「柳洞、今週の日曜って空いてるかい」
 最近何かと生徒会室に顔を出しては昼飯を食べていく弓道部の主将が、食後のお茶をすすりながらそんな事を口にした。
 前まで衛宮が使っていた椅子にでんと座り湯飲みをあおる。こう言うとがさつな様だが、その所作は落ち着き払っていて隙がないものだ。ただ、どうしても女性的な柔らかさよりは男性的な印象が強いのは、彼女の持つ凛とした雰囲気のせいであろうか。
 ともあれ、聞かれたからには答えねばなるまい。記憶を探って予定を確かめる。
 詳しいことはまた家に帰らねば分からぬが、今思い出す限りでは大きな用事は入っていないようだ。
「うむ、一応空いているようには思えるが」
「じゃあさ。あたしとデートしよう」
 お茶をもう一杯。そんな感じの気軽さで、美綴綾子はとんでもない事をのたまった。
「……聞き間違いだと思うのだが。今何と言った?」
「デートしようって聞こえてたのなら、聞き間違いじゃないよ。生徒会長殿」
 意地の悪い笑みを浮かべて美綴は俺をじぃっと見つめてくる。この猫のような瞳がどうにも苦手であった。嫌いというわけではないのだが、その、どうにも反論の術を失わせる力を持っているのだ。
 しかし今回に限れば、あい分かったと気軽に言える内容ではない。断じてない。
「……誰が?」
「柳洞が」
「…………誰と?」
「あたしと」
「………………何をする、と?」
「今週の日曜に、新都でデート……って、あたしとデートする事に何かご不満でもあるのかね、柳洞は」
 美綴が眉をひそめ不満げに俺をねめつけてくる。
 む、確かにこの言い方では気分を害するのも無理はなかったか。しかし俺としても訴えたい事は色々とある。
「……デートと言うものは、好き合ってる者同士がより深く寄り添いあうためにする物ではないのか?」
 ため息混じりにそう漏らすと、一瞬目を丸くした彼女は、次の瞬間大声で笑いだした。
 何が何やら分からず、手に湯飲み茶碗を持ったまま呆然としている俺を置いてけぼりに、背を丸めて笑い続けている。
 俺としては至極まっとうな事を言ったつもりなのだが。何故にここまで笑われなければならぬのであろうか。
「……美綴」
「ははは、ゴメン。あんまり真面目な顔で言うもんだからツボに入っちゃったよ」
「真面目な顔も何も、至極当然の事ではないか。好き合ってもいない者同士がわざわざ共に歩き回るなど理解の外だ」
「まぁまぁ。そんなに深く考えなくてもいいよ。ただあたしの弦のストックとかが切れてしまったから買いに行こうと思ってただけだし。一人で行くのも味気ないだろう?」
「それならば部員の誰かと一緒に行けば良いだろうに。俺には弓の事などとんと分からぬぞ」
 美綴は弓道部の主将であり、その腕も部で一、二を争うと聞いている。そんな人間が扱う道具選びに、俺のような素人を連れて行ったところで何ほどの役に立つというのか。
 しかし俺の当然ともいえる意見にも、ただ彼女は笑って、
「気にしない気にしない。それじゃ今週の日曜、よろしく頼むよ」
 そういうと俺に口を挟む隙を与える事無く、素早く自分の弁当箱を仕舞い込んで立ち上がってしまった。唖然としてる俺を尻目に、扉に手を掛けた彼女がくるりと振り返って。
「うん、それに柳洞が普段どんな格好してるかも気になるしね。だから制服なんかで来ないでよ?」
 何やら不吉な事を告げて、彼女は部屋を出て行ってしまったのだった。




トモダチの、カノジョ






 相談する相手が悪いのは重々承知ではあった。
 しかし俺としては他にこういう事を相談できる相手がいないのだ。悪いと思いつつも彼の力を借りるしかない。
「うーん、多分俺じゃあんまり役に立てないぞ」
「わかっておる。だがな、寺の者に頼むわけにもいかんし、こういう事を頼めそうなのが衛宮しかおらんのだ」
 頭を掻きながら神妙な表情を浮かべる衛宮に、手を合わせる。生徒会で片付けるべき仕事をいつも頼んでいる上に、個人的な頼み事まで押し付けようとしている自分に少しばかり嫌悪感を覚えるが、こればっかりは俺一人で解決できる自信が無かったのだ。
 それでも断ろうとせず真面目に考えてくれるあたり、衛宮の人の良さは筋金入りである。
「大体、何で急に服なんか必要になったんだ? お前、服なんか着れれば十分! みたいな事言ってなかったか」
「……ううむ」
 頼まれる方からすれば当然の質問であろう。
 しかし、実の所それはいささか答えにくい質問であり。しかし曖昧に誤魔化すのは頼む側の仁義にもとる行為でもあり。だがしかし……
「まぁ、言えないような事情があるんなら良いんだけどな」
「いや、そういう訳ではあるような無いような……」
「なんだそりゃ?」
「なにぶん経験した事が無い事態ゆえ、俺にもどうしたら良いのか分からぬのだ」
 俺の呟きに、案の定衛宮の顔には疑問符が浮かんでしまっていた。
 自分で口にしておいて曖昧極まりない答えだと、分かってはいるのだ。逆の立場なら呆れて踵を返しているかもしれない。しかし、どうにも説明がしにくいのだから仕方があるまい。
 そもそも俺は了承した記憶がないというのに、もはや決定事項にされているあたり美綴の強引さも筋金が入っていると言うか何と言うか。いまさら断ろうにも断れない状態になってしまっている。
「とにかく、深くは聞かず明日買い物に付き合ってはもらえんか」
「……オーケー。まぁ俺も服に詳しい訳じゃないんだからあまり期待はするなよ?」
「恩に着る、衛宮。それとこの事は……」
「わかってるって。凛には内緒にしておけばいいんだろう?」
 俺の意を汲んだように、彼は苦笑を浮かべ頷いてくれた。
「すまぬ。ではそういう事でよろしく頼む」
 俺が頭を下げた時、ちょうど下校を告げる予鈴が校舎に鳴り響いていた。






 それが視界に入った瞬間、俺は思わず回れ右をしそうになっていた。
 深く事情を話さずともこちらの我が侭に付き合ってくれる。これは、そんな衛宮の懐の深さに甘えた罰なのだろうか。
 今にして思えば、説明を億劫がらず衛宮に事情を話しておくべきだったのだろう。いや、むしろ日を改めずそのまま行っておけばよかったのかも知れぬ。
 時は巻き戻す事など出来ないという。しかしどうにかしてやり直す事は出来ないものであろうか。
「こんにちわ、柳洞くん」
 衛宮の腕に自分の腕を絡め、憎たらしいほどの満面の笑みを浮かべている遠坂凛の姿が視界に入った瞬間、俺は思わず天を仰ぎ、そんな埒も無い事を思わずにはいられなかった。
「……何故にお前が衛宮と一緒にいるのだ。呼んだ覚えは無いぞ遠坂」
 せいぜい心の底からの悪意をこめて、刺々しい言葉を投げつけてやるのが精一杯の反撃だ。しかしその程度でひるむような女狐であるならば、そもそも俺は悩んでなどおらぬわけで。
「あら、士郎が大事な親友殿の頼みで頭を悩ませていたんですもの。わたしに出来る事があったら協力するのが当然というものじゃない」
「ええい、こんな時だけ殊勝ぶりおって! また何事か企んでおるのだろうこの女狐め!」
 衛宮の前であまり悪し様に呼ぶのは宜しくないかも知れぬが、こちらとしては一番知られたくない相手がいきなり目の前にいればなりふりなど構っていられぬ。許せ衛宮。
「その、ごめんな一成。俺が悪かったから、凛を責めるのは止めてやってくれないか」
 心痛と諦念の入り混じった表情で、彼が俺に向かって頭を下げてくる。
 ……まぁ、状況は分かりすぎるほどよく分かる。
 衛宮は嘘をつけない性格だ。何事かと問い詰めてくる遠坂の追及の手をかわせず、あらいざらい喋らされてしまったのだろう。
 状況は分かる。
 仕方がない、とも思う。そもそも無理に頼んだのは俺だ。
 しかしそれでも、衛宮にはほんの少しの善戦を期待したかった。
 大体、遠坂も遠坂だ。そもそもあれが協力する者の顔だとでもいうのか。
 口元に手を当てていても隠し切れぬ笑いが伝わってくる。あんな物、まさに面白がってる顔以外の何物でもない。
「そういう事。美綴さんが恥ずかしい思いをしないように、しっかりコーディネートしてあげるから。安心してね柳洞くん?」
「なぁ……ぁぁ?!」
 今にもくすくすと忍び笑いが聞こえてきそうな顔でさらりと言ってのけた彼女の言葉に、俺は思わず叫び声を上げていた。
「な、なななな何でそれを遠坂!」
 情けなくも動転し声が裏返ってしまっている。一方の衛宮は虚を突かれた顔で遠坂に振り返っている。
「えっ? 美綴って、何で一成の買い物に美綴が関係あるんだ?」
「呆れた、士郎ったら全然知らないのね」
「何をさ」
「柳洞くん、最近美綴さんとよくお昼一緒に食べてるのよ?」
 衛宮に腕を絡めていなければ、お腹を抱えて笑い出しているのではないだろうか。そう思わせるほど遠坂の奴は可笑しそうな顔をしている。
「だああああっ! 確かにそういう事実はあるにはあるが、だからと言って今日の買い物はそれとこれとはいささかも関係が……」
「大有りよね。さしずめ、美綴さんからデートにでも誘われたんじゃない?」
「だ、誰からそのようなそもそもデートなどという不純な気持ちはいささかも無くただ彼女が……」
「あ、やっぱりそうだったんだ」
 にまりと笑みを深くして、遠坂がこっちを見やってくる。
 ……やられた。
 鎌を掛ける、などと言えぬほどの初歩的な引っ掛けに見事に引っ掛けられた。それも見抜けぬほどに頭に血が上っていた自分が余りに恥ずかしく、こちらとしては頭を抱えてうめく程度が関の山である。
「まぁ、士郎にあふれんばかりのファッションセンスがあるとは言いがたいし。その格好を見るにあなたも同類みたいよね」
 頭のてっぺんからつま先まで、視線を移動させた遠坂がこれ見よがしにため息をついてくる。
 ……失敬な。
 俺とて見立てに自信があるなら衛宮の手を借りようとは思わないが、流石に面と向かってため息をつかれるのは気分の良いものではない。
「む、これでも箪笥の中からようよう見つけ出してきたものなのだがな。大体寺ではいつも作務衣を着ておるわけだし」
「……それで来なかった事だけは褒めてあげるわよ」
 衛宮との買い物だと思っていたので、寸前までそれで来ようとしていた事は黙っていた方が無難であろうか。俺を見る衛宮の顔も「余計な事は言うな!」と語っているようであるし。
 しかしだな衛宮。このような口さがない女狐を彼女としておくのは、やはりどうかと思うのだが。
「……何か言いたそうな顔してるけど。正直わたしの手を借りた方が良い結果出ると思うわよ、生徒会長殿?」
 徐々にその眉がつりあがり、剣呑な目つきになっていく遠坂。その横では衛宮が諦め顔で俺に向かって首を振っている。
 勝負あり。
 どこからともなく聞こえてきたその声に従うように。俺は白旗を上げざるを得なかった。



 

 


   駅前の巨大ショッピングモールは、その入り口が公園になっている。
 青々と葉を茂らせる街路樹の下に備え付けられたベンチに座り込み、左腕に巻いた腕時計に視線を落とした。
 午後二時半。刻まれた時を確認して、深々とため息をついた。
 実に三時間。俺は試着室から一歩も出ることを許されず、ひたすらに遠坂めの着せ替え人形と成り果てていたのだ。
「こう、着せ替え甲斐のあるスタイルしてるわよね。ふふ、覚悟してね柳洞くん」
 目を輝かせて俺を試着室に押し込もうとしたあやつの顔を見た時、後の事は考えず回れ右で逃げ出しておけば良かったかも知れぬ。
 俺の服ですらこれだけの時間がかかるのだ。衛宮や、自分の物を買う時は果たしてどれほどかかるのか。それに付き合わされる衛宮の奴の事を思うと、同情と共に改めてあいつの偉大さに尊敬を禁じえない。
 一通りの買い物が終了した所で一旦別行動を申し出て、俺はこうして一息をついているのだ。それが出来ずにあの買い物っぷりに最後まで付き合うと考えると、いささか背筋が寒いものを覚える。
 しかし今日に限れば、遠坂の奴に感謝しても良かったかもしれない。
 傍らに置かれた一抱えほどに膨れ上がった紙袋。あれだけの時間をかけただけはあり、遠坂の見立ててくれた服は、俺や衛宮の目から見ても感嘆するようなものばかりである。もれなくあの怒涛の時間が勝手に頭をよぎるのが難点かもしれぬが。
 ただ、確かに大変な時間ではあったのだが。それが有意義でないわけではなかった。手に入れたのは服だけではない。意外な物も目にすることが出来たのだ。
「士郎と違って素材は極上なんだから、もっと気を使ったほうが良いと思うわよ。これじゃ美綴さんも苦労しそうね」
「だから美綴は関係ないと……」
「俺と違ってって、何だよそりゃ」
「そうね、具体的には身長とか足の長さとか」
「うるさいな、背はこれからきっと伸びるからいいんだ」
「ふふ、だといいわね。期待してるわよ、士郎」
 衛宮に向かって悪態をつきながら、それでもどこか楽しそうに俺に服をあてがっている遠坂の顔。
 それは、俺が今まで見た事もないような柔らかい笑顔であった。
 ……まぁ、美綴の件は横に置いておくとして。
 遠坂の笑顔自体はそれほど珍しいものではない。
 彼女は学校でも良く笑っている。人から話しかけられた時、教師とやり取りをする時。上品な笑顔を浮かべて相手を安心させている。その笑顔で人々の心をたぶらかすがあやつの女狐たる所以であり、知らぬ者から見れば遠坂は人好きのする少女に見えるであろう。
 しかしそれは擬態である、らしい。
 いつぞやの生徒会室で、真面目な顔で美綴は俺に告げてきた。
 それがどんな理由かは分からぬが、遠坂は一枚壁を作って人と接している。内側には誰も入れることが無く、入ろうとする者に容赦は無い。しかし、その壁の中に唯一引き込んだのが衛宮である、と。
 聞いた時はぴんとこなかった。
 しかし今ならば分かる。
 俺が居てもなおそのような表情を見せる。そのくらい、遠坂の奴にとって衛宮は特別な存在なのであろう。あれならば遠坂が手放す事はない、と言うのも頷ける話だ。
 だからと言って手放しで遠坂の事を認められるかと言えば、またそれは別問題である。あるのだが、今日くらいは何も言わずにいるのが吉やも知れぬ。
 苦笑を浮かべ、空を見上げた。憎らしいほどに晴れ渡った空。普段であれば寺で宿題を片付けているか、親父殿の手伝いをしていたであろう。
 文句のつけようのない快晴の元、こうして長閑な時間を過ごしているのもたまには良いの……
 ふむ?
 ふと視界の端に鮮やかな赤色が飛び込んできた。
 視線を下げれば見間違えようも無い人影。後ろ手に組んだ遠坂が、軽やかな足取りでこちらに向かってくる。不思議とその隣に衛宮の姿は無い。
 首をかしげながら再び時計を確認する。午後二時四十五分。はて、落ち合う時間は三時半だった筈なのだが。
「どうした、遠坂。集合にはいささか早いのではないか。衛宮の姿も見えぬようだが」
「ん、あいつ今六階の刃物市見てるのよ。ちょっと時間がかかりそうだったから、わたしは一足先にこっちへ来たってわけ」
 苦笑を浮かべた遠坂が、荷物を挟んで俺の隣に腰を下ろしてきた。
「まぁそれが理由の半分ね」
「半分?」
「ええ。実はゆっくり柳洞くんと話してみたかったのよ」
 遠坂の顔には、普段の俺をからかうような色は浮かんでいない。お得意の微笑み、しかしどこか思いつめたような硬い表情をしている。
 その顔にも驚いたが、しかし告げられた言葉の非ではなかった。
 遠坂めが、俺と話がしたいだと?
 一体、何の冗談だというのだ。
「……熱があるのならば先に帰った方がいいのではないか? 衛宮には俺から話しておくぞ」
「……何気に失礼ね。そもそもわたしを避けてるのは柳洞君の方なんだから、わたしから話があるって言ったって変じゃないと思うけれど? むしろ逆の方が驚くわね、わたしとしては」
 半眼で遠坂がこちらを睨みつけてくる。
 ……そう言われれば確かに。しかしそもそもの原因は遠坂が蒔いていると思うのだが。
「それはおまえが悪意を持って絡んでくるのであってだな……」
「ま、それはいいわ。話したい事はそういう事じゃないし」
「……よかろう。して何用だ?」
 衛宮がいない時にわざわざ話し掛けてくるのだ。おそらくはあいつ絡みの事なのであろうが。
「っ! それは……その……」
 うつむきがちに呟いた遠坂は、口元に手を当て、何かを言いかけると黙り込む。
 妙だ。いつも嫌になるくらい的確に、淀みなく自分の意見を口にする彼女にしては、随分とらしくない態度である。
 それでも、話があるのは向こうなのだから俺が茶々を入れる訳にはいくまい。
 二、三度それを繰り返したであろうか。何かを決意したように強く頷いた彼女は、キッと強い視線でこちらに振り返ってきた。
「率直に聞くわ。わたしと士郎が付き合ってる事、そんなに気に入らない?」
 その口から漏れた言葉は、随分と直球というか、意外なものであった。
「……は?」
 思わず間抜けな口調で問い返してしまう。
「だから! いつもいつも柳洞くんは士郎とわたしが一緒にいるとイチャモンつけてくるじゃない! それだったら今日こそは白黒つけてやろうと思ってたのよ!」
 がー、とまくし立ててくる彼女の顔にも態度にも、普段の猫かぶりの様は欠片も見当たらない。
 きっとこれが遠坂めの素の姿なのだろう。こういう形で素の姿を見せてくれるのは、気分の悪いものではないな。
 だがしかし、だ。
「……それを俺に聞くかね、遠坂」
 思わずため息が漏れた。
 人はやられた事は覚えていてもやった事は覚えてないとよく言うが、今まで散々自分でからかってきた相手にそういう事を聞いて、肯定的な言葉が返ってくると思っているのかこ奴は。
「そ、それは確かにあなたがわたしを苦手だってのは重々承知な事だけど! 士郎とわたしが付き合ってることはそれと別問題でしょう? それで反対するなんて、逆恨みみたいなもんじゃない」
「……大事な友人が、人をからかって楽しむような女狐に誑かされてると思えば、身を張って反対をするのが友の努めであろう」
 別に遠坂が俺の知り合い程度の男と付き合うというのならば、俺とてもそこまで強く止めたりはしない。せいぜいそやつに一言、止めておけ、と言うくらいであろう。
 だが俺にとって衛宮は大事な、本当に大事な友人なのだ。
 みすみす不幸に陥らせるような真似など出来るわけがない。何とかして遠坂の毒牙から救い出さねばならない。
 ――そう、すこし前までは思っていた。
 二度目のため息が口を突く。これはきっと自分に対する物であろうな。
「……だがな、今の衛宮は誑かされてるのではないからな」
「えっ?」
「本当に遺憾ながら、今の衛宮にとっておまえは必要な人間になってしまっている。今日一緒に居てみて、心底そう思った」
 目を丸くして、遠坂が意外そうな顔で俺を見つめてくる。
 それはそうだろう。俺が口にしているのは実質の敗北宣言に他ならない。
 衛宮士郎にとって、遠坂凛という人間がかけがえのない存在である。
 今まで強固に反対していた人間が、いきなりそう認めてしまったのだから。
「ちょっと、どうしたのよ柳洞くん。急にそんな事を言い出すなんて……」
「……勿論気に入らんぞ。気に入らなさは欠片も変わってないが、それと認める認めないはまた別問題なだけだ」
 遠坂の視線から眼を逸らして、小声でそう呟いた。
 自分で自覚してる負け惜しみなだけに、随分と恥ずかしい。
 しかし、認めないわけにいかないではないか。
「そもそも、だ。そんな事を俺に確認しようとしてくるあたり、遠坂らしくない」
「そ、れは……!」
「普段のおまえは、周りがなんと言おうが気にせず自分のやりたいようにやる人間であろう? 俺がいくら反対しようが、関係ないとばかりに衛宮を抱え込んでしまうであろうに」
 ぐっ、と言葉に詰まる。そんな遠坂に仔細構わず、俺は自分の中にわだかまっていた物を吐き出すことにした。思えば確かに遠坂と面と向かって話す機会などなかった。これから先もざらにあるとも思えない。ならばこの機は有効に使うべきなのだろう。
「結局、遠坂凛は衛宮士郎に変えられたという事だ。そしてそんなおまえの事を受け入れてくれるよう、士郎自身が願っている」
 遠坂によって衛宮だけが変えられたのなら、それを悪影響と断じて引き剥がす事だって出来たかもしれない。しかし遠坂もまた、衛宮によって変えられつつある。
 互いに影響を与え合って、変化しているのだ。それも、おそらくはより良い方へ。
 引き離す事など、出来る訳がない。
 友がより良く成長するならそれを見届けたいし、それによって女狐めがすこしは大人しくなるならば、それを見届けるのが仏門の徒の道であろう。
 いや、これも言い訳か。
 結局俺は見惚れているのかもしれない。一組の男女がより良く変わろうとしている様に。
「……わたしは勝手についてきただけよ」
 ついとそっぽを向いて反撃にならぬ答えを返してくるあたり、本当に驚くような変化だ。
「たわけ。衛宮の根は頑固極まりない。いくら彼女の頼みであろうと、ただ流されて友との約束を反故にするような男ではない。それはおまえも良く分かっているだろうに」
 俺は衛宮に一緒に買い物に行こうと頼み、遠坂の奴には内緒にしておいてくれ、と頼んだ。衛宮はそれに頷いてくれた。
 それが今、こうして遠坂も共にいるという理由は一つ。
 俺と遠坂の相性が悪いままというのが、どうにも衛宮には許せなかったのだろう。
 自分と共にいることで変わった彼女。その様を俺に知って欲しかった。思えば俺は衛宮の前で遠坂の事を褒めた事など一度もない。遠坂の本性を知るゆえに褒め様などなかったのだが、衛宮からすれば、それは随分と悲しい事であったに違いない。
 だからこうして、あいつなりのやり方で俺と遠坂が話をする機会を設けたのだろう。
 あいつの性格で、「自分が見たいから」などという理由だけで連れを一人にしておくとも思えない。遠坂が俺と話したがっているのを分かっていて、そして俺にも遠坂と話す機会を持って欲しくて、という事か。
 ああ。全くもって俺は度し難い。
 あいにくと俺には彼女などいない。いないと言ったらたらいないのだが、親しい友人に置き換えれば分かる事だ。
 たとえば美綴の事を、顔を合わせる度に衛宮から悪し様にののしられて良い気分などしようものか。
 悪い奴じゃない、いい所を見てもらおう。そう思って、出来る限りの事をするに違いないのだ。
「俺は衛宮の友達で、お前は衛宮の……彼女なのだ。友の彼女が、僅かばかりであろうと良い方向に変わっているのならば、それを認めるのは友として当然の事だと、そう感じただけだ」
 面と向かってなど言えぬ。遠坂に背を向け、空に溶かすようにそう呟く。
 それを受けるかのように、俺の背中を遠坂の涼やかな声が叩いていく。
「……前の自分だったら、きっと馬鹿らしいって笑ってると思う」
「ふむ?」
「あなたの言うとおり。遠坂凛は自分のしたいように事を成すの。わたしは士郎の事が好きで、士郎もわたしの事が好き。ならそれで万事オーケー。周りが何と言おうと関係ないじゃない」
「ふむ、そうかもしれぬな」
「だけど、それじゃ嫌になったの。ただの幸せじゃダメ。遠坂凛は衛宮士郎を最高にハッピーにしてやりたい。そのために出来ることは全部したくなったのよ」
 その言葉と共に、ぽんぽんと肩を叩かれる。振り返った俺の前に、白く滑らかな手が突き出されていた。
「わたし一人じゃそれは九十パーセントがいいところ。残りの十は、わたしだけじゃダメ。だから、お互い頑張りましょう」
 胸を張り晴れやかにそう言いきる彼女の姿は、名の通りまさに凛としている。
 絶対の自信を持ち、そしてそれを嫌味にならぬ魅力に変えれる稀有な女性。
 彼女のこの光に、衛宮は惹きつけられたのだろう。
 だから俺は腕を組み、首を――きっぱりと横に振った。
 当然だ。衛宮を最高に幸せにしてやりたい。それは全面的に同意する。だからこそ、そのような申し出をそのまま受けるわけになどいくものか。
「……え?」
「たわけ、見縊るな遠坂凛」
 あっけに取られた遠坂を一喝する。
 そう、見縊られては困る。
 衛宮の周りに、どれだけの人間がいると思っているのだ。
「衛宮には藤村先生もいる。桜君もいる。個人的には認めたくないが間桐の奴もいるし、美綴だって友人だ。あいつの周りにいる人間全てひっくるめて、衛宮の幸せの一割分とは何事だ!」
 目を丸くした遠坂は、すぐに合点が言ったかのように不敵に笑う。
「ええそうね。でも束になってかかってきたってわたしは負けないもの。悔しかったら、パーセンテージを取り返して見なさい?」
「よかろう。受けて立ったぞ遠坂」
 そして俺は、差し出された手を握り返した。
 細く、柔らかい手。しかし何よりも躍動と力に満ち溢れた、彼女らしい手。
 敵であり仲間である、友達の彼女。その手の温もりを、俺はしかと身と心に刻み込んだ。



終わり






 後書き

 最近どうにも文章が書けず、半ばリハビリ、と言う感じで書いて見ました。
 本編後、まったりとした彼らの日常。こういうほのぼの、やはり書いていて落ち着きますね。
 それと、最初読んで一成と美綴のデートを期待した人……ごめんなさい。