあたしは例外中の例外。遠坂には友達っていないんだよ」
 気付かなかったんだ。そんな美綴の言葉が妙に耳に残った。
 言われてみれば思い当たる節はあった。
 遠坂は人当たりが良い。彼女は学校の皆から憧れられる存在。しかし彼女が誰か特定の者と親しくしている様は確かに見た事がなかった。
「……確かに」
「アレはね、猫の縄張りと一緒なんだ。決して自らの決めた境界線より内に相手を踏みこませない。どれだけ愛想良く振舞っても、決して彼女の本心はわからない」
 美綴はすっと空になった湯呑茶碗を差し出して来る。俺に注げと言う事なのだろうか。色々と思う事はあるが話の腰を折るわけにもいくまい。
「ん、ありがと……んでも、そんな縄張りに唯一入る事を許可したのが衛宮って訳。ほんと、どういう心境の変化なんだろうね」
「ふむ……興味深い話ではあるが、それは彼女の問題であろう。重要なのは、衛宮をあの女狐めから取り戻す術なのだ」
 遠坂の人と為りに関して興味深い事が知れたのは僥倖だが、彼女がとんでもない食わせ物だと言う評価はいささかも変えるつもりはない。ましてそんな相手の縄張りになど、衛宮を置くわけにはいかないのだ。
「だからそれが無理なんだって。無理矢理取り上げようとしたら、遠坂は死に物狂いで抵抗するだろうしね。それこそ、殺されちゃうかもしれない」
   いささか物騒な事を笑顔で言ってのける辺り、この美綴というのもやはり相当の者だ。
「それにね。何より衛宮がその事を嫌がってないだろう? あんな楽しそうな二人を引き剥がすだなんてとてもとても」
「だから、それはあの女狐めがいたいけな衛宮をだまくらかしてだな……」
「柳洞」
 美綴のその一言で、俺の口が思わず止まってしまう。それは甲高くもなければ決して大きくもない声だと言うのに、不思議と力が篭っていた。親父殿の説法のように、真に相手に物を伝えたい時の声だ。
 気付けば彼女の顔もまた、随分と真面目なものに変わっていた。
「分かってるんだろう? 自分も騙せない嘘なんかつかなくてもいいよ」
「……美綴、何が言いたいのか良く分からんのだが」
「じゃあ分かりやすく言うとね。柳洞は衛宮の相手が遠坂だから気に入らないんじゃない。要は大事な友達に自分よりも大事なものが出来たのが、気に食わないだけなんだよ」
「なっ!」
 思わず声が荒くなってしまった。しかしいくらなんでも今の美綴の言葉は聞き捨てならなかった。
 衛宮の幸せが気に食わないなどと、そんな筈がある訳がない。衛宮に彼女が出来たのはとても喜ばしい事だ。
「そんな訳がなかろう! ただその相手が遠坂だというのが問題なだけだ!」
「違わないね。仮に衛宮があたしと付き合ったとしたって、柳洞はきっと文句を言うさ。ひょっとしたら遠坂相手に相談するかもしれない」
 ばかな、それこそまさかである。よりにもよって俺があの女狐相手に相談だと?!
 するわけがない。そう言い切るのは容易かった筈なのに。なぜかその言葉は俺の口をついて出てはくれなかった。
 出ないと言う事は、美綴の言っている事は正しいと言う事なのだろうか。
「やっぱり思い当たる節があるだろう?」
 そんな俺の姿を美綴は、別に笑うでもなく憐れむでもなく、ただ静かに見つめてきていた。
「男でも女でも、こういう場合「抜け駆けしたな!」とかってからかったりするのが普通なんだけど、柳洞の場合はそれとはちょっと違うんだろうね。多分、好きな子を横から取られた気持ちに近いんだと思うよ」
 何気なく言われたその一言に、思わず椅子から転げ落ちそうになった。
 真顔で何を言いだすのだこの女は。
「……ちょっと待て美綴、俺は男だ。なぜに衛宮の事を好きだのと……」
「嫌いじゃないだろう? あいつは良い奴だし、別に恋愛感情までとは言わないけれど、そういう気持ちが無いとは思えないけどね」
 笑いながら言ってくれれば、まだ冗談と思う事も出来るというに。美綴の顔は今だ真面目なもので、つまりは彼女は本気でそう思っていると言う事だ。
 俺はすっかりぬるくなってしまったお茶に口をつける。
 どうにもやりにくかった。美綴がこれだけ話す女だったというのも意外であったが、何より彼女の話す事がどれも間違っていないと思わせられてしまう事が、より俺の心をざわつかせる。
 彼女に言われるまでも無い。衛宮は、本当に良い奴だ。彼の心は向かい合う人間を暖かく包みこむ。
 しかし彼は自分自身を暖める事をしない。迂闊にもその事を忘れてしまっているかのように、ただ回りの人を暖めようとするだけなのだ。
 そんな友人がいれば、手を差し伸べるのが人の道。もらった物を少しは返さねば――そう言う気持ちを持たぬようでは人では無い。
 その気持ち自体は何の問題も無い筈なのだが。
 差し伸べる手が増えて、あやつは別の手を選んだ。手持ち無沙汰の自分の手を、俺は祝福の拍手に切り替えることが出来ぬというのか。
 大事な友人である衛宮に、彼女という存在が出来た事が気に食わない。心の奥底でそんな風に思ってるのだとすれば、なんと浅ましく矮小なのだろうか。男の風上にも置けぬ奴ではないか。
「……俺が遠坂に嫉妬していると、つまりはそう言いたい訳か」
「そう。でもまぁ、その気持ちはよく分かるんだ。実はあたしも似たようなもんだったんだから」
 俺の呟きに美綴は、俺では無い、どこか遠くを見るような眼で答えた。
「何?」
「さっき言ったろ? あたしは例外中の例外。遠坂にとって友人に近い立場だったってさ」
 その言葉で、すべての歯車がしっくりと噛み合った。
 何故美綴の言う言葉が俺を揺さぶるのか。何故戯れ言と切って捨てられなかったのか。
   つまりは、彼女も俺と一緒だったのだ。
 大事な友人に衛宮という彼氏が出来て、自分一人がいた特別の座から引き摺り下ろされてしまった。その事で、悩み苦しみ、自分の醜い心と向かい合ったに違いない。
 そして自分の嫌な部分に負ける事無く乗り越えて、こうしていつも通りの美綴綾子として遠坂と付き合っているのだろう。
「まぁ、それでも今は楽しんでみてるけどね。だって可笑しいじゃないか。恋は人を変えるって言うけど、あんなにお高くとまってた「学校のアイドル」だった人間が、たった一人にメロメロだなんて」
 クスクスと笑いながら、彼女は湯呑をぐいっと煽った。その様は豪快で、どこまでも美綴らしい。
「……色々と教えられた。礼を言う、美綴」
 だから俺は心のままに、彼女に向かって頭を下げた。
「あらら。そんなに畏まる必要ないって。どうせ柳洞の事だ、いずれ気付いていただろうしね」
「いや、悪習は早く断つに限る。まして自分の心の奥底の事など、なかなかに気づけぬ事であったろう」
「ハハハ、じゃあおだてられとくよ。それじゃ御馳走様」
 そう言って立ち上がった美綴が、ふと何か思いついたかのように立ち止まる。その顔には、どこか危険な笑顔が浮かんでいた。
 何故だろうか、妙に背筋が凍る笑顔だ。
 しかし当然ながら俺の悪寒などそ知らぬ振りで、美綴は机に手を突きぐいと顔を寄せてくる。
「なぁ、柳洞。お互いの友人をビックリさせてやる企画を思いついたんだが乗る気は無い?」
 美綴の顔が近い。近すぎる。何と言うか吐息が感じられる距離だ。
 何故だろうか。ここで迂闊に頷くと取り返しがつかない自体に陥る気がするのは。
「おい、何を企んでおる美綴」
「いや、大した事じゃないよ? ただあたしと柳洞が付き合うって、それだけの事」
 ……何だと?
 俺と、美綴が、付き合う?
「そう。柳洞くん、実は前からずっと好きだったんです、お付き合いしてくださいっ!」
 俺の視界一杯に広がる笑顔のまま、年頃の少女の声色でそんな事をのたまう美綴。
「た……た……たわけたわけ! いきなり何を言いだすかお前は!」
 反射的に飛びのいてしまい、思わず椅子からひっくり返りそうになった。慌てて机にしがみつくようにして態勢を立て直すと、向かいで美綴の奴が腹を抱えて笑っているのが視界に入ってしまった。
「もうっ、傷つくなぁ。そんなに驚かれると」
 ……傷ついている人間は腹抱えて笑わぬだろうが。
「お前があまりにも訳の分からぬ事を言いだすからだ。何故に俺とお前が付き合わねばならぬのだ」
「いや、そうすれば衛宮も遠坂も目を丸くするだろうしね。面白いかな、と」
「たわ……お前は、そんな理由で、付き合うなどと大事な事を……」
「まぁ、そんな理由だけじゃないかもね」
「……何?」
  「それじゃあね、柳洞。なかなか楽しかったよ」
 意味深な表情と言葉に問い返すも、俺が椅子から立ち上がった時には既に美綴は手を振って、生徒会室から出ていってしまっていた。
 俺を翻弄してくれたその背中を見送り、再び椅子に腰を下ろした。
 やれやれ、まるで遠坂を相手にしているみたいであった。
 精神的には疲労したが、どこか心地の良い疲れ。性別も考え方も違うが、多分根っこのどこかが似ている。そんな相手とじっくり話せた事が何より楽しかった。
 空になった急須にお湯を注いで、手づから湯呑茶碗にお茶を入れる。衛宮がいれてくれるようには上手くは入れられんが、何分この味に慣れておかねばならぬのだ。
 あの女狐めを祓うのは保留する。しばらくは監視に留めておくのだ。
 まぁ、衛宮が選んだ相手なのだ。きっとどこかに俺には分からぬ良い所があるに違いない。それを見つける楽しみが手に入ったと思えば、許せない事も無いだろう。
 俺は苦笑を浮かべると、熱めのお茶を一口啜った。











 後書き

 自分の中のほのぼの星人が書け、書けと唆して出来上がった感じの作品ですw
 ただ、今だ自分の中でFateというものが噛み砕けていないせいか、どうしてもしっかりした長い物が書けない状況。苦肉の策という感じでこういった短めSS詰め合わせという感じになりました。
 Fateで一番好きな凛を書く楽しさは言うに及ばず、なのですが、思ったより美綴や一成を書くのが楽しかったです。フラグも立ったみたいですし、また続きを書いてみたい気も少ししますね。
 基本的にFateSSはのんびりまた〜りと、気が向いた時に更新していくという感じだと思いますが、またお読み頂ければ幸いです。
 ではでは。