手紙




 その手紙は、こんな出だしで始まった。

『凛、この手紙を見ている頃、恐らく私は既に居ないのだろう』
 差出人の名前すらこの手紙が、誰によって書かれたのか、遠坂凛には調べずとも判ってしまった。
「アーチャー…」
 口から零れるのは、彼の真名ではない。しかし彼女と彼の関係において最も馴染んでいたであろう名前。
『この手紙を読んでいるという事は、勝敗はともあれ君はあの戦争に生き残ったと言う事だろう。おめでとう。君にとって私が役に立ったかどうかは判らない。もし心半ばに私が倒れたとするならばすまない』
「そんなこと…、無いわよ……」
 手紙に向かって呟く。勿論それは答える事はない。この手紙の書いた主はもう既に消えているのだから。
 ――その手紙を発見したのは、つい数分前のコトだ。遠坂凛の部屋にぽつんと置かれていた。手紙の端に魔力痕が残っている。詳しい事は判らないが、恐らくこれは、一定時間経つと見つかるような細工がしてあったのだろう。術者が死んでからか、はたまた――あの戦争が終わる日が判っての事だったのか。
『君は勝ったのか負けたのかは判らない。だがどの道、聖杯で受肉する事は求めていなかった。私の願いはそのような事ではなかったのだ』
 知っている。自分は知ってしまっている。この皮肉屋の従者がどんな願いを以って、あの戦いに挑んだのか。元はどんな人生を歩み、どんな結末となったのか。どんな生き様を晒して、どれほどの絶望を見たか。――そして、結果彼の願いは果たされなかった。
 全て、知っている。知ってしまった。
『これから先に記す事は、私の真名を知っていて、尚且つ戦争が終わった後も衛宮士郎と近しい関係を築いてくれる場合、それのみにこの先を読んで欲しい。そうでない場合はこの手紙を燃やしてくれ。私というアーチャーが存在していたその事と共に。でなければ。

 きっと、君は後悔する事になるだろう』

 手紙はここで一端途切れていた。後ろにはまだ数枚紙がある。つまりはここで決断しろと言う事なのだろう。
 見るべきか。
 見ないべきか。

 自分には見る資格がある。アーチャーの正体も知って、士郎とも、その、何だ、まあ仲がいい。――そして、二人して生き残っている。
 ――いいわよ、見てやろうじゃない!

 凛は、躊躇うことなく手紙を捲った。








『――そうか。見るか。
 まあ、君の事だから、多分見てしまうだろうなとは思ってはいたが』
 のっけから、これだ。あんにゃろうのにくったらしい笑みが目に浮かぶ。今ココで手紙を破り捨ててやろうかと思った。
『まあ、怒るな』
 読まれていた。凛は思わず指先に炎を灯しかけた。本当にむかつくやつだ。
 ――そのむかつく事も、何か懐かしく感じてしまう。
『ともかく、ここを読んでいると言う事は俺の正体を知っていると言う事か。俺の正体がエミヤシロウだと言う事に。お前の近所に住んでいる衛宮士郎と間違いなく同一人物だと言う事に』
「……」
 筆先が震えていた。――彼にとって(恐らくこれを書いた時は)認めたくない事だったということが伺える。それほどまでに、彼は彼の人生を悔やんでいたのだろう。筆舌につくしがたいその人生、想像する事すらままならない。何度の苦難があったのだろう、何度泣いた事だろう。それでも――彼の人生の中に、喜びだってあったはずだ。例えそれが、後で悔恨に塗りつぶされたとしても。それを信じて、凛は目を下に持っていった。
 だが、――彼の人生は、彼女の予想を大幅に、そのなんだ、斜め上に越していた。

『そう、近い将来に――彼の姉的存在と、妹的存在に襲われて、姉的存在には無理矢理婚姻されてしまい、妹的存在はその愛人の座につき、そして一生涯尻に敷かれまくってうだつの上がらない衛宮士郎に!』

 ……
 ……
 ……ちょっと待てや、おい。何か突然の未来宣言に凛は開いた口が塞がらなかった。
『それは突然の出来事だった。衛宮士郎がこんこんと眠っている間にあの二人は俺を縛り上げてそして――』
 ここから先は紙がふやけて文字の判別が出来なかった。恐らくは彼は泣いたのだろう。それほどまでに彼は辛かったのだろう。ちょっと見てみたいなあーとか思ったりもしちゃうけどいやいやいけないいけない。手紙を捲る。

『――脅す――ビデオ――――公開するって――首輪―――目隠し―――――犬扱い――』

 三枚目はもっとふやけていた。辛うじて判別できた単語を羅列しても、しかしそれは意味が通じない。だが、ここで「衛宮士郎」という存在にそれぞれの単語を当てはめてみよう。
 ……うわお。
 脳内に広がるステキワールド。そこでは衛宮士郎が怯えた顔をしていて、首輪をつけられたり、素っ裸で目隠しされて、慌てふためく様をビデオに撮られてたり、犬扱いされたり――それは確かに、衛宮士郎という名の一つの極限の現象。鼻血ちょっと出た。
 ……ちょっと間を置いて、今度はアーチャーで置き換えてみる。
 ……
 ……
 ……ステキ。
 もう、何も言う事は無かった。あまりにもステキな未来像だった。例えソレが、彼にとっての地獄の日々であろうと。
 凛は、手紙を置いた。もう残りは読む必要が無い、いや、読むヒマすら惜しい。
「ありがとうアーチャー。つまり貴方はこう言いたいのね」
 にやり、と笑うその笑顔は般若の如く。手にはロープと目隠し代わりの布と尻尾と首輪。
 全てに「ギアス」の魔術が仕込んである。転売用に安く仕入れたものだが、まさか自分が使うとは思ってもみなかった。
「――他の奴にいぢられるまえに、完膚なきまでに犬にさせてください、って」
 遠坂凛は部屋を出た。
 衛宮士郎を「犬」にするために。



 ――なお、残された手紙の文章であるが、それには遠坂凛の未来が書かれていたりする。
 曰く、『――まあ、なんだな。凛。正直君の未来はあまり明るくない。
     ここ一番での大ポカという君特有のマイナススキルを矯正しないかぎりはな。
     まあ、無理なのだろうが』

 ――既に時は遅く。


 遠坂凛、犬になる。
「わん」






どっとはらい